私を変えた3人の医師

*奥富先生


歯科大の5年の後半から6年の前半まで臨床実習があります。付属の病院で実際の治療を勉強するのです。

臨床実習の始まった頃はまだ受け持ちの患者さんもいませんから毎日どこかで見学をしてはんこをもらわなければいけません。

普通はクラブなどの先輩の先生の所にいってはんこをもらうのですが、

私はクラブにははいっていないので、先輩がいません。


そこで誰もが怖がり寄り付かない「口腔外科」で見学をしていました。

滅菌などにうるさい口腔外科はちょっとしたミスも許されません。


なぜか私の性格に合ったんでしょう。

一度も怒られることなく、毎日見学していました。

そのうちにアシスタントもやらされ、いつの間にかほとんどすべての先生の癖を覚え完璧なアシスタントができるようになっていました。


すると先生から「来週は3班が実習にくるから、西尾!お前面倒見てやれ」

1週間単位で6人ずつ各科に実習にいくんです。この実習の学生指導(同級生ですよ)を任されるようになりました。

同級生からも「こんど行くからよろしく」などとお願いされることに。


大学始まって以来初めて口腔外科に居ついた学生「外科の西尾」の話題は病院中にひろまり「西尾は外科に残る」これが決まったことのように言われました。


国家試験が終わり、私は奥富先生に呼ばれました。

「お前、うちの口腔外科には残るな!」

一番親しく、信頼していた先生です。理由は教えてくれませんでした。


いろいろあって私は東京医科歯科大学第一口腔外科に入局しました。


奥富先生に報告に行ったとき始めて理由を話してくれました。

「お前はどの看護婦よりも器材の場所やアシストができる。もし、お前がうちに残ったらお前は先生じゃなく小間使いとして利用されるだけだった」


たった一人の学生の将来を本気で考えてくれた愛のある言葉でした。

言葉は冷たくても温かい言葉でした。


自分のために動いてくれるだろういわば家来になる学生なのに。

そしてもし、理由を聞いたら私は「そんなことはない」って奥富先生の言葉を無視して残ったでしょう。そして看護婦のかわりをさせられていたでしょう。



東京医科歯科大学は卒業した日本歯科大学とは全く違う世界でした。

違いはいっぱいあるのですが。

その一つは、患者数が桁違い。手術室でする大きな手術も毎週4日。

一日に4手術。おまけに一ヶ月に数回は10時間以上の手術がある。


そして、医局員の半分ずつが病棟と外来を半年ごとに交代する。


私が最初に配属されたのは病棟でした。


最初、私は間違って医学部に来たのかと思うほど日本歯科とは規模が違いました.

癌で顔の半分がない患者さん。

腰の骨を取って下顎に埋める手術。朝7時に入って出てくるのが夜の11時という手術などなど・・・

日本歯科では考えられなかった世界です。

毎日、点滴、採血(静脈,動脈)、尿検、見たこともない薬や検査の指示。入院患者さんの処置も癌やその他の大きな疾患の処置。



しかし、半年もたつ頃には慣れて、私は点滴がうまく他のグループ(5人でグループを作って数人の患者さんの担当をする)からお呼びがかかるほどにもなりました。


半年後、外来に担当になり、ようやくアルバイトが許可されました。

医科歯科では給与が少ないため、週に一日アルバイトが許されるのです。


医科歯科大学の関連の施設で歯科治療をします。

が、卒業して私がやってきたことは点滴、採血、オペのアシスタント。

歯とは全くかけ離れた事ばかり。

学生時代も口腔外科で遊んでいた。

歯の治療の知識はあるがやったことがない。


アルバイトの前日、悩みに悩んで日本歯科の奥富先生に相談しました。


「明日からアルバイトで歯科治療しなければいけないんですけれど

どうやったらいいんでしょう」


奥富先生は

「西尾、お前 曲がりなりにも歯は抜けるよな?」

私は学生時代には既にいろいろやらせてもらったので歯は抜けました。

「はい、なんとかできると思います」

「じゃあ、お前、来た患者さんの虫歯を抜いてあげろ」


虫歯の歯を治療しないで抜く???

「そんなああ、冗談言わないでくださいよ」


「冗談で言ってるんじゃないよ。お前ができる最善の方法をやってあげればいいんだよ。」

「但し、その時には必ずこれな!」こう言って奥富先生は手で話すジェスチャーをしました。

「ちゃんと説明しろよ」と


私はその言葉で吹っ切れて治療ができました。

その思いはずっと私の医療の原点になったんです。


「自分にできる最善の治療をしよう」

「ちゃんと説明しよう」


私はいまだに自分がうまいと思ったことはありません。

ただ、こうやっているんです。

自分にできる最善の治療をしよう














*吉村先生



私が生まれ育った奈良県御所市の吉村診療所の先生でした。

私が小学生から中学生までお世話になった先生です。

その頃もうおじいさんの先生でした。

(今はお孫さんがあとをついでおられます)




