「涼」の変遷       2001角川『短歌』八月号



■納涼アンソロジー


 『夫木和歌集』には、「納涼」という題で、涼しげな和歌が何首も収められている。一部を引用してみる。

  茂りあふあをきもみぢの下すずみあつさは蝉のこゑにゆづりぬ               慈鎮和尚
  浪たてる川原柳のあをみどりすずしくわたるきしの夕風                  西行上人
  はつせ川しらゆふ浪のすずみしてかげ立ちならすふたもとの杉             民部卿為家卿
  石の上に落ちたる滝のかずかずにすずしさまねく玉ぞこもれる               藤原為顕
 
また、『夫木和歌集』には「氷室」の題のもとに、次のような和歌も収められている。

  涼しさは外にもとはぬ山城の宇多の氷室のまきの下風                入道前太政大臣
  外は夏あたりの水は秋にしてうちは冬なる氷室山かな                  後京極摂政

古典和歌では、身体感覚としての暑さや涼しさを露骨に表現することは禁忌であったはずだし、当時の和歌の多くは「題詠」としての作り物であったということも念頭におかなくてはならない。その上で、これらの和歌の、ひたすら「涼しさ」を求める熱意のようなものは、ひしひしと伝わる。それほど日本の夏は暑く、辛く、過ごしにくい季節であった。わずかな木陰や川風や滝や氷室を描くことは、彼らの身体感覚としての「暑さ」の反映であった。


■衣服と涼しさ

中世末期〜近世にかけて、

 夕顔の棚の下なるゆふすずみ男はててらめ妻はふたのして                 『醒睡笑』

 楽しみは夕顔棚の下涼み爺はててらに妻はふたのして                  『北窓瑣談』

というような古歌が流布した。「ててら」は褌、「ふたの」は腰巻。暑い夏には、親爺は褌ひとつ、女房は腰巻一枚で、夕顔棚の下で夕涼みをする、という、いかにも気安い庶民生活を描いた歌である。ついでに書けば、久隅守陰が描いた『夕顔棚納涼図』という絵は、この歌の場面を描いたもので、現存する状態では、女房が上着を羽織っている。ひょっとしたら後の誰かが書き加えたのではないかという話題としても有名になった絵だ。
 
 茂りあふあをきもみぢの下すずみあつさは蝉のこゑにゆづりぬ

という『夫木和歌集』のなかの和歌と、全く同じような構造で書かれていながら、身体感覚としての「涼しさ」が露骨に表明されていることに注目したい。

現代の衣服と「涼」との関係は『夕顔棚納涼図』ともまた異なっている。


  ときに夏の女性は衣服なきごとし視線そらしてスーツ見ており        荻原裕幸『永遠青天症』

  夕立は頬に冷たしポンチョ式かっぱにくるまる身は蒸されつつ        吉浦玲子『精霊とんぼ』

 荻原の作品に描かれるように、現代の女性はしばしば『夕顔棚納涼図』の女性と見紛うような衣装で街をゆく。しかし、その様子は身体感覚の涼しさとして描かれているのではなく、むしろ、「視線」=視覚を通して描かれている。吉浦の作品では、「ポンチョ式かっぱ」を着て、体は蒸されている。しかし、この短歌の夕立は、身体感覚としては涼しい。あるいは、現代の「涼」は、古典和歌の「涼」とまったく逆転したのではないだろうか。
  
  採れたての鮎を涼しくた食ぶるため川の真上にしつらへし床            春日井建『白雨』

この作品は、一見、オーソドックスな「涼」を描いた短歌のように見える。しかし、詳しく読むと、いわゆる川床料理屋の仕組みを、わざわざ説明しているところが、いかにも現代的だ。つまり、「涼」のための「装置」の説明であると言ってよい。吉浦の「ポンチョ式かっぱ」が頬に冷たい夕立のための「装置」であるように。


■ナマな「暑・涼」はいつ頃まであったか?

 
そうとう乱暴な区切り方をするならば、古典和歌にあった「氷室」が、家庭やオフィスに「クーラー」として定着した頃から、短歌に描かれる「涼」も変質をした。
  
  一夜(ひとよ)あけ涼しき部屋に朝の蚊にささるることも心はか果敢なし     佐藤佐太郎「黄炎抄」
  
  涼しさのひら展け来るあたり道ありて草をは食みゐる黒き牛なる        前川佐美雄「等身」

この二首は一九四〇年に出版された『新風十人』に収められた短歌である。すくなくとも、この頃までは、涼しさのための「装置」を持たない、身体感覚(ナマな皮膚感覚)としての涼しさを、日本人たちは感じ、描いていた。


