「ロミオ用品店」と「山川呉服店」

            塚本邦雄の短歌における固有名詞



 短歌作品のなかに固有名詞が使用されることは、作者とその作品にとって、いったいどういうことなのであろうか。私はとりあえず次のように考えてみた。

 短歌作者が固有名詞を使用することは、作者が作者以外の世界を「引用」することであり、作品の中に作者以外の世界が「引用」されることによって、「作品」と「作者」の問に距離が生じることになる、と。

 私たちの多くは、塚本邦雄を、絶妙な、あるいはいささか過剰な固有名詞の使用者と見なしているが、彼のごく初期の作品には、固有名詞はごく希にしか見受けられない。

「水葬物語」「装飾楽句」「日本人霊歌」さらにはそれら以前の未刊歌集「透明文法」には固有名詞が極めて少ない。それらにもっとも頻繁に使用される固有名詞は、イエスであったり、マリアであったり、ユダであったりするが、それらは限りなく「普通名詞」に近い「固有名詞」として引用されている。
 固有名詞が普通名詞に近付いて行くというのは、名詞の指し示すものが、はとんどの読者にとって同じであるということ。たとえば、


のちに塚本邦雄が「眩畢祈祷書」に「キリストにかつても今も関りはない。もとより神、唯一超越神を信じたこともない。私が会つたのはナザレ生れの青年イエスであった」という書き出しで述べるところを読めば、彼のイエスヘの感情がきわめて特殊な個人的なものであったことが窺えるが、それにもかかわらず、これらのイエスは
ほとんどの読者に同じ方向をさししめている。むろん、三十四才で死んだ、という歴史的記述と、ルオーの絵の中のキリストとは微妙に違いもするが。

 私はここで「キリスト」を「ほとんどの人に同じ方向をさししめす」と言ったり、「限りなく普通名詞に近い」と言ってみたりしているのだが、この固有名詞を、私たち多くのものに、あらかじめ先験的な印象を与える言葉だ、というように言い換えてもよい。

 塚本邦雄の初期の作品に固有名詞が少ないという点にいますこし触れておこう。
 たぶんこういうことではないだろうか。自分が外界と緊密な関係を結ぼうとしているとき、あるいは自分が世界の総体と対峠しようとしている時、外界のものや人は固有名詞としてではなく普通名詞としてたちあらわれてくる。外界が固有名詞として分節的に把えられるのは、自分と世界との関係がすでに冷えはじめているのだ、と。

 もちろんこういうことは微妙な程度の問題であって、こんなふうに図式的に言ってしまうこともできまいが、少なくとも私には、塚本邦雄の固有名詞の使用の額度が、彼の、世界を静止的に把えようとする度合と重なり合うように思われる。
 こうしたことのひとつの傍証として次のような作品を引用してみよう。


これらの複数の人名詞、ことに「水葬物語」における多用は、作者の方法意識以上に私たちには強い印象を与えられる。もし、人が、外界を渦なす複数のかたまりとして眺めるならば、そこには固有名詞は参入しない。

 さて、塚本邦雄の作品にどのように「固有名詞」が頻度を増してゆくかといえば、それはすでに述べたようになによりもまず「引用」としてである。さらに正確にいえば引用を通した比喩、いわば引用喩としてである。


これらはもっとも解りやすい引用による比喩の例であろう。かりに「ジャン・コクトーに肖たる自転車乗り」が像を結びにくいとしても、比喩であることに違いはない。


ルソーについて、ジャン・ジャックのことしか思い浮かばない、という読者もいるかもしれないが。まずたいがいの場合はダリやルソーの絵の引用を感じ取ることはたやすいだろう。一方、ジョゼフィヌ・バケルの唄はどうだろう。え−つと、たしかナポレオンの妻もそんな名前だったか、とかあれやこれやで、かなり成熟した女の声だろうな、などと思うくらいがせいぜいで、はっきりとこの引用を読み取ることのできる読者はすくないかもしれない。したがって、おなじく固有名詞の引用という場合にも、より多くの読者にはぼ共通の印象をもたらすものもあれば、そうでない固有名詞もあるということが言えそうだ。

 ロミオ洋品店の場合は、これらとはすこし違った引用の仕組みになっている。これをジョゼフィヌ・バケルの例と比べてみればそのことが明瞭になるかもしれない。ジョゼフィヌ・バケルが唄っていた、という場面は、もちろん、私はエラ・フィツツジェラルドよりカーメン・マックレーの方が好さだ、などというレヴェルの問題ではないし、いったん作品として読者に繰り返し確認され続けていればなおさらジョゼフィヌは動かしがたいが、そもそものはじめに作者によってジョゼフィヌが選ばれた時点では、強く偶然性に左右されていたはずだ。それに比べて、このロミオ洋品店は作品の仕組みとして「シーザー洋品店」であってはならないのである。シェイクスピアの作品のなかの悲劇的な性格の青年の運命と、性的に不遇なあるいは不能な印象を象徴する上半身のみのマネキンとが機能的にしっかり結び合されている。


