書評『遠き声 小中英之』天草季紅 「路上」 103 2006・2
――消えた鴎(區+鳥、以下同じ)――
天草季紅著『遠き声 小中英之』をゆっくり読み進めていると、小中英之の作品世界について、私が忘れていたこと、私が気づかなかったこと、私が思い及ばなかったこと、などが、渚を打つ波のように押し寄せてくる。
天草季紅と私は同い年で、著者が短歌結社誌『氷原』に参加した頃、私も短歌結社誌『短歌人』に入会しているが、学生時代に『律68ーー短歌と歌論』で小中英之の作品に接していたり、『短歌人』に入会してまもなく、小中英之の歌集『わがからんどりえ』を贈られて強い影響をうけたりした私の方が、天草季紅よりも小中英之との出会いにおいては親密であった。しかし、『遠き声 小中英之』にあらためて多くの示唆を受ける。私の周辺の、ことに『短歌人』の仲間たちの多くが、小中英之の作品をもう一度読み直し、『遠き声 小中英之』のような本を書きたいと願っていたのではないだろうか。書き得たかどうかは別にして。天草季紅は、絶妙の距離を持ちながら、ゆっくりと小中英之の作品世界に、その深部に歩み寄っている。あらかじめ小中英之の影響を受けすぎていた者には、見えなくなっていたものがある。
『遠き声 小中英之』は、T部とU部に別れていて、T部は、書き下ろしの評論「鴎の歌 初期歌篇の周辺」、U部は同人誌『Es』や、本誌「路上」などに発表された文章を再録したものである。本書の中でもっとも発見に満ちた文章はT部の方で、この文章を書き得たことが、一冊の小中英之論を成立させたと言ってよいだろう。
私たち、小中英之の間近にいた者は、歌集『からんどりえ』以前の作品をそれとなく読み覚えていたので、天草季紅のもっとも重要な指摘、歌集『からんどりえ』以後の小中英之の歌集に「鴎」という鳥の名前が登場しない、ということに気づくことがなかった。たとえば『短歌人』同人である武下奈々子の歌集『不惑の鴎』の「鴎」は短歌入門時代にさまざまな影響を受けた小中英之に対する返礼のような題名だとさえ考えていた。武下奈々子は、小中英之その人の印象を「ちょっとやぐざっぽい、しかしとても深く悲しい鴎のような目」と述べていたりしたから。
天草季紅は、次のように述べる。
だが、先を急ぎすぎないように順に考えていこう。
わたしは後年になってから初期の作品を読んでいるの だが、小中はその時代から歩みをすすめて『わがから んどりえ』の世界にたどりついた。そのときなぜ、 「鴎」という言葉を消し去ってしまったのかというこ とが、わたしの抱いた疑問である。小中英之の初期の 作品のなかで「鴎」という言葉に出会い、鴎のいる場 所に驚かされて立ち止まったところから、疑問がすこ しずつ拡がっていった。
記憶ちがいかもしれないと思い、何度も歌集を開いて確かめてみたのである。鳥の歌はたくさんある。挙げれば際限もないほど種類も豊富だ。梟、椋鳥、雲雀、小綬鶏、孔雀、鶴、雁、鴉、鴨、隼、鳩、雀、雉、……そういったひとつひとつのものを、小中は「鳥」という一般名詞で抽象したりはしていないのである。むしろその一羽一羽の表情を区別し、愛したというべきであろう。そうした数多くの鳥類のなかに「鴎」が混じっていてもすこしもおかしくはない。
けれども歌集のなかに「鴎」はやはりいなかった。第一歌集の『わがからんどりえ』、第二歌集の『翼鏡』、そして、第一歌集の前に刊行されてその母胎ともなった二冊の合同歌集『騎』と『騎U』の作品群。この中にはすくなくとも「鴎」という言葉はもちいられていない。またそれ以後の、雑誌に発表したまま遺された数多くの短歌のなかにも、目にしたかぎりでは鴎は歌われていない。逆に、先に挙げた「うすれゆく」のうたのように、「鳥」「海鳥」「鳥影」と一般化された言葉のなかに、鴎の面影が認められるものがふくまれているように感じられる。故意に「鴎」という言葉は消されているのではないか。そんな疑問が脳裏を かすめる。
『遠き声 小中英之』という一冊の本の、もっとも大切な契機なので、詳しく引用しておく。私なりに調べなおしてみると、たしかにこれらの歌集には「鴎」という鳥の名前が登場しない。私たちが、ぼんやりと、小中英之にもっとも親しい鳥であると考えていた「鴎」が、歌集のなかには登場しない、というのは重大な発見であろう。私たちの多くは、天草季紅の述べるように、小中英之の作品のなかの「鳥」「海鳥」「鳥影」などを、「鴎」と読み替えて読んでしまっていたのだ。
