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短歌人時評から、前登志夫著『病猪の散歩』に関する部分を引用

前登志夫著『病猪の散歩』というエッセー読む。平成九年、「NHK歌壇」で齊籐史さんと毎月交互に執筆されはじめたもの。前登志夫さんの言葉をそのまま引用すれば「抗い難いいまの世の権力構造に対峙する、その土地やその文化の怒りのようなもの」が感じられて、面白い文章だ。いささか古い話題のひとつには、宇宙飛行士向井千秋さんの「宙がえり」もある。天川村にオートキャンプ場やコテージが犇めいているさまを眺めながら、「宇宙にてでんぐり返りせし女あり地球の皺で炭焼く吾あり」という与謝野晶子短歌文学賞応募作品を引用し、次のように書く。

  山中の秘境にどんなに華やかな観光施設が出来ようと、さしたることではない。ましてや木造の小さな建物などが犇めくのは、しごく当たり前のことともいえよう。そんなことよりも、わたしたちの現実が、興行的なお祭りとしてはじめて意味づけられる風潮こそ、警戒すべきだろう。戦争という殺戮ですら、正義や平和というイデオロギーのイベントとして、はじめて人々を納得させるところがある。

 まさにそのとおりだ。戦争=イベントについての笑話を書き添えておくならば、イラクに派兵された自衛隊の宿舎には、最初の一週間、「本日のイベント」と書かれたメモが毎朝届いたらしい。給水や学校の補修は、当事者さえも「イベント」と(うっかり)呼ぶような活動であったし、今もそうだ。

■この稿を書いている七月十日、新聞もテレビも、曽我ひとみさんと家族との再会劇をいっせいにとりあげた。複雑な背景のある家族離散のことさえも参議院選挙直前のイベントにされるような時代を私たちは生きている。北朝鮮を出国する、夫ジェンキンズ氏と二人の娘の映像は朝鮮中央テレビ局が日本向けに生中継し、一方、同局は国内向けには、金日成さんの没後十年目の追悼番組を流し続けた。イベントは、見せようとするものだけを見せ、見せたくないものは隠す。さらに、曽我ひとみさん家族の再会を一報した七月六日の新聞には、「よど号」ハイジャックメンバーの身柄引き渡しについての記事もある。曽我ひとみさん一家のことも、「よど号」のことも、歴史的な視野に立つならば、朝鮮戦争やベトナム戦争や、アメリカの帝国的な振る舞いや、かつての日本の朝鮮侵略など、さまざまなゴーストが見えてくるはずなのだが、「イベント」はそれらを帳消しにする。

■いささか私事に亘るが、十六歳の私の書いた詩がはじめて活字になった本『高校生の生活と証言・3・海つばめの歌』に、同じく高校生であった重信房子さんも小説を載せていて、それは在日朝鮮人に対する差別を描いたものであった。後に日本赤軍の歩みを総括した文章に重信さんは次のように書いていた。

  抑圧された人々のところにおりていっても被抑圧者の内部に更に重層的な抑圧――被抑圧構造が存在しています。ヨーロッパ人がアラブを差別し、アラブ民族の中でパレスチナ人を差別し、パレスチナ人はベドウィンを差別しています。差別の帰結にではなく、その根源に対決し、その場所的条件において闘わなければ、問題は解決しません。(「十年目の眼差から」・83年)

この言い方は、前登志夫さんのエッセーに通いあうところがある。重信さんの言う「場所的条件」とは、前さんの言う「その土地やその文化の怒りのようなもの」かもしれない。

  百合峠越え来しまひるどの地圖もその空閧いまだに知らず

  山のまに春のけぶりの立ちのぼり敗れし神を招ける幟(のぼり)  前登志夫『鳥總立』