 これらは第一歌集「水葬物語」から第十六歌集「不變律」までを早捲りするようにして抽出した人名の固有名詞である。これを眺めただけで、作者のある「傾向」が窺える、と考える人もいるかもしれない。あるいは、年齢とともに作者の趣味がすこしずつ変化している、とみなす人もいるかもしれない。たしかに固有名詞はなによりも作者の趣味がおおきく反映していることは確かだ。しかし塚本邦雄の場合もうすこしこみいった問題がありそうな気がする。

 たとえば先に引用したダリについても、「水銀傳説」では


と歌われているかと思えば、「昼餐図」には


と歌われ、さらに「詩歌變」では


と歌われている。ここで私は、「趣味」といっても「嫌い」なものもあるじやないか、たとえば「シャガール嫌い」のように「嫌い」だけで登場するものもあるじやないか、などということを言おうとしているのではない。「ダリを父として」にはダリの絵に対する作者固有の解釈が認められるが、「ダリの天牛蟲の髭」では作者の関心はダリその人に移っている。さらに私ははじめに「ジョゼフィヌ・バケル歌へり」はこの歌手よりもあの歌手が好さだといったことではない、と述べたのであったが、「六月某日乾杯」は好さ嫌いだけが扱われている。「ダリ嫌ひ」や「啄木嫌ひと言った場合、ダリや啄木は読者によってどのように読み取られるか。それは作者固有の解釈ではなく、読者全般にぼんやりとして存在するであろう先験的な印象である。
 
このことは、


などについても同様のことが言える。ふたりの俳優について読者が共通に抱いているであろう印象に沿ってこれらは引用されている。
 さらに、先程書き抜いた人名のかなりの数は「カロッサ忌」や「伊丹万作生誕日」のように日暦として引用されている。**忌への愛着は早くから塚本邦堆にはあって、


があるが、人名の中の割合としては最近になるほど多くなっている。そして、私には、


の伊丹万作とカフカをくらべた場合、引用喩としてのしくみは伊丹万作の方がより緩やかなように思われる。「雪は青墨の香」は美しく実感できるが。それは伊丹万作の映画とは緩やかにしかむすびつかない。**忌というのはもともと固有名詞が普通名詞に転化されようとする人名だが、カフカ忌においてはカフカそのものに対する作者固有の解釈が喩として強く働いているために、暦のうえの普通名詞としてではなく、あくまでも固有名詞としてのカフカの方に重点が置かれているように思われる。
 言葉を変えて言い直すならば、先に述べた「シヤガール嫌ひ」や「梅宮辰夫」も**忌と同じように、読みの行為のなかでは普通名詞化されようとする固有名詞だと言ってもよい。それらに対して、


これらの花崎遼太は上述した陶有名詞とははっきり違っている。これは作者によって創造された登場人物だから。けっして普通名詞化されない周有名詞である。彼は時期を違えて繰り返し登場することもできるし、


との関係を読者に想像させもする。つまり、これらの固有名詞は「物語」のための固有名詞だ、と言える。


このような店の名前が最近の歌集に至るはど頼出してくることも、歌が物語に変わりゆくことのあらわれのように思われる。これについては、小高賢が「批評への意志」の中で既に指摘してもいる。


こうした繰り返し描かれる「自己引用的な方法」に関して、小高賢は、初期の塚本にあった「読者」への信頼がしだいに失われたためであり、逆に、限られた「ネットワーク」のなかでの「同志的」読者の創造の所産であると述べる。私も基本的にはそのように思う。
しかしそこから作家論に立ち入る余裕はすでにないので、「ロミオ洋品店」と「山川呉服店」の問の距離を強く指摘しておこう。

 さて「地名」の固有名詞について多く述べることができなかった。「新歌枕東西百景」を代表に、塚本邦雄は移しい地名の引用者でもある。それらは作者の趣味の傾向を反映しているものであるにはちがいない。しかし、全作品中もっとも引用数が多いかと思われる「若狭」についても、

のようにその土地をかならず訪れるという訳ではないし、
 

のように掛け言葉のために杉津がとりあげられていたりもする。

 地名に関して作者自身の述べた文章があり、しかもそれは上述してきた人名についても作者の心情を象徴しているように思われるので、最後に引用しておく。

 つまり、どのように美しい地名の土地も実際に行けば幻滅の方が多いし、どのように美しい名前の青年も会えばやはりそうだ、という、言葉の美しさと現実の醜さとの齟齬のかなしみこそが、塚本邦雄の固有名詞の底を流れているものではないか、と、私は思う。

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