歌壇時評   角川「短歌」1999/一月号
口語の時代の短歌賞
         
 私が本誌になんらかの文章を書くのはたぶん十年振りくらいになる。
つまり、私はリアルタイムな歌壇の情況に疎く、歌人としてではなく、いわば「短歌ユーザー」として、この時評を書くことになるだろう。
 
 さて、最近の本誌の中では、穂村弘さんの「わがまま」発言が、なんといっても一番面白い。すでに十一月号の歌壇時評で小高賢さんが取り上げているが、もう一度、私も触れてみたい。角川『短歌』の九月号には、奥村晃作、花山多佳子、藤原龍一郎さんたちの座談会があり、そのなかの藤原さんの「幼児語」発言、つまり、加藤治郎さんの「口語」が「幼児語化してゆく」という発言も刺激的ではあったが、穂村弘さんの「わがまま」のほうが、ずっとインパクトがある。たぶんこの「わがまま」という言葉は、一九九八年後半の歌壇におけるキイ・ワードとして記憶されることになるだろう。そして、さらに言えば、小高さんは「私たちが持つ、彼らへの異和」として「わがまま」という言葉を受け取っているのだが、私はむしろ、強い親和・同調として、このキイ・ワードを受けとめたいと思う。
 
 「わがまま」という言葉で、私たちに提示されたものは何か。私たちは「口語・文語」という区分ばかりに注目して来たので、口語体短歌の中の、微妙な(穂村さんから言わせれば、あきらかな)差異に気づくことに遅れた。それを「わがままな差異」と呼んでもいい。そこまで口語体短歌は成熟していたのだ、と。
 
 その穂村さんが、翌月の『短歌往来』では、突然「文語」風の短歌を発表して私たちを驚かせた。「言葉やさしも」「想いいたりき」「くちづけをせし」というふうに。これは最初、題詠として作者名を伏せて書かれたものなので、一種のカムフラージュだという。この、いかにも、「わがまま」な試みの短歌を読みながら、どのようにカムフラージュされても穂村さんの作品の世界が揺らぎを見せない、ということに、読者としての私は驚いている。
 
 穂村さんとちょうど一回り年齢の上の私たち(あるいは私だけかもしれないが)は、文体によって作歌主体が変わると信じていた。むしろ、「文語定型」で短歌を書く、ということは、ひどく、非日常的なことであり、すなわち文語定型で書かれた作品は「虚構」だと、考えていた。ときおり「口語」風の作品を挟んでみると、大袈裟な身振りの台詞=文語作品のあいだに割り込んだト書きのようにも見えた。つまり文語定型を中心にする「短歌が短歌である」という概念を嫌だなあ、と思い、一方では文語定型をパロディとして使い回しながらも、結局は穂村さんの言う「共同体的な感性」から逃れることが出来なかったようだ。
 
 さて、右に書いたようなところはじつは、二十年近く前、私が、角川短歌賞に応募していた頃の話。あの頃と現在の角川短歌賞では、文体においてどれほど変わってきているだろうか、ということを考えながら、つい私的なことを書いてしまった。
 
 ことしの角川短歌賞は、受賞作品をはじめ、掲載された候補作品のすべてが「文語」であった。ああ、文語っぽいな、という印象。とくに、冒頭に書いたように、ながく歌壇を離れ、純粋読者=短歌ユーザーとして現代短歌を読んでみようとする私には、ここまで文語である必要があるのか、と正直な感想として思う。
もっとはっきり書いてみれば、文語体であることが窮屈な印象を与える作品が数多くある。口語で書いてくれたほうが、読者としては気持ちが良さそう、という作品が。
 もちろん、受賞作・次席作、いずれも、しっかりとしたテーマを描いた力作であることを私は認めているので、誤解していただきたくないのだが、文体に対する試みの強さでは(塘健さんが受賞、私が次席の)当時の角川短歌賞のほうが、むしろ強かったようにさえ思われる。
 
 一方では、穂村さんの世代が従来の短歌を縛っていたコンテクストから解き放たれて「わがまま」になれた情況があり、他方では角川短歌賞に大量の「文語定型」短歌がある、ということは、ひょっとしたら、現在の短歌の表裏一体なのかもしれない。私自身は、口語短歌にエールを送りながら「自由律」はどうなったのだ、二十年前私たちが考えていたあれは、と、ひそかに思う。
 
 この原稿を書いている今日(十一月十四日)朝日カルチャー横浜では加藤治郎さんや岡井隆さんが「文語体か口語体か」という公開討論をしているようだ。ということは、口語と文語の件は、さらに続きそう。私の方も「つづく」という感じで。



