「深読み」と「誤読」

短歌人1998


 さて、私宛に、小池光さんから次のような指示が届いています。
 

 
 そこで、私はいわゆる「テクスト派」と呼ばれる人たち(短歌人でいえば、私や梨田鏡さん?)の「ポストモダン」路線を修正するような方向で、いや、厳密に言えば「テクスト派」についての誤解を解く方向で書くことになります。 

 はじめに「テクスト」という言葉について書いておきますね。これは、もちろん「織物」という言葉が原義。たとえば、ひとつの作品を「ひとりの作品」として読むのではなく、「複雑な織物」として読むということから来た言葉です。この言葉を、もっとも馴染み深く語ったのはロラン・バルトだったのですが、彼の考えを一言で言うと、書かれたものを「作品」と呼ぶ場合には、その作品は、あくまでも「作者」の所有するものであり、読み手は「作者」の意図どおりに読まなくてはならないが、書かれたものを「テクスト」と呼ぶ立場に立つと「テクスト」は作者によって構築された一義的な完璧な世界ではなく読み手が参加することによって、流動化し変形してゆく、そういう世界だ、ということになります。
 
 そこで、こういう「テクスト派」の立場を拡大解釈すると、読者は書かれたものを、どのように読んでもいい、という誤解が生じることにもなりました。今、私はテクスト派(読者中心主義と呼んでもいいかな)の誤解を解くようにして、書き始めています。
 
 たとえば、読み手の都合による「誤読・過剰解釈」ということがありますよね。これについて、ウンベルト・エーコは
 


と書いています。これは、短歌を読む場合にも、私たちがしばしば経験することですね。読み手のその時の気分によって短歌の理解はさまざに変化します。こうした読者をエーコは「経験的読者」と呼びました。経験的読者とは、言ってしまえば、現実世界にいる私たちすべてのことです。つまり、作品をどのようにでも読める読者のことです。一方、ウンベルト・エーコは、こうした気ままな経験的読者に対するものとして「モデル読者」という存在を定義したのでした。テクストの中にあるルールに従って、共同作業者として読み進む読者を、このように呼んだわけです。作者はテクストのなかに、「このように読んで欲しい」という指示を指し示しているはずだ、と彼は言います。テクストを読む行為は、たしかにゲームではあるけれど、それは書き手と読み手が同じルールでゲームに参加するものである、という考えです。ちょっと考えるとエーコの提案は、いわゆるポストモダンの路線から、ひどく後退したような印象を与えます。しかし、私はこの頃、エーコの考えに、強い親近感を感じています。

 とくに短歌のような短い詩形にあって、読み手が「モデル読者」であるということは、たいへん重要なことであると思われます。
 
 さらにウンベルト・エーコは「経験的読者・モデル読者」に対するものとして「経験的作者」・「モデル作者」という区分けを提案しています。経験的作者・モデル作者については、後ほど、岡井隆さんの『ウランと白鳥』に触れる際に詳しく書きたいと思います。ここで、あらかじめ、この文章の結論部分を書いてみると、テクスト派(読者中心主義)は、「経験的作者」とテクストとを切り離そうと躍起になるあまり、「モデル作者」の示している暗号・ルールを見落としていたように私には思われる、ということです。
 
 たとえば、小池光さんの歌集『日々の思い出』のなかに
 


という短歌があります。この短歌を、私は永い間「われは(自転車に乗って)走る」のだ、と読んでいました。この短歌のどこにも「自転車に乗る」とは書いていないのだから、あきらかに過剰解釈=深読みです。しかし、ここで大切なことは、経験的作者が埼玉県蓮田の駅前に住んでいるから、自転車には乗らない、と考えるのではなく、「Herpesを背中にしょいて走る」場合、経験的読者(私)ならば自転車に乗るだろうと考えるのでもない、ということです。

 モデル作者(小池)が、テクストのさまざま部分で、この場面では自転車には乗らない、という指示を与え、モデル読者(私)がそれを見落としていた、ということです。一方、モデル読者(私)は、小池光のさまざまな作品(テクスト)から、
 


さらには、


というような歌集未収録の自転車の登場する短歌までを統合して、小池光は「必死になって自転車を漕ぐ」というモデルを設定していたのでした。私の「読み」はいささか過剰解釈ではありますが、けっして「誤読」ではないわけです。

 ある日、小池光さん本人に「 Herpes を背中に〜という作品は、どうしても自転車に乗っているように読めるのだけれど、何故かなあ」と、私は尋ねました。「走る、から来るのかなあ。しかし自転車はあの時には意識しなかったなあ」と小池さんは答えました。これは、この文章にとって、どうでもいいような寄り道ですし、無意味な応答のようにも見えますが、電話の両端にいるのは「モデル作者」と「モデル読者」であると考えてください。「事実」を確認したのではなかったのです。そして、モデル読者は、常にモデル作者の「意図」どおりに正解を導き出すというものでもない、ということを確認しておきたいと思うわけです。
 
 さて、岡井隆さんの歌集『ウランと白鳥』は、経験的作者・モデル作者というウンベルト・エーコの提出した分類を考える際に、とても刺激的なテクストであるように思われます。歌集の最初の章「ウランと白鳥」は次のように書き出されます。
 