古い日本家屋をそのまま診療所に使った妙なつくりの診療所でした。

なぜかいつもすいていて待った記憶がありません。

待合室から廊下を渡った部屋が診察室でした。

患者さんが少なかったせいか

冬には診療室には暖房もつけて い ません。



患者さんが来てから先生が診察室に来られる。

冬、寒々とした部屋にある丸いニクロム線の電気ストーブのスイッチを先生がいれます。

ちりちり音がしてニクロム線が真っ赤になってゆきます。



聴診器を持った先生の診察はすぐにはじまりません。

しばらく話をするのです。

ひと段落話が終わった時点でようやく診察です。

それは、話を聞くといった意味とは別の意味があったんです。

後から考えると

聴診器の身体に当てる丸い 部分をストーブで暖めて いて くれていたん です。

だからヒヤッとすることもなかった。

細やかな気遣いでした。



私はこの先生に命を助けていただいています。

内科医としてではなく。



私の出た中学はそのころ荒れていました。

生徒が先生に暴力を振るうのは日常茶飯事。窓ガラスはしょっちゅう割られ、授業もちゃんとできない状態の時がよくありました。

同和という人種差別の問題がある地域から来た一部の生徒の横暴に誰も注意できない。


部落出身の一部の生徒が「差別」を盾にとって平気で悪いことをするのです。



ある時、一人の女の子がいじめられているのを見た私が「やめなよ」といったのがきっかけで私に集中的にいじめがはじまりました。

例えば

授業中輪ゴム(それも強力な)をつかった紙(わざわざ厚紙を切って作った)鉄砲は毎日後ろのあらゆる方向から、背中には赤いあざがたくさんできました。

親は担任に話しましたが同和という問題があったから教師もこわかったんでしょう。

いじめられるほうが悪いなどといってなにも手助けしてくれませんでした。

(毎日のように暴力を受けさまざまないじめを受けたのに、このころの記憶が私にはすっぽりと抜け落ちているのです)


ついに事態はひどくなりリンチを受けてけがをするまでになりました。

足をねんざして行ったのが吉村診療所。



診察前の話で一連のいじめを知った吉村先生は教育委員会で問題にして くれました。

誰も言えなかった事を。



真の勇気とはこういうことなんです。

医療は病気を治すだけでなくその原因までもなおす。

医者の鑑です。



おかげでいじめはなくなり、私は生きています。



そして、私の心の中にあの聴診器をストーブで暖めている吉村先生の姿が今も生きています。



歯医者は歯だけ治療していればいいということではないと思います。

いじめやDV,その人の悩みや心の病、それも含めての

「心も治療」

これが私の常に目指している診療姿勢です。














*清水先生



私が医科歯科大学に入局した当時の助教授でした。

清水先生は日本よりドイツでのほうが有名な優秀な口腔外科医でした。

が、教授戦に敗れ、助教授としておられました。



私はなぜか可愛がられ飲みにもよく連れて行っていただきました。

清水先生の話はたくさんあります。



口腔外科では大変な疾患も治療しています。

成人病棟はほとんどが癌の患者さん。

夏休みにはプロゲニーといって反対咬合(受け口)の患者さんが多くなります。

小児病棟はほとんどが口蓋裂か口唇裂の子供です。



我々は常に唇の割れた赤ちゃんを相手にしていますからそれが当たり前になっています。

だから割れていない子供をみてもかわいく思えなかった。

なんだか変ですね。



毎週金曜日の教授回診には教授、助教授、そして病棟担当の医師全員が患者さんをみてまわります。



さて、 あるとき  口唇裂の 患者さんがいつもの手術のために入院してきました。 手術の患者さんが入院してきました。

入院したばかりのその患者さんのカルテを前に

教授は

「このオペはレーザーでやりましょう」

購入したばかりのレーザーを使いたかったんでしょう 。学会発表したかったんでしょう。



すると清水先生が

「S田先生、口唇裂のオペはレーザーだと傷跡がのこりますからメスのほうがいいですよ」

「いや、レーザーでやりましょう」

「でも、S田先生ね・・・」

「レーザーを使います!!」



有無を言わせぬS田教授のきつい一言で決まってしまいました。



数日たって私が当直だった日

なんにも問題がない静かな夜でした。

もう一人の当直の先生は第二口腔外科のドイツ語堪能の先生。



2人でカルテをチェックしていた私はあの患者さんのカルテに

ドイツ語で数行になる清水先生の書き込みを発見しました。

いくら口腔外科でもドイツ語の堪能な先生はそう多くありません。



「何が書いてあるんですか?」



第二口腔外科の先生は

「う~ん すごいことがかいてある」

と訳してくれました



このオペはS田教授はレーザーがいいと主張したけれど以下の理由でメスのほうがいいと思う

その理由が理路整然と書かれていました。

自分のサインをちゃんと入れて。



回診の時にあまりにも食い下がらず、ちゃんとカルテのなかで主張する。



そしてほとんどの医局員が読めないだろうドイツ語で。

もし、新人医局員や看護婦などが読んでもわからないから教授の信頼を落とすことはない

教授の信頼を落とすことは、患者さんも不安になる。



患者さんのことを一番に考えていた清水先生。

一方研究あっての患者と考えていたS田教授。



私はどんどん清水先生にひかれ、教授からは嫌われ、辞めざるを得なくなっていくことになります