■遠いものは涼しい

 では、現代の「涼」はどのようなものになったか。

  ベランダゆ見えて音なき遠花火涼しき時は思ひも涼し             高野公彦『天泣』

この短歌は現代の「涼」の典型と言っていいだろう。ここにある「涼しさ」は皮膚が感じているのではなく、眼=視覚が感じている涼しさであり、体感ではなく観念の涼しさである。比喩的に、「遠いものが涼しい」と書いてみてもよい。こうした例は現代短歌には多くある。

  どこかべつのプラネットから吹く風に真夏の万国旗が揺れる     北川草子『シチュー鍋の天使』
 
  世は白雨 走り込んでは牛たちのおなかに楽譜書く暗号員       高柳蕗子『潮汐性母斑通信』

  あかねさす真昼のけやきに蟻のぼる蟻の領に涼風(すずかぜ)あつめ     前川佐重郎『彗星紀』

これらの涼しげな作品は、作者=自分とは幾分離れたところに涼を求めていると言っていいだろう。まさに、「どこかべつのプラネット」から吹く風なのだ。

  木星のさびしさ 炎だつまでの夏あらざりきいやな涼しさ     岡井隆『ヴォツェック/海と陸』

この「炎だつまでの夏あらざりき」という回想は深読みをして解釈する余地もあるが、「涼」ということに絞れば、「いやな涼しさ」というのは、身体感覚が「炎だつ」ことのなくなった、遠い木星のような、寂しい「涼」だ。


■冷たいモノは涼しい

現代短歌において、身体感覚としての「暑・涼」は、自分とはすこし距離のある「モノ」に、感覚的な涼しさとして仮託されるようになった。

  いくたびの夏もかはらず綿飴のようにつめたい雲の生き死に         井辻朱美『水晶散歩』
 
  不可思議の夏ならねども夕暮れの雲燃えながら凍えていたり         小池純代『苔桃の酒』

  町医者の待合室の椅子のうへ冷えしざぶとんに母を座らす             小池光『静物』

  眠れずにいる星の夜はヴェポラップ塗られた胸をはだけたまんま      飯田有子『林檎貫通式』

  汗ばみて寝ねがたき夜をカツカツとヒールの怒りわが家過ぎ行く         佐藤通雅『天心』

  ばくばくとカレー食うから横のほらエビアン水が冷汗かいてる      植松大雄『鳥のない鳥籠』

  八月のおわりの浜辺冷えすぎたラムネ片手に夕陽見送る            小高賢『本所両国』

  死ぬるべきふるさともなし万緑のしたたる半夏のCOKE歯にしむ       島田修三『東海憑曲集』

  逢ふために縫ふ夏服の裾にうつ針ひややかにありしを忘れず         西橋美保『漂砂鉱床』


多く引用したので、整理してみる。これらに出てくるモノは、「雲(綿飴)」「(冷えた)ざぶとん」「ヴェポラップ」「ヒール」「エビアン水」「ラムネ」「COKE」「針」などである。(小高の作品の八月は歳時記では秋だが、ここでは晩夏とみなす)たしかに、これらのモノは涼しい。そして、ここで大切なことは、これらの涼しいモノが、あたかも体感(触ったり、飲んだりした感触)の記憶・残像として描かれているということである。

  冷風が遠くから来る病院の待合室は墓地に似て 夏   永井陽子『小さなヴァイオリンが欲しくて』

永井陽子の遺作集にあるこの一首も、身体感覚としての涼しさが、自分の肉体とは別のところ(風・墓)のものとして描かれている。身体感覚から遠い涼しさといえば、次のような作品もある。

  宵闇に風も涼しと軒先を揺れているストッキングの爪先           勝野かおり『Br臭素』

  ひいやりと冷えた地球をかきみだすゆうべ夕の雨とはずれぬ指輪       江戸雪『百合オイル』

ストッキングや指輪は、身体に密着したものであるはずなのだが、それらが自分の身体とは別物のように描かれるところに、現代の「涼」があるのかもしれない。


■「クール」であること


  真昼間の公衆電話に壮年を呼び出す女のこゑ涼しけれ           河野洋子『恋恋風塵』

  ニャアニャアと二声なるが挨拶の涼しきさまを抱(いだ)きあげたり    西崎みどり『灰姫の猫』

  冷ややかにわたしは遂げてゆくのです まっさらな帆の開港式を  玲はる名『たったいま覚えたものを』


これらの、「声」の涼しさや「態度」の涼しさは、英語の「cool」という感触に近い。つまり、「冷淡な、よそよそしい、ずうずうしい、すてきな、いかす」などという多くの意味合いを含んだ「クール」という言葉に近い。
身体感覚に密着した「涼」から観念の「涼」へと、短歌のなかの「涼」は静かに変わりつつある。


西王燦トップページへ戻る