歌壇時評   角川「短歌」1999/二月号
短歌なんかこわくない

 今回の題名は高橋源一郎『文学なんかこわくない』(朝日新聞社)のもじり。なぜ小説を読むか、それは「人生を生き直す」ため、という彼の根源的な表現に喝采をおくりたいたいからだ。先月も書いたが、私のように「歌壇」から離れ、純粋読者として短歌を読もうとする者にとって、その喜びは「人生を生き直す」ことに尽きる。「生き直す」というのは、いわゆる追体験という言い方よりもっと深く柔らかく、親和的。 さて、角川『短歌』の十二月号と『短歌年鑑』は、ともに一九九八年の回顧にとどまらず、近代短歌全体を視野に入れた「総括」のような印象で読みごたえがある。十二月号の『赤光』の特集では、何人もの評者が『赤光』の異本、初版や改選版について丁寧に触れようとしている。

 すこし気障に書けば、ようやく近代短歌を構造主義的に読み直そうという気運の盛り上りを感じる。これらに、連載中の玉城徹「子規の文学」6のなかの「明治」という語についての注意喚起、子規の用いる明治と、私たちの時代区分としての明治との差異のことなどを考え合わせてみると、『赤光』の「読まれ方」について、私たちにも見えてくるものがある。
 つまり、初版『赤光』を読んだ読者と改選版『赤光』その他さまざまな『赤光』を読んだ読者たち、それぞれの間にある差異。この差異は、じつは『赤光』そのものの差異として反映されるはずだ。読者が違えば作品も違う、ということを、短歌の世界ではなかなか信じようとしなかった。「作品中心主義」=作者中心主義の時代がようやく終り、読者の側にたって短歌を読もうとする時代が始まったのだと思う。
 
 小高賢さんは十二月号「時代遅れと短歌への一体感」という文章で、自分自身が「壇」の者であることを嘆きつつ、最近のシンポジウムの不在を指摘している。歌人同士の一体感がなくなった、と。小高さんのいう熱気溢れるシンポジウムに、私はいっさい参加していないので、詳しく書けないが、シンポジウムとは作者中心主義の場所ではなかっただろうかと、ふと思う。あれは読者を疎外する場所でなかったか、と。一方、加藤治郎は『昏睡のパラダイス』を小脇に抱え「パラダイスツアー」などと称して、大阪・名古屋・東京へ行脚しながら批評会を開いた。カラオケのレッスンに行く演歌歌手とか、しよせんは仲良しクラブだ、という謗りもあろう。しかし、私は読者中心主義という意味で、歌人たちが「一体感を持つ」シンポジウムよ
り、加藤のツアーのほうが好きだ。

  もういちど『赤光』に戻る。斎藤茂吉が改選三版『赤光』を定本とする、と宣言したとしても、初版『赤光』を読んだ読者の「読む楽しみ」を奪い返して改変することは出来ない、というごく当たり前のことを、私は構造主義的という大仰な言葉で書いているわけだ。 中村稔さんと岡井隆さんの特別対談の中で岡井さんは「男どもが『赤光』を、まるでバイブルみたいに崇めてポケットに入れてあちこち持ち歩いたというのは、当時の男どもが共感したから」という発言も、読者中心主義という意味で面白い。
 
 年鑑では「口語・文語」のことも取り上げられていた。これを対立概念として扱わないでおこうという論調が中心。私は口語体短歌であるからこそ、短歌のなかにいろんなジャンルが生れそうな気配を感じている。たとえば、俵万智の『チョコレート革命』と林あまりの『ベッドサイド』俵はここで不倫のドラマを書こうとし、林はポルノグラフィーを書こうとした。このジャンルとしての距離。
 
 さらに年鑑では、岡野弘彦さんと森岡貞香さんが宇宙飛行士向井千秋さんの句に触れていらっしゃった。
   
    宙がえりなんどもできる無重力
 
 岡野さんは「広く若い世代にむかって短歌の活性化をうながすことになる」とお書きになり、森岡さんはやや批判的に「文章語という言葉の領域が侵蝕されてきた」とお書きになる。あの句はダメだね。日本語としての文脈も奇妙であるし、そもそも、視聴者=国民の皆さん、私についておいで、という指示が強過ぎる。これに下の句を付けた短歌が出来あがるとしたら、言葉の悪い意味で「短歌なんかこわくない」ということになろう。
 
