表層短歌宣言
1990/1「短歌人」掲載
『歌壇』の、玉城徹氏と小池光の対論は、終始おたがいを理解しようとする姿勢に満ちた、柔らかく、紳士的な対論であった。しかし、あることがらを相手に伝えようとするとき、そのことがらの裏側が思わずも伝わってしまうというかたちで、「有能」「無能」という対論の発端になった語句の概念をはじめとして、国家・歴史・階級(プロレタリアとブルジョワ)・大衆社会などに対する二人の考え方には、著しい相違が認められもしたのであった。
玉城氏は対論の最後に「基本的な点に閑して、小池君の考えと、わたしの考えと、そんなに大きくくい違っているわけではなかった。ただ隠退の年齢に達しているわたしと、これから自分の道をきり開いてゆくべき小池君とでは、感じ方に多少の差が出てくるのはやむを得ない」と書くのであったが、二人の考えの相違はその程度のものではないように、私には思われる。
国家や階級や自分自身を重層的で流動的なものとして抱えようとするか、流動的にみえるそれらを二元論的な認識へとり纏めようとするか、二人の考え方の相違はここにある。玉城氏が「あれか、これか」という考えを伝えようとし、小池は「あれも、これも」という考えを伝えようとしている。私にはそのように思われる。
玉城氏の考え方と小池の考え方を、私の読み得た理解のかたちで書き出してみよう。
1 (発端)玉城「歌人にして、しかもキャリアマンなんていう結合の何というグロテスク」(「歌壇」一九八八年十一月)
2 (質問)小池「一面において実務有能人かつ同時に真性の芸術家という存在はあり得ないか」(「現代短歌雁」九号)
3 玉城「プロレタリアート=無能者の側の身をおくとき、現代の<階級闘争>の戦略が必要となってくる」(「歌壇」四月号)
4 小池→衣食足りてしまった現代の日本では、国家意志とパラレルに<有能>であることも、逆向きに無能であることも、どちらも無意味になった。<プロレタリア><ブルジョワ>というような概念でくくられる対象は実体としてありえない」(「歌壇」五月号)
5 玉城「<大衆社会>とは一部特権的な人々−テクノクラートを核とする-が、自分の好きなように世の中を動かそうとするため に仕掛けた<神話>的装置にすぎない」「プロレタリアートは、沖縄人、朝鮮の人々、外国人就労者など、ヒロシマ、アウシエビッツを星座極とするかたちで、日々に再生産されている現実の存在である」(「歌壇」六月号」)
6 小池「ぼくらは注入されたイデオロギーとして、ブルジョワ、プロレタリアといった概念の無化に出会っているのではない。ある時はプロレタリアとして、ある時はブルジョワとして生きていくほかないのが現在のぼくらである」(「歌壇」七月号)
7 玉城「いかに高度であろうとも、資本主義であるかぎり、ブルジョワとプロレタリアという階級関係は存在しないわけにはいかない。それを把握するのは理論の力であって、日常生活実感ではない」「短歌の作者とは、こうした理論に対する熱意をもって生き続ける知識人であるべきだ。結論は、自分をプロレタリアの側に置くべく心掛けるという一事につきる」(「歌壇」八月号)
8 小池「プロレタリアートの側に自分を置くというのが、ただオモウだけならば、玉城氏の論理は緊張と徹底性を欠いている」「玄人になることを忌避して、どうやって素人を貫く道が有るか」(「歌壇」九月号)
9 玉城「わたしの短歌はゴマメノハギシリなのだ」「これでも努めたんだよ。何かしようとしたのだ、政治に社会運動に文化活動に。やってみると結局はダメなんだ」「無能老の位置に自分を置くというのは凄く怖いことなんだ。これは理論じゃなくて、実感の問題だ」(「歌壇」十月号)
こうした引用には、すでに引用者の解釈と偏見が入混じってもいるのであるが、とりあえず玉城氏の論旨に添ってこれらを経めてみると、
無能者=披抑圧者=プロレタリア=文芸における素人
有能老=抑圧者=ブルジョワ=文芸における玄人
という、ふたつに区分けされた図式がつねに存在しているようにみえる。つまり、この二元論的区分けの境界が、一人にはあいまいであるが故に悩みをもたらし、一人は境界のはざまにもまれる苦悩を漏らすのが、この対論の姿であった。この対論を通読して、もっとも印象に残るのは、「小池君に資本論を読めなどと言っているわけではないが、せめて、岩波新書程度のものは読んでほしい」と述べ、すなわち、理論的に世界の関係を把握すべく論を進めた玉城氏が、対論の最後に露呈した「実感」の部分であるといってもいい。
