「出来事」と短歌

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リアル・タイムのユートピア、それは地球上にあらゆる地点で、出来事を同時化することだといえるだろう。われわれがリアル・タイムで体験していることは、出来事ではなくて、出来事が等身大の規模で無力化し、亡霊となって呼び出されるというスペクタルである。出来事よおまえはほんとうに存在するのか?湾岸戦争よおまえはほんとうに起こっているのか。ジャン・ボードリヤール)

 数年前の短歌人夏の集会に、

 ボスニア・ヘルツェゴビナの行く末は夜の窓より穏やかならん

という短歌が発表された。作者の名前も覚えているが、この予言、あるいは期待がはずれた今となっては、それは伏せておこう。この短歌を読むかぎり、当時私たちの多くがボスニア・ヘルツェゴビナという耳慣れない「国」の名前
を、民族の独立として、あるいは「市民」の自主管理として、まるでユートピアのように感じていたと、錯覚しそうになる。

湾岸戦争は戦争としても、戦争という「見世物」としても大失敗だった。テレビ画面は、ほとんどがシミュレーション・ゲームと変わりがなかったし、唯一「生」の映像のように見えた(イラク軍が石油を流出したことによって油まみれになったとされる)海鳥の映像は、まったく贋物であった。多国籍軍が爆撃していたのは、そのほとんどがイタリア製の「模型」の戦車であった。そこで国連はCNNとタイアップして、ボスニアの戦争を「見世物」として完成させようとしている。J・G・バラードのSFのように。

『ウォー・フィーバー』は、「国連」というものは、ちょうど、天然痘のウイルスが突然変異を起こした場合を想定して天然痘の患者を残すように、戦争熱=ウォー・フィーバーの火種=ウイルスを絶やさないようにするための存在であり、戦争熱が絶えそうになれば「国連」自らが爆弾を仕掛けることもあるという話だった。

九月五日にNATOはボスニア・ヘルツェゴビナのセルビア人勢力に対して大規模な空爆を実施した。その理由として、国連保護軍は八月二十八日にサラエボの青空市場で百人以上のモスレム人が死傷したのは「セルビア人勢力によるもの」と断定したのだったが、じつは、その砲撃は「国連保護軍の空爆推進派による工作」であったことがほぼあきらかになっている。

湾岸戦争に比べればボスニアの映像は「見世物」として格段に勝れている。
しかし、残念ながら極東の島国に住む日本人には旧ユーゴスラビアの内部に存在していた複雑な対立の構造がさっぱり理解できない。

その極東の島国で、どちらも戦後最大といわれる二つの出来事があった。各テレビ局はまさに戦後最大の総動員態勢でこれにのぞみ、圧倒的に「リアルタイム」な映像を送り続けた。それはじっさいには「悲劇」であったが、あまりにも物凄いスピードで情報を知らされた私たちは、まるで戦後最大の「イベント」であったかのように錯覚させられてしまった。たとえば、阪神大震災のヘリからの映像は、多国籍軍による絨毯爆撃のように見えはしなかったか。現実に被災している人々のひとりひとりの痛みと、それをリアルタイムに撮影し、「茶の間」に送り込むためにのみ上空を旋回しているヘリとの間には、完璧な、残酷きわまりない膜がありはしなかったか。「出来事」は、一瞬のイベントのように過ぎ去って行く。

こんなふうな時代に、「出来事」を短歌で詠むというのはどういうことなのか。むしろ、「出来事」を描いたようには見えなくて、しかも透き通った悪意のように「出来事」が透けて見えてくるような短歌があるとしたらどうか。
 


この小池光の短歌について、これは昭和六〇年の日航ジャンボ機墜落事故という出来事を描いた短歌だ、という解釈があった。それはここ数年の間でもっともすぐれた短歌に関する評論であり、「ポスト・モダン」というあだばなのような風潮のなかにあって、正真正銘のポスト・モダン的評論というべき『犀に関する差異論的考察』の導入部であった。この梨田鏡の解釈は私たちを驚かせ、圧倒し、納得させてしまった。