 インターンネット上で、向井さんの句を発句にして連句を作ってみようとしたが、どうにも付けることが出来ない。句を付けるためには前句の世界を「生き直す」必要がある。向井さんの句の世界(露骨にいえば、はしゃぎ過ぎ)を私たちは生き直すことができない。
 連句については来月も書こう。


歌壇時評   角川「短歌」1999/三月号
脱・短歌の大衆化時代


 角川「短歌」で、また新しいキイ・ワードが誕生した。「脱ぐ時代」。
 
 馬場あき子・栗木京子・小島ゆかりによる「平成女歌の元気を語る」という鼎談のなかで、小島ゆかりが「女は時代を乗り越えるときにいつも体を張っているような、極端に言えば一枚脱いで先へ進むような越え方をしている」という発言をしたところから来たもの。もともとこの発言には「女が脱ぐ」という、やや刺激的なイメージを誘うところがあるし、いかにも作者中心主義的な発言でもあるが、いろんなところで、小島の意図とはすこし違った意味で引用されている。読者論と作者論をごちゃまぜに混乱させ、しかもかなり下世話な用語として流布してしまったようだ。

 この鼎談は、この部分以外にも面白い部分があったのだが。たとえば、佐佐木幸綱の『呑牛』に触れながら、栗木は「百人一首」に残るような作品はない、と述べ、馬場は「うまい歌ばかりねらうのは間違いなんじゃないかしら。」と述べ、佐佐木の「日録」の部分は評価し、さらにそこから「一般性」と「秀歌性」やジャーナリズムとの関係についてじつに正直な語り口で話している。
 
 繰り返し書くが、私は純粋読者=読者中心主義の立場で、この時評を書いている。この立場からすると、馬場あき子が、『呑牛』について述べている部分「現在は歌を作る人の範囲が広まっているので、自分の作った歌がいい歌か悪い歌か、そんなことはどっちでもいい人もいるんです。とにかくこういう場面で、自分はこういうふうにうたいました、どうですかっていう共通の絆として歌が存在している」というのは戴けない。
 
 純粋読者というのは「短歌の大衆化」を嫌う者と言い換えてもいい。「短歌」一月号にはもうひとつ鼎談があり、小高賢・穂村弘・吉川宏志たちが、大衆化現象と「秀歌」・「駄作」について、突っ込んだ応酬をしている。ここでも『呑牛』が例に。吉川は「一首の出来栄えはどうでもいいんだ、というところがあるでしょう。なんでこんな歌を作るんやろと思うのがある。名前がバックにあるから駄作が生きてくる、ということがあるかもしれない」と述べる。
 『呑牛』の、試みとしての部分はここで考慮しないでおくとして、いわゆるメジャーな歌人たちに駄作が多くなってきたことは、短歌の大衆化の大きな弊害ではないかな。大衆という言葉を「短歌など誰にでも作れると考える多くの人」と言い換えてみると、この関係は見えやすい。
 
 三月号に正月のテレビ番組の話題とは間が抜けたことだが、NHK教育テレビの「おもしろ俳句・短歌塾」(一月三日放送)を例に出す。
 俳句側、金子兜太・稲畑汀子・藤田湘子、短歌側、岡井隆・馬場あき子・佐佐木幸綱の選者。俳句側のことは書かない。選者詠も今手許にあるが、これも引用しないでおこう。純粋読者=視聴者に、おお、これが現代短歌の見本か、と膝を叩かせるほど力のある作品ではない。むしろ「歌人俳句」という番組の中でのゲームを引用してみよう。
 
  耳ふせて大きな兎眠りけり
            岡井隆
  兎とぶ北の海ありもやひ船
          馬場あき子
  雪の空港発ち来し吾に白うさぎ
          佐佐木幸綱
 
 なるほど、歌人の俳句は「切れ」がないのだ、というジャンル間の差異を気づかせてはくれるが、切れ味そのものもない。番組の中のゲームだからこそ、歌人たちの文芸の「ちから」を見せて欲しかった。
  
  山々を見おろしながら思い出す
  幼き日々の砂場の遊び
 
 この短歌を、作者名を伏せて読むならば、中学生レベルかな。これはNHK番組のなかで再度引用された向井千秋さんの短歌。

 短歌の、文芸としての「ちから」を衰えさせているものがある。それはあきらかに「短歌の大衆化」と、それに伴う「作者中心主義」だ。短歌は誰にでも作れるよ、ということを伝導するために、メジャーな歌人たちが、いたずらにレベルを落としてみせるとすれば、短歌の不幸だ。
 