対論をおだやかに終えるための挨拶、という要素を加味してみても、やはりここにみられる矛盾の亀裂は深い。小池が「プロレタリアの側に自分を置くのは、現実的実際的対処を抜きにしてはありえない」と、立場の在り方をただしたことが、たぶん玉城氏の最終的な応対に影響を与えたのであろう。玉城氏は、「わたしはオモウだけのものである」ということを認めたうえで、「実行力なき知識人を蔑すむ気風が、わたしたちが育った戦前の環境には、おどろくほど強かった。幼いわたしが、それにどれほど苛まれ、傷つけられたかは、測り知れないほどである」と述べるのであるが、これは、理論を超越した「実感」ではないか。すくなくとも理論の基準に流れる実感ではある。小池が述べるように「理論は生活実感という滑措で得体の知れない不定型な感情による日々のおびやかしに、あくまで堪え得るものでなくてはならない」はずであり、玉城氏の「理論」もまた、氏の「実感」に彩られていたはずだ。
歴史は、かつて、生産の論理をのみ扱っていた。対論の「古典的な意味合いにおけるプロレタリア・ブルジョワ」はこの時代の概念だ。それに対して、消費の側から読み直そうという発想が生れた。
小池の「自動車」の例はこの立場だ。この際、消費が世界を揺動かしてゆく、とみなすか、それとも消費は生産の側に操られているだけだ、とみなすか、によって社会認識のすがたはおおきく変わってくる。「高度大衆社会」という言葉を嫌い、「高度情報化社会」という言い方を選ぶ玉城氏の立場は、あくまでも社会の中心には核となるべき特権的な人が存在し、消費する大衆を繰っていると考える立場だ。小池が「国家意志はもはやありえない」と言い、玉城氏が「国家意志はむき出しにあらわれている」と述べる認識の違いはここから来ている。
このように、二つの人格によって、同じ世界が二つの方向に認識されるということは、それぞれの認識の方向が二つの人格をかたちづくった、ということのように思われる。したがってここで、玉城氏の「社会学的データを用いて、日本民衆の、特に費困者の実態を論ずることもできる」という、まさに実態的貧困者である私が、小池の論よりもさらにあいまいもことした認識のかたち−おびただしい「私」、あるときはプロレタリアあるときはブルジョワ、消費は生産を方向づけ生産は消費をあやつり、ぼんやりとしたイメージばかりが----などと述べてみても、お互いの人格に突きささる批評にはなりえないだろう。
ただ、玉城氏がみずから引用している、
夜の水を河伯上りてさまよひし跡跡に来て坐れば冷た
という短歌。これを読んだ時に、私は(河伯を一種の引用喩として)玉城氏の「虐げられているものの陰惨な息吹きが身近にじかに触れている時間を歌おうとした」という自解とはぼおなじような読み方をした。そのように読み、そしてさらに、「河伯のさまよひし跡跡」を「冷た」と感じること自体がすなわち差別ではないか、と考えた。「君のひがみ」と言われるだろうか。しかし、いま立っているこちら側の岸と河伯の世界との問には、暗くて深い水の境界がある。
玉城氏の短歌とともに思出したのは、
板髪となりたる髪に行くみれば光背の起源あるひはここに
という小池光の短歌であった。これもひがもうとすればひがめる内容ではあるが、無能者を無能者であると区分するところにも、無能者は神聖であるがゆえに無能者であると強弁するところにもユーモアはあるわけではなく、そのふたつを同時に認識するところにこそユーモアが生れるということだけはあきらかだと思う。
玉城氏は「知識人が無能者の側に立って」作る「素人の文芸」を良しとし、小池は「素人とは技術的にシロウトだとか、大衆歌人だとか、そういう意味ではない。一個の具体的な(知識としての)生があり、その生からのおのずから滴りおちるものとして、短歌がある、あるべきである」と述べる。このことについて私は、二人の真しな態度に敬意を払いつつも、強い疑いを感じる。「無能者」の側に立つためになぜ短歌のような様式性の強い文芸が選ばれるのか、「生から滴りおちるもの」をどうして様式の器ですくわなければならないのか。ざっくばらんに言ってしまえば二人ともこの楽しい「様式」をずいぶんたのしんでいるように見えるし、二人の読者である私もまたそれをたのしんでいる。短歌という様式性の強い文芸
を選んだとき自分にひっぱくしてある世界への認識とそれとのあいだに、ふかい亀裂が感じられるのではないだろうか。そのことが二人の対論に深いかげりをおとしているように思われる。
短歌が短歌であることによって私たちにおとす影、ということにっいては、坂野信彦氏の「深層短歌原論」(「歌壇」八月号)に触れておきたい。