日航ジャンボ機墜落事故について、私たちは何を思い出すことが出来るか。御巣鷹山という不思議な名前?圧力隔壁という飛行機の部分?乗客の中にいた有名人の名前?たぶんそうではなくて、私たちのもっとも多くが思い出すのは、現場に一番乗りしたフジテレビが放映した、生存者四人の救出シーンだ。これは機会あるごとに、繰り返し放映されているし、さらに情報通の人々は、そのなかの一人、川上慶子さんが、看護婦になって阪神大震及の被災者の世話をしていたことさえ知っているかも知れない。

しかし、日航ジャンボ機墜落事故の悲劇の現場はフジテレビが「リアルタイム」に放映した御巣鷹山ではなくて、「相模湾」だった。相模湾上空で尾翼のほとんどを失ってしまった飛行機が、操縦不能のまま三十分も飛んでいたのだった。私たちの想像力がすこしでも正常に働くならば、これこそが悲劇だったことを理解するだろう。

日航ジャンボ横墜落事故のボイスレコーダーが後になって公開された。

「なんか爆発したぞ」という機長の声から始まり、「がんばれがんばれ」「頭上げろ頭上げろ」というように終わるボイスレコーダーは本当の「悲劇」の在り方を物語っている。爆発音から一分後には、「バンクとんな、そんなに
(機長)」はい(副操縦士)」「バンクそんなにとんなってのに(機長)」「はい(副操縦士)」

というような記録が残っている。まったく操縦不能の飛行機のなかで、機体の傾斜角度をそんなにとるな、と副操縦士を叱っている機長。これは悲しい。

 「さねさし」の欠け一音=ボイスレコーダー。悲劇はたしかに暗箱のなかにある。そして、情報としてもっとも強く私たちに与えられた「救出劇」の背後には、もう一つの悲劇があったことが、今年あきらかになった。それは日航ジャンボ機墜落事故について残っていた謎の部分だった。生存した落合由美さんは、インタビューのなかで、


と語っていたのだった。
航空自衛隊のへりが日航機の残骸を発見したのは翌日の午前四時三十九分だったはずだ。落合由美さんの言うヘリはいったい何だ。

その謎がようやく解けた。今年の朝日新聞八月二十九日付『となりのやまだ君』という漫画の下に、あまり目立たない感じで「日航機事故 直後 現場に米軍ヘリ」という記事が載った。それによると、墜落二十分後に米軍の輸送機C130が現場を確認し、午後九時五分には海兵隊救難チームのヘリが現場に到着したが、「上官の命令で現場には降りなかった」という。

 川上慶子さんは、(墜落直後)「咲子(妹)とお父ちゃんは大丈夫だったみたい」とも語っていたのだったが…。

日航機の機長たちが、何が起こったかがわからないまま必死になり、落合さんたちが、いたずらに旋回して過ぎ去っていくヘリコプターに手を振っていた、という「出来事」の悪意の部分を大々的に拡大して見せたのが阪神大震災であった。したがって、というべきか、この出来事についての短歌は数も少なく、みるべきものも少ない。

それに対して、今年のもうひとつの「出来事」、オウム真理教の「事件」については、何らかのかたちでそれに触れた短歌が誌上に載らない月はなかった。それらの多くは「上祐氏はもっと有意義なことにあの弁舌を使えばいいのに」などという馬鹿げたものが多かったが、そのなかで、


というような作品はかなり達者な作品だと私は思う。ルイ王が(たとえば十六世ならば)戴冠式に向かうのではなく、ギロチンに向かう、その馬車を囲んでいた市民の姿は、私たちの「麻原氏」を取り囲む映像と、たしかに重なり合う、という意味で、悪くはない作品だ。しかし、短歌人十月号で三井ゆきは、これを「楽天的すぎる」と評した。そのように評されれば、またそのようにも思われてしまう。何故「楽天的すぎる」のか、この原因はじつは幾通りもある。ひとつは、これが散文で書かれたならば辛辣な意見なのに、短歌であるばかりに通俗的な印象になってしまうということ(これについて書き始めると際限もないのだが、短歌という文体の影響か?)。さらにひとつは、オウム真理教という「出来事」について何かコメントをすれば、それがすなわち「楽天的すぎる」ことになってしまうということ。つまり、この「出来事」はそういう種類のイベントだったということ。