 読者中心主義的に言えば「脱ぐ時代」とは作者が脱ぐのではなく「脱ぐ女を描く」時代と考えたい。



歌壇時評   角川「短歌」1999/三月号
ふたたび閉じてゆく。

 角川『短歌』の二月号は「女流短歌の現在」という特集。面白い。まず、この特集の書き手が、佐佐木幸綱さんから穂村弘さんまで、全員が男性であること。

 今もなお女性の短歌作者は男性の短歌作者の「認知」を必要としているのだろうか?とか、女性の書き手による「女流短歌の現在」という特集があってもいいし、女性の書き手による「男性短歌の現在」という特集もあっていいとか、いろんなことを考えさせてくれる。

 もちろん、書いている男性陣の多くの方が性差などもはや無用、と考えていることも解る。このあたりの事情を、もっとも的確に書いているのは、篠弘さんの、次の個所。

  七十歳代から三十歳代にかけて質量ともに女歌が歌壇の基調となっているという、近代短歌以来稀有なる現況で ある。かりに男歌がその方向づけを担っているとしても、男歌自体が女歌と近接していることはまぎれもない。

 現在、いろんな意味で女性の作者は元気がいい。政治や思想という突支棒を失い、経済的にも破綻した男たちは、短歌の中でひたすらぼやき、嘆いているだけのように、見える。

 この特集のなかでは、荻原裕幸さんの用いる「短歌のなかの横糸」という言葉と、穂村さんの用いる「そら宙の知恵の輪」という言葉がもっとも刺激的だった。横糸とは、一行の詩である短歌を横に読ませる力。知恵の輪とは、若い女性たちの作品に見られる(成就を超えた)絶対的な愛への希求。ふたりの書き方はずいぶん違うが、二つは出口で結びつく。なぜなら、穂村さんが、最も美しい知恵の輪と評価する早坂類の短歌はもっとも横糸の強い作品だから。

 私は最近、ここに取り上げられた女性作者よりさらに若い世代の短歌を、集中的に読んでみた。ほぼすべてが恋の歌。愛への希求は、いよいよ強くなり、横糸は弱くなる。「横糸」というキイ・ワードを「物語性」と読み替えてみよう。近未来の短歌は「愛の物語」を描けない。彼女たちの短歌は、「君(あなた)」に語りかける呼びかけのように見え、しかもその声が虚空にとどまったまま行方の見つからない、不思議な閉塞感を感じさせる。なぜか。それは彼女たちの中で「君(あなた)」=男が壊れてしまっているからだ。

 たとえば、一首の短歌のなかに二人の登場人物(恋人同士)がいきいきと描かれる短歌は、ふたたび激減しはじめる。荻原さんは、葛原妙子の短歌について「『われ』をも他の対象と同じレベルに置くもう一人の『われ』の複眼的な操作」という点を指摘している。この部分は、荻原さんの文脈とは、すこし離れた引用かもしれない。しかし、こうした複眼的な操作、あるいは「われ」を客観的に描こうとする視点が、若い女性作者には、驚くほどすくない。

 「横糸」というのは「物語性」であるとともに「時系列」的な視点でもある。角川「短歌」で、小池光さんの書いている「『太陽の季節』の短歌」(寺山修司と「平気」の青春)。小池光が、机の上に昭和二七年から三四年までの年表を広げている姿などを想像させて、楽しい。白井義男から、インスタントラーメンまで、時系列にならべてみると、寺山だけを見ていては気づかなかった石原慎太郎の存在に気づく。「太陽の季節」と置き並べることで、寺山修司の短歌の、あかるい「秘密」がすっかり解る。出色の文章だ。

 いま、寺山修司は可能か。小池さんの書くような意味での寺山短歌は可能か。それは謎だ。しかし、「現実と虚構を反転させようとする意識(小池)」に、私たちはもう一度注目してよいのではないか。

 歳若い女性たちの短歌が、彼女たちの内側で閉塞した感じである、と私は書いた。じつは、これは若い女性に限るものではない。現在の多くの短歌がそうなのだ。現在の短歌の中で存在が許されるのは「私」だけ。その私は他者(たとえば恋人)の検証にさらされることもなく、作者自身によって客観視されることもなく、時系列(=現代の情況)上に展開されることもない。かけがえのない「許された、一人の私」。だから、短歌は虚空に向かって呟くように書かれる。

 前にも書いたが、私(たち)はインターネット上で連句を作る。連句は他者に向かって開かれる。他者の言葉が「私」のなかで咀嚼され、反芻され、「閉じる」ことがない。

 短歌も、本来はこうした、開かれた文芸だったはずだ。