反・ツーリズムとしての風土          2000年 角川『短歌』                 



◆ふたつの貝殻節
 「何の因果で、貝殻漕ぎなろうた、色は黒うなる、身はやせる」という文言が人口に膾炙した鳥取県の民謡「貝殻節」に、普段はあまり唄われない歌詞や節回しのあることを知った。いわば、『流布版・貝殻節』と『本歌・貝殻節』と呼んでもいい。『本歌・貝殻節』には「千乗れ万乗れ、貝殻よ、よんべ昨夜も乗ったがまた乗るか、貝殻しだいで、また乗るよ」(注*)というバレ句めいた導入部がある。この『本歌』を聴いたとき(注**)、民謡の素人である私たちにもっとも解り易い差異は、その「声」であった。それは、太く、低く、しわがれていた。

 そもそも『貝殻節』とはどのような民謡であったか。鳥取県東部の毛高地方の沖合では、十〜三十年の周期で、大量の帆立貝が発生する年があり、その年には沿岸の漁師たちがこぞって、馬鍬のような漁具による底引き漁でこれを採った。このときの舟を漕ぐ漁師の歌った労働歌が『貝殻節』であった。そうだとするならば、声帯そのものが潮風に晒され、太陽に焼かれたような『本歌貝殻節』の声こそ、「風土」のなかの貝殻節に相応しい声といえよう。

 竹内勉は(注**)、東京オリンピックの年を境にして実際に馬を牽くことを知らない『馬方節』の歌い手や、船を漕いだことのない『貝殻節』の歌い手しかいなくなったと述べる。たしかに、その通りだ。貝殻節は船外機付きの船に、馬方節はトラックに、その座を奪われた。
 これは民謡だけの状況ではない。短歌もまた、然り。

◆「風土」と「風景」
 ある地域に住み、そこから他の土地へ移り住むことのない人々がいる、と仮定してみよう。そういう人々にとっての、その地域の「風景」や「気候」が、この特集として採り上げられるべき「風土」だ、と考えてみる。

 ふうど【風土】とは、辞書的に言えば「その土地固有の気候・地味など、自然条件。土地柄」ということになる。これは、そこに住む人との関係に拠る用語だ。周遊旅行・ツーリズムの側から眺めるのは【風景】だろう。ツーリズムの気分で、「北陸・山陰」地方を眺めるならば、妙高・赤倉、黒部・立山、白山、大山と続く日本列島の背骨を後背にした田園と、段丘・岸壁・砂丘・湖の続く海岸線の風景は美しい。たとえば海岸沿いを走る北陸自動車道はじつに美しい景色の道路だ。ことに初夏から晩秋の間は。

  日本海側に出ると、横なぐりの吹雪模様になった。時
 折、荒れる海が見えた。青というよりむしろ鉛色をした
 海は、雪よりも白い牙を剥いていた。
  親不知海岸では、まるで海の上のようなところを高速
 道が通る。高波が押し寄せると、飛沫が上がって、車を
 叩くこともありそうな不安を感じた。
  冬の日本海側は目まぐるしく天候が変化する。富山市
 を過ぎる頃から天気は回復して、雲の切れ間から、眩し
 いくらいの陽射しが落ちてきたかと思うと石川県に入る
 と、また重苦しい雲に覆われた。

 これは、内田康夫『金沢殺人事件』の一節である。これが、ツーリストの視点から捉えた日本海側の冬の風景。内田康夫には、『佐渡伝説殺人事件』から『隠岐伝説殺人事件』にいたるまで、北陸・山陰の風景を克明に描いたトラベル・ミステリーが数多くある。おそらくツーリストの視点から捉えたこの地方の描写としては当代随一であろう。

 では、このような「風景」、つまり内田康夫の描くような風景を超えて、定住者の視点から描かれた「風土」が、はたして現代短歌の作品に認められるか。これが、この文章を書こうとする時の私のテーマである。

◆雪の作品
 北陸・山陰にもっとも特徴的であろうと思われる雪景色の作品を抄出してみよう。
 新雪の野道をゆけば雪の啼く声の切なし靴に踏まれて
  新潟 「北方歌人」三月号       田村 保
 ひがな一日炬燵に籠る雪の日に夕餉炊かむと立てばふらつく
  新潟 「魚野」二〇四号        和田春美
 降りしきる雪に面を打たれつつ腰丈を越す朝の雪掻く
  新潟 「砂丘」五月号        島田千鶴子
 雪消えしにわばた庭畑にして雪大根抜きたる穴の幾つが残る
  新潟 「野径」五月号        相馬二三男
 囲い菜を取りし雪穴出入りする鴉と小鳥何をついばむ
  新潟 「石菖」峭峻号        加藤ヨリイ
 DD15型ディーゼル除雪車配備さる雪国越後に霜月は来て
  新潟 「河」一〇二号         仙田善雄
 荒み魂あらぶる朝の猛吹雪白鳥のこゑとぎれとぎれに
  新潟 「新潟短歌」          湊 八枝
 渦巻きて吹雪く彼方にゆれ動く狐火螢火木木の電飾
  富山 「紫苑短歌」第一三五号     宮崎滋子
 雪晴れて動くともなく白雲のただよふ仰ぐ如月の空
  富山 「ゆきぐに」春季号       館川数夫
 雪もなく雨も降らざる寒中を榾棚木の椎茸笠厚く生ゆ
  富山 「たてやま」五月号       正木称樹
 降る雪のだんだん白く目に見えて傘に重たしみぞれとなりぬ
  富山 「あさ」一〇七号        林 成子
 風雪となる気配にて昼なれど暗き畳に稲妻の射す
  富山 「海潮」四月号         山岸 昭
 春を残る雪の朝焼け遠山の杉の穂波の北がわしずむ
  石川 「凍原」五月号         松谷繁次
 梢より雪のしづれは次々に下枝に及び網なし光る
  石川 「新雪」四月号         津川洋三
 牡蠣殻は高く積まれてうす雪の消えたるのちをいよいよ白し
  石川 「新歌人」四月号        尾沢清量
 しばらくを淡く差しゐし日の昏れてゆうべおのずから雪となりたり
  福井 「百日紅」四月号        市村善郎
 雪止みて窓よりさし来る午後の日の電動ミシンの上にかがやく
  福井 「柊」五月号         大西美代子
 雪止みし束の間に見ゆるは遥かなる海にくきやか鋸岬は
  福井 「風」四七号         吉岡久仁子
 山峡のかひな腕は温かく雪解水あふるる里は父のふるさと
  鳥取 「青炎」復刊第十四号      西村俊朗
 明るすぎる海展がれり雪の峡を縫い抜け越えし列車の前に
  鳥取 「青炎」復刊第十四号      田中夏日
 雪のたわ峠かつがつ越えて男くる亡き父の声ふところにして
  鳥取 「静脈」四月号         西村喜久
 深雪を漕ぎ辿りたる山畑の梨枝膝のあたりより伸ぶ
  鳥取 「はまなす」第一六二号     岡本 肇
 竹群は雪に撓ひて向かつ家の夜の窓が見ゆひそかごとめき
  島根 「歌林」四月号         昌子 明

 「歌林」四月号の巻頭は「竹」という課題詠であるが、十七首中九首が、雪に撓い、雪に折れる竹を描いた短歌であった。たまたま私の読むことのできた諸誌が三月から五月にかけての発行であったこともあろうが、それにしてもさすがに雪の短歌の割合は多い。

◆風土と県民性?
 すこし古い資料であるが、祖父江孝男『県民性』(中央新書)には、雪の多い北陸・山陰の風土・気候とそこから生み出された県民性の共通点を指摘している個所がある。祖父江は、(p179)

  山陰というとだれでもまず、「暗い」とか「陰気」と
 かいうことばを連想するようだ。灰色の雲の低く垂れこ
 めた空と、そこに接しあった白く冷たい海の光とを、ま
 ず思いうかべる人が多いに相違ない。

と書く。これは、先に引用した内田康夫と相違ない。祖父江は、こうした風土がそこに住む人の性向を「陰気で、内向的、忍耐強く、勤勉」と分析するのであった。北陸四県についても、彼は、四県間の微妙な差異を指摘しながら、基本的には「粘り強く、勤勉だが、地味」と、書く。

 『県民性』の中には「越中泥棒、加賀盗っと、能登はやさしや人ごろし」という物騒な文言も引用されている。私の記憶では、「加賀のさんすけ、越前乞食、越中富山の薬売り」であった。ここで重要なことは、こうした皮肉文句が、「他郷」の人々との関係性のなかから抽出されたものであるという点である。この、福井にとって恐るべきマイナスイメージの言葉も、福井人に内在する性向ではなく、他郷の人の眼差しのなかで捉えられたものなのである。

 むろん、祖父江の分析は、交通往来の頻繁さやマスメディアの浸透圧によって、そのまま通用する状況ではない。
 この原稿を書くために、手に入る限りの北陸・山陰地方発行の歌誌を通読してみたのであったが、冷静に考えれば当然のことながら、その地方から他の地方へ旅に出た際の旅行詠の多さに驚く。叙景歌の半数近くが、自分の住む場所ではない他の地方を描いているのである。

 銀閣寺の砂庭を共に巡り行く東北なまりの女子高生等と
  鳥取 「鳥髪」十二号         上田礼子

これは、すこし古い(九六年)山陰ヤママユの会発行の雑誌に載った作品だが、現代の社会にあって、地方の風土がどのように流動化しているかの例として面白い。

◆帰郷者と定住者
 そもそも、本当にその土地を離れたことのない人がいるとしたならば、その人は、自分の風土を他人に伝えるような言葉で分析的に表現することはできない、と私は思う。
 たとえば、北陸・山陰の先行的歌人として岡部文夫のことを想う。岡部文夫は石川県羽咋郡高浜町で生れ、福井県春江町で亡くなった。遺族の方が寄贈しょうとした蔵書は春江町など福井県内の図書館に拒否されたようで、今は、富山県氷見市の博物館の学芸員が、ただ一人で整理保管している。このちいさなエピソードは、じつは岡部文夫が、福井においては、ついに他郷者であったことを示す。

 蚊帳を負ひて暑き北陸線をゆく吾は移民のごとき気持してをり
 能登の海の暗き冬浪をかなしめどつひにこの国にわれ住まざらむ
 冬の海の海石に騒ぐ浪白しふるさとは帰るところにあらざらむ

『寒雉集』に描かれた、このような激しい異郷者意識は、岡部文夫を終生とらえていたように見える。帰郷者というよりもむしろ移民・異郷者であるという視線が、北陸の風土を壮絶なまでの鮮明さで描いた岡部文夫の秀歌のみなもとであったように、私には思える。(注***)

◆地名(あるいは風土性)の表記される作品
 既に書いてきたように、短歌作品に「地名」が表記されるということは、じつは他郷の読み手に対して、自分の住んでいる土地を分析的に説明するのである、ということを私は承知している。しかし、せっかく「風土」の特集なので、ご当地の地名が登場する作品を抄出したい。注意深く読んでいただくならば、その地方に定住している者の、ツーリストとは一味違う実感が感じられることであろうか。

 宍道湖は冬の落輝にきらめきぬ墓地に佇みひたに寂しき
  島根「歌林」四月号          川瀬久子
 斐伊川の中州あへなく崩れ失せ雪解の水は音高く速し
  島根「歌林」四月号         新宮千雅子
 倉吉の人らやさしも相槌はうなづきながら だーぜー
  鳥取 「情脈」二月号         並河邦夫
 見遥かす羽合広野は秋終へて藁焼く煙遠近に立つ
  鳥取 「はまなす」新春号       安本優子
 何となく福井に出でて久々に娘食堂の扉開け入る
  福井 「百日紅」四月号        北野和夫
 お水送りも終わり弥生の半ばすぎ五月下旬のこの暖かさ
  福井 「風」十一年第四十七号     中山三郎
 愛発の関いづこに在りしと行く道の視界とざせり降りしく雪は
  福井 「柊」五月号          勝木四郎
 いかならむ世紀来向かう内灘の砂丘に冬の海鳴りひびく
  石川 「新歌人」一月号        梅田重雄
 藍色の弧もくきやかな海の線宙に浮き立つ立山はるか
  石川 「凍原」五月号        山崎国枝子
 勝ち鬨をあげたるように急行は警笛をひき倶利伽羅を過ぐ
  石川 「新雪」四月号        硲口とみえ
 布勢の湖いまだ水漬ける田のありてはるけき櫓の音幻聴なすも
  富山 「とやま文学」(富山文学賞佳作)中山登美
 高岡のおふくろの店に売る金時草モッコキウリの関西野菜
  富山 「越路短歌」六十八号(十一年) 吉野 緑
 いたち川唯一小石の中州あり狭まる水に魚影のはしる
  富山 「シリーズ・いたち川20」   島原義三郎
 氷見沖の連山の秀にいづる日を斑雪にしめる渚に見つむ
  富山 「紫苑短歌」一三五号     畠山満喜子
 戻り雪せわしげに降るひるひなか越中の国ここは白萩
  富山 「たてやま」五月号      谷吉ゆき緒
 洗車するわが背温めし春の陽がだいにち大日岳に雪庇の崩れさそひし
  富山 「あさ」一〇七号        林企志子
 取水口あるゆえ寄りしか流木の片よせられし黒四のダム
  富山 「ゆきぐに」(十一年)新春号   畔田正行
 庄川に釣りしうぐひを戻したる冬の底ひの冥さを想ふ
  富山 「海潮」四月号          古瀬生枝
 魚野川岸辺に風の吹き荒れて木々は葉裏の白きを見せる
  新潟 「野径」二月号        相馬二三男
 木枯らしの荒吹く沖の佐渡の端に痩せて小さくなりし日が入る
  新潟 「北方歌人」三月号       塩井三作
 国宝の阿弥陀如来の説明をする僧の妻佐渡出でずとふ
  新潟 「魚野」二〇三号        内山鶴子
 刈谷田川の浅き流れに大小の石がほっこり雪を冠れる
  新潟 「砂丘」五月号         中俣リン
 豊かなる水の穏しく光りゐるあが阿賀の野川を下る観光船ひとつ
  新潟 「河」一〇二号        上原千代子
 弥彦嶺をたちまちに覆ふ黒雲が銃弾のごと霰を散らす
  新潟 「石菖」 清晨号        竹野福一
 羽越線を走る電車の窓拭けば冬波砕ける暗き海見ゆ
  新潟 「新潟短歌」五月号      渡辺喜久子


注*メーリングリスト「ラエティティア」で教示された、浜田昭則の記憶による。
注**四月二六日のNHKラジオ番組。
注***岡部文夫については、三井修が「海潮」に、克明な研究ノートを連載中。

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