Lover man   愛人

            第1章 アオバト
 彼、あるいは私、の部屋の窓からは、遠くまで続く砂丘が見渡せ、もちろん

すこし古びた木製の鎧戸をあければ、ということだが、おびただしい蟹、おび

ただしい魚、おびただしい木片、(たちの残骸)や、横たわった自転車、半ば

以上砂に埋まった(毎日埋まりつづけている)自動車、そして、「暑くなりま

したね」と、かならず挨拶をして帰ってゆく郵便配達人の上半身などが見える。

もちろん、私(彼)は、その郵便配達人の靴の減りぐあいや、靴下の色や、横

たわっている自転車に取りつけられていた(はず)の籠の行方や、砂に埋もれ

た自動車の座席の下に隠されている、ちいさな秘密を知っている。そして、こ

れらの(意味のない)描写の秘密は、この、いつ終るとも知れない純愛の物語

が(たぶん悲劇的に完結すれば、だが)完結したあとでも、君(私)にとって

は謎のまま残る。
 
「ほら、あそこの、ずっと向こうの方、いや、もっと右の方さ、灰色の建物が

見えるだろう」

「うん、発電所?」

「ああ、もう15、6年も前に廃炉になった原子炉建屋が、あんなふうに閉じ

込められて 立っているんだけれどね」

「で?」

「あの裏側は、ちょっと岸壁みたいになっていて、その下は、こちらのような

砂浜じゃな くて、岩場なんだよな。昔は、海胆を採りに潜ったりもした」

「バフンウニ?」

「ああ、でも、言おうとしているのは海胆のことじゃなくて、アオバトのこと

なんだ。」

「アオバト?」

「あそこにアオバトが群れでやって来て、海の水を飲むんだ。」

「鳩が?まさか、鴎じゃないでしょ」

「ああ、だから、ときどき波にさらわれて溺れ死ぬのもいるのさ」

「そのようにして海の水を飲んだアオバトは、いくつも峠を越えて、木の芽山

の方まで飛んで帰るんだよね」

「ふふ。まるで塩の商人だね」

と、女は始めて笑った。

 五日後に、女と、女の仲間の劇団員たちが来た。