足立尚計歌集評



『予言の鳥』の履歴書

 私がはじめて歌集を作った時には、安森敏隆さんが「バードランドの子守歌の履歴書」という文章を書いてくれた。足立尚計さんは、いろんな分野で既に私を追い越して活躍しているので、安森さんと私との師弟関係と、足立さんと私との友人関係は全く同じというわけではないが、歌集のあとがきに彼自身が書いているように「短歌人」との関係について言えば、足立さんにとって私がもっとも古くからの親しい友人なので、私の役目はこの歌集の「履歴書」を書くことになるのだろう。
 
足立さんと私との往来は、既に十年になろうか。皇學館大學を卒業して、福井市の郷土歴史博物館に勤務する彼と、一九七〇年に学生時代を送り、社会からドロップアウトする気分で生きている私とが親しく交友するのは、たぶん、足立さんの晴朗快活な気質による。作歌以外の分野での足立さんの仕事を紹介すると、たちまち紙数が尽きてしまいそうだが、つぎの三つは特筆しなければなるまい。

 一、橘曙覧「独楽吟」の全訳注。
 二、『ふくい女性風土記』
 三、「動物のいる歴史」

このうち、『ふくい女性風土記』は中日新聞社から出版された、「馬来田皇女」から女相撲の「堀江小竹」に至るまで、聖俗時空を超えて歴史に埋もれた女性たちを発掘した好著で、俳人「歌川」や山川登美子も登場する。「動物のいる風景」は、現在朝日新聞の地方版に連載中のエッセイ。たとえば「マグロ」について、『出雲風土記』ばかりか万葉集の大伴家持の歌まで渉猟して、快調だ。この世代の青年としては並外れた知識の量と、書物から書物へとクロスオーバしながら渡り歩く彼の姿を、「現代の南方熊楠」と私は呼んでいる。作者足立尚計は、たいへんフットワークのいい少壮学者だ。こうした快活な作者のイメージと、この歌集『予言の鳥』の印象との間には、じつは相当な距離がある。『予言の鳥』はかなり暗い感じのする歌集だ。このたび改めて読み直してみると、あの明晰な美青年の内側に、こんなにも多くの不条理が抱え込まれているのかと、しみじみと思う。

 彼の短歌が暗い印象を与えるのは、彼自身が述べている、「短歌を詠むと言うことは、
人生の影や毒を放出しようとする生理現象に他ならない」という主張にもよる。私はこの主張には反対するが、それ以外に、彼の独特の歌の方法が、暗い印象を与える原因にもなっている。それは「マニエリスム」と呼ぶべき手法で、どういうことかと言えば、彼の作品では、しばしば大きな物が小さく矮小化され、小さい物が誇張されて表現される傾向が強いということなのだ。
 

こういうのは、やはり相当無理がある。読者がすっきりと像を描けない。したがって濁った暗い印象になる。


こちらの方がいい。それが「夢の記述」であったり、「ギザギザ包丁」が鮮明な像をむすんだりすることで、読者を安心させる。

 この歌集は足立さんの通過点であり、青春時代の記念すべき「墓碑」でもある。次の歌集は読者のために編んでほしいと、私は思う。



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