坂野氏の、短歌のリズムについての分析は小池の「短歌現代」の評論を批判するかたちで「詩法」八号に発表されたものを含めて、別宮貞徳の『日本語のリズム』や川田順造のモチ入り二拍子説しか知りえなかった私たちにたいへん有意義であったことを認めておこう。しかし、「深層短歌原論」は、前半部の小池以下十人の作品を「日常意識に縛られている」という一語をもってなで切りにする乱暴さをはじめとして、かなり矛盾に満ちた文葦だ。「有能・無能」の例に依って、「日常・非日常」「表層・深層」という区分が私たちにそれほど明瞭であるかどうかを疑ってかかってもいい。
たぶん日常的意識だと明白に思われる意識もつねに深層の意識に揺さぶられているはずだ。坂野氏は、ひととき流行した「右脳・左脳」の分類まで援用して「純粋に感性的な反応を志向する短歌形式は、あきらかに右脳の無意識的な感性にはたらきかけようとする」と述べるのであるが、『右脳をきたえる』というのが惹句としていかにみごとであろうと、言葉で書かれた短歌を「右脳」に読取らせることはできまい。さらに「短歌の単調なリズムがトランス状態を誘発し、霊的超常的体験にいざない」そのためには「作品の歌意や体裁などどうでもいい」と書かれたのを読むと、すでに私は「坂野氏の思うところを押進めていくと、ゾウリムシの軌跡が生じる」(「短歌人」八月号)と書きもしたのであったが、あらためて、
(リズム伴奏つき)
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これこそ究極の「深層短歌」に思えてくる。これに比べれば、
憶年のくらやみふかくつたひつつものおともなき音がしてゐる
という、坂野氏が自ら引用している短歌(私はこの歌が好きだが)などまだまだ「意味」による時間と「意味」による明暗と「意味」による音をかんじさせてしまうではないか。私は悪い冗談をいっているつもりではない。そもそも「深層」や「純粋」と、明瞭に区分けする行為にひそんでいる偽まんを棲んのすこし指摘したかっただけだ。
しかし「深層短歌原論」について私がもんだいにしようとするのは、じつはこういうことではない。それは、一言で言ってしまえば、坂野氏がなぜ今「短歌の原理」を追求しようとするのか、ということだ。
「短歌形式はその主要な機能のすべてにおいて、概念的な意味の構成を阻害し、純粋に感性的な次元の反応を喚起することを志向しているといえよう。概念的、規範的な認識を抑制し、隠された感覚や情念を喚起すること。さらには、意識下のふかみにはたらきかけて、深層にひそむ超常的な感覚をよびさますこと。これが短歌形式の本質的な機能能である」と坂野氏は書く。
「超常的な感覚」はいざしらず、短歌形式の「形式」そのものに注目する点では、私は氏の「原理」を求めざるをえない気持ちをかなり理解できる。ドドイツから心理学療法まで援用して、私たちにはすぐには実感できない「形式の原理」を追求するほとんど恐竜の復元とみまがうような情熱の源泉は、「なぜ短歌であるか」ということにつきる。
短歌が短歌であること、形式が形式として機能することを、私もまた強く考えたいと思う。そして、坂野氏の論に倣って(いかにもパロディ風ではあるが)次のようにこそ言いたい。
短歌形式は、その機能として、概念的な意味の構成を促し、純粋に感性的な反応を隠蔽しようとする。概念的、規範的な認識を喚起し、意識下の感覚や情念はこれを隠蔽するように働く。
まさにそうではないのか。坂野氏が論のはじめに、小池たちの作品を「日常的規範に縛られている」と批判したことそのものが、私の述べることの証明ではないか。坂野氏が自分の立論の単独隆を「わたしの主張に同調する歌人はひとりもいまい」と嘆くのであったならば、なぜ、氏の批判する「日常的規範の氾濫」が短歌の「形式」そのものによって促されたものだとは考えなかったのだろう。
短歌はその様式として、「無能老の側に自分を置く」などという偽まんを許すほどに演技的であり、できあいの概念的なことばをきわめて構成的にはりあわさせるように私たちを促す。短歌を書く、ということは、このことを自らひきうけることだと、私は思う。
だから小池のように、「生からおのずから滴りおちるものとしての短歌」などと、あまりに非のうちどころなく述べるよりも、「短歌形式がうながすようにして言葉を発する」と言ったほうが、もっと実感的だ。
短歌を書く時、あらゆる人は玄人である。「商品」であるかどうかはべつとして、私たちは短歌をいくらでも量産できる存在であることを、深く、苦く、認めるべきだ。そしてそれでいいのだ、と私は思う。ほんとうはすでに失語状態におちいっている私たちに、たわむれでもいい、とりあえず一語を、と誘うことが、様式としての短歌のすべてだと思われるから。