天草季紅は、小中英之の初期作品をつぶさに読み込んだ上で、「鴎」は北辺の海で死んだ友人であった、と述べる。
鴎がもしも友ではなく、小中が愛した故郷の海の生 物であったなら、鴎は、孔雀や鶴や雁とともに、『わ がからんどりえ』の空を彩っていたことであろう。一 九六四年に北海道へ帰省したとき、鴎は『私の鳥』と いう意匠をすでにまとってはいたが、それは海にただ よう、生命をもった、鳥類の鳥であった。その鳥が、 友人の死を境に、かれの面影をのせたべつのものに変 貌した。鴎は鴎であると同時に友であり、酷く殺され なければならなかった青春の夢の象徴であった。だか ら、その友人が「微笑」以後の世界において、「友の 死」という主題のなかでよみがえったとき、鴎は居場 所をうしなったのだ。鴎はかれであるゆえに、鳥類の 鳥ともなれず、かといって人ともなれずに葬り去られ たのである。もちろん、どことも知れない暗やみに捨 てられたのではない。小中の心の奥深くに、ひっそり としまいこまれたのである。
この部分だけを取り出して引用すると、幾分強引な論調のように見受けられるかもしれないが、ここまで百ページに及ぶ丁寧な読解を通して述べられると、じつに意を尽くした、めざましい結論と思える。
さらに天草季紅は、これらの思考の果てに、次のように述べる。
友人の死は「私事」であるゆえに、歌集の表舞台か ら隠されたのである。誤解を恐れずにいえば、それが 歌集に鴎の歌をとりこまなかった理由である。また、 鴎から生れた抽象の鳥を、『わがからんどりえ』の空 に放った理由である。必要があれば、新たにつくって でもくわえたことであろう。「鴎」は最後まで「私」 の鳥であった。そして、歌集に「私事」は無用であっ た。これは小中英之という歌人の生き方をしめすもの である。
たしかにその通りだと、私も思う。「鴎」=私事という解釈が付け加えられたことによって、天草季紅の発見が、小中英之という歌人の作品論として見事に完結してゆくさまを見るのは楽しい。
U部には、「ベィイルバード残照 江差を訪ねて」「
『唄』小中英之の語法をめぐって」「歳月を超える意志の世界 歌集『過客』評」「海流記 『過客』の一面」「明暗の創 小中英之論のためのノート」「死と自然と韻律 小中英之小論」という六編の文章が収められている。これらのなかで、「ベィイルバード残照 江差を訪ねて」は、二〇〇四年二月に、天草季紅が北海道江差町を訪れた紀行文であり、ひいては小中英之についての作家論である。作者の故郷を探訪する文章は、たいがい面白いものであるが、天草季紅の手際の良さと視線の深さは格別である。「ベィイルバード」という言葉は、オディロン・ルドンの故郷の町の名であり、「ふるさと」の意味で安東次男と石川浩が使っていたものを借用した、という。つまり、天草季紅は二〇〇四年の江差を訪ねながら、石川浩や安東次男に学んでいた十七歳の少年である小中英之に出会うことが出来たのだ。私もかつて本誌に「私がどのようなことを尋ねたか、今ではほとんど忘れたが、少年時代の北海道の「夜」の様子、あるいは安東次男のことなどを、しずかに丁寧に答えてくれたのだった。」と書いた。このとき、小中英之は吹雪の話をしていたのだった。天草季紅の文章を読みながら、小中英之に会った夜の話の細部が、ありありと蘇って来た。
「『唄』小中英之の語法をめぐって」のなかで天草季紅は、
雁来紅(かまつか)のひともと朱(あけ)に燃ゆるときひとりを呪ひ殺すと思へ
という小中英之の作品を「雁来紅」が「私」に向かって呪ひをかけるのだ、と読む。たしかに、これは小中英之の作品世界の秘密を探り当てた読み方である。こうした優れた読み方の集積が、『遠き声 小中英之』を、私たちの思い及ばなかった小中英之論に昇華させている。
ここに、一冊の、小中英之論の優れた「定本」が出来た。私たちがこの「定本」をさらに乗り越えてあらたな小中英之論を書くのは困難であるが、じつは心楽しい困難でもあろう。