しかもこの「出来事」はそれを題材にした短歌をたちまち「世間話」にしてしまう一方で、「私たちのなかのオウム的なもの」を暗示してもいたので、「出来事」と短歌の関係は近親憎悪のような様相を呈しはじめた。たとえば、
一塚の短歌の「楽天的すぎる」ことを指摘した三井ゆきは、


という短歌を、ことしの夏の短歌人集会に出詠していた。この短歌を読んで、私が即座に思い出したのは、つぎのような文章だった。

 
これは、オウム真理教の信者であった人物が中沢新一たちとの対談で語っているものだ。三井の短歌は、もしこの対談を引用したものではないとすれば、あきらかに「私たちのなかのオウム」を表現している。もう一首、

という短歌を引用しておきたい。これは『東京哀傷歌』のものだから、オウムの事件が表面化する前の、いわば予言的なものだが、「ポピュラス」というロシア風のゲームソフトは、あきらかにオウムのものであった。

 藤原や三井の短歌ほ、「私たちのなかのオウム」を予言的に示唆することによって、オウムを詠む短歌の滑稽さからかろうじて逃れているが、ほとんど多くの、オウムに対してコメントを述べるというタイプの短歌は、それによって作者自身を戯画化してしまっている。そこで、最終的には、


というような詠み方しか、私たちには残されていなくなってしまうようだ。小池はここで、吉本隆明氏のオウムについての言明を、その内実としてあやぶんでいるのではない。事件の直後に、「現代の歌枕は上九一色村」と書いた小池は、吉本隆明氏のコメントについてコメントするならばもっと気の利いた書き方が出来るはずだ。ここであやぶんでいるのは、吉本隆明氏のコメントの中味についてではなく、それが現象として吉本氏自身に及ぼす表層的な影響のことなのだ。

オウムについて私が私自身のなかにあるものとして実感し、かつ憮然としたもののひとつは、ここでもボードリヤールの引用として書くのだが、「カウントダウン」という時間の感じかただった。世界の終わりまであと何時間という数え方を私たちはいつから覚えてしまったのだろうか。三井や藤原の短歌の背後にも「カウントダウン」の時間感覚は流れているのだ。

「抽斗」という同人誌の三号に、泉慶章が「八木節の主題による冥想曲」という評論を書いている。泉はそこで、短歌の中に引用された「音楽」について、その音楽そのもののなかを流れる時間と、短歌作品の中を流れる時間の差異について考えようとしているのだった。これはたいへん面白かった。

という俵万智の短歌について、泉は


と書いている。「ホテル・カリフォルニア」という曲を泉が知らないというのは、(泉くんはずいぶん若いんだな、という意味でも)驚きだが。

じつは「ホテル・カリフォルニア」は、いわば監獄の陰喩であって「いちど足を踏み入れたらもう脱けだすことができない…」「1969年以来、spirit(精神と酒とのダブル・ミーニング)なんてない…」という具合に、1976年頃の、アメリカの退廃的な情況と閉塞感を歌っていたのだった。

この短歌は「ホテル・カリフォルニア」の曲の伝えようとしたところを比較的正確に引用している。

泉慶章が俵万智の短歌から受け取ったメッセージがどのようなものであったかは解らないが、泉が「戦略」と書くように、俵万智の短歌に引用された「ホテル・カリフォルニア」は、曲本来のイメージとはまったく違ったものとして多くの読者に読まれた。ガールフレンドをクルマに乗せて、海岸沿いの道を「とばす」ときに選んだ曲だから、明るく希望に満ちているような曲だと思って『サラダ記念日』を読んだ人は多い。

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