    一九四二年八月十八日、プルトニウム、シカゴにて出生。


    一九九六年十一月十五日青森県六ヶ所村原子燃料サイクル施設視察に加はる。


 ここで、経験的作者とモデル作者ということについて確認しておきます。世界最初の原子炉は E. フェルミらによって、シカゴ大学構内に一九四二年に作られ、その構造からシカゴパイル No.1(CP‐1)と呼ばれた、というのは経験的作者=岡井隆の知っている「事実」です。
しかし、その事実を「一九四二年八月十八日、プルトニウム、シカゴにて出生。」と、歌集の冒頭に詞書で書いているのはモデル作者=岡井隆なのです。

 また、一九九六年十一月十五日に青森県六ヶ所村原子燃料サイクル施設の視察に参加したのは経験的作者としての岡井隆さんです。一方ここに「一九九六年〜加はる」という詞書を書き、短歌を書いているのはモデル作者としての岡井隆さんである、と考えるわけです。
 
 なぜこのような、一見当たり前のようなことを、あらためて区別してみようとするかといえば、経験的読者(私たち、なかでも『もんじゅ』や『ふげん』を含めた原子力発電所がひしめいている地方に住んでいる私)には、六ヶ所村は、このままこの国の原子力政策が変更されないかぎり、プルトニウムの墓場になるしかない、ということがあきらかであって、そのような施設にのこのこと「視察」に行く経験的作者=岡井隆を、『ウランと白鳥』を読む前に批判したり、揶揄したり、笑ったりすることが可能だからです。
 
 「誤読」の多くの要因は、テクスト以前に、経験的読者の側にあります。たとえば『ウランと白鳥』を読もうとする方に、次のように尋ねてみましょう。

 1、「ウラン」と「白鳥」は似たもの同士であるか?
 2、「ウラン」と「白鳥」は対立するものであるか?

と。おそらく経験的読者である私は、2、と答え、モデル読者である私は、1、と答えることでしょう。うっかりすると、私たちは白鳥=善玉、ウラン=悪玉、という先入観で『ウランと白鳥』を読みます。
これが、「誤読」の始まりなのですね。

 私は始めに、「テクスト派」の誤解を解くようにして書きたいと述べておきました。どのような読みでも可能、ということはない、と。『ウランと白鳥』をテクストと考えるならば、『斉唱』からここに至る岡井隆さんのさまざまな歌集も、そのテクストに含まれることになり、それらテクスト(の縦糸)を通して、モデル作者=岡井隆は、モデル読者に読みの枠組みを与えているはずです。
 
 また、小池光さんには、「鑑賞・現代短歌 岡井隆」という労作があります。たとえば、白鳥については、

という短歌を引用して、小池光さんは次のように書いています。

 明らかにここで白鳥にたとえられているものは、建国間もない中華人民共和国であり、アジア民衆のかがやかしい民族解放闘争であ る。それが、いま死に瀕している。彼女を電話に呼び出して何かいってやりたい。はげましと声援を送りたい。白鳥伝説は世界中にあり、わが国の羽衣伝説もその一種だが、いずれの場合も白鳥は聖なるもの、汚れないものの処女性をシンボライズする。海のかなたの人民共和国に、白鳥に体現される聖なる大地をかさね、その存続の危機を感じている。
 
と。また原子力発電所については、


という短歌を引用して、小池光さんは次のように書いています。

 夕方になって家々のあかりがつく。遠くの方から原子炉がそのエネルギー供給のために動き出す、そんなひととき。その灯火のもとぬっと魔女があらわれる。中世の暗黒に棲む魔女と、現代化学文明との衝突がおもしろい。その魔女を作者は膝の上に抑えている。じたばたする魔女を押え込んで楽しむ風情である。

と。そして、これらの小池光さんの解説もまた『ウランと白鳥』のテクストと考えることができます。
 
 『ウランと白鳥』のなかの、

    若き日に、理科の教室にありしことあり。


という短歌は、『斉唱』の、(一九四七年頃の作品)


という短歌と、遠く繋がっているとも考えることができます。(この部分、小池純代さんの示唆による→★)「核」については、他にも


という作品もあります。

 もちろん白鳥についても、このようなテクストの縦糸を探すことができます。

というような、さまざまな作品があります。
 
 岡井隆さんは、こうして永い期間短歌を書き続けることによって、自然にモデル作者になったというばかりではなく、むしろある時期から、きわめて意図的にモデル作者として振舞おうとしています。


この作品は、経験的作者とモデル作者の二重構造を、まるで図式的に示しているようにも思われます。

 さて、読み方の手順を考えているうちに、ほとんど本論に入る前に予定の枚数が尽きました。


 『ウランと白鳥』のウランと白鳥は、どちらも渡来者である、とモデル作者=岡井隆は言っている、ということだけを書いておきます。
 
なんだか中途で書き止めた感じでごめんなさい。



この文章のスタイルや紙幅の都合のため、注釈はつけませんが、いろんな方から電子メールで教えていただいたことがあります。小池光の「自転車」の件については、荻原裕幸さんと多田零さんに、『ウランと白鳥』については加藤治郎さんや小池純代さんたちに、多くの部分を負い、断りなく引用した個所があります。