「どどいつ」のすすめ

2000「短歌人」

 短歌の「披講」「朗読」さらには福島泰樹さんに代表される「絶叫」など、短歌が声に出される読まれかたを考えているうちに、私はいつのまにか「どどいつ」の迷路に迷い込んでいた。名古屋の大須演芸場といううら寂しい小屋で、高座でこれを演じる芸人としては現役最後の一人とされる柳家小三喜松の都々逸を聞いたり、NHKラジオ第二土曜日の昼の文芸選評を通して創作どどいつの普及に孤軍奮闘している中道風迅洞さんの手法を借りて、ホームページ上でどどいつの作品を集めたりしている。

 都々逸節(調)の形は七七七五(三四/四三/三四/五)であるが、このかたちが俗謡のスタイルとして定着したのは隆達小歌(君が代はここに登場する)の時代よりもかなり後。しかし、いったんこのスタイルが出来上がると俗謡の世界を席捲した。「山家鳥虫歌」のほとんどすべては七七七五の形であるし、民謡のかなりの部分も都々逸のスタイルだ。山家鳥虫歌→民謡→歌謡曲→演歌という流れが一方にあり、他方には、明治時代の自由民権運動が絶頂を迎えたころ、時の権力者を痛烈に皮肉った都々逸が庶民のあいだでひそかに歌われていた、という創作どどいつの、文芸としての流れがある。演芸と文芸の間に切裂かれて今、どどいつ=都々逸は滅びようとしている。

 私たちがインターネット上で、初めて作ってみた「どどいつ」を引用する。一九九九年四月のことである。

  ☆折込み「ど・ど・い・つ」★

どこがどんなに どれほどいいか いってくれなきゃ つねるわよ          柳川
ドイツ生まれで ドナウで産湯  いっそ散りましょ ツングース          媚庵
どこに住むのか ドラマのなかで いつも刺される 津田四郎            そら
どこか遠くへ どこかの国へ いつかあなたを つれてゆく             泥鰌
どうせ嘘でしょ どうにもならぬ いっそ死のうと つたえてよ           泥鰌
土偶マニアの ドナルドダック 居るか居ないか 唾とばし             媚庵
どこへいくのよ どうしてなのと いつも尋ねず つつがない            小雪
どんなところで どうなったって 行くわあなたと ツングース           柳川
どんなところで どうなったって 行くわあなたと 津田四郎            柳川
どんなところで どうなったって 行くわあなたと 月の国             柳川
どこの誰だと 慟哭されて 伊東四朗を 連れてくる                そら
どこのどいつと 恫喝されて 言ってしまった 連れの名を             泥鰌
どれにしようか どちらもいいわ いずれおとらぬ つぶぞろい           柳川

 なるほど、短歌作者のはじめてのどどいつ。共同制作の故もあって、シュールレアリズム風の連想ゲームのようだ。

 とにかく、短歌の韻律や定型感覚のことを考えるときに、近世以来「唄われる」文芸の王者であった都々逸をもういちど見直してもいい。

 なお、ここまで、文芸としての創作どどいつを「どどいつ」と表記し、演芸としての都々逸を「都々逸」と書いてみた。これらに興味のあるかたは以下の参考図書をどうぞ。

『どどいつ入門』中道風迅洞 徳間書店
『どどいつ万葉集』中道風迅洞 徳間書店
『浮かれ三亀松』吉川潮 新潮社
『小粋な失恋』内館牧子 講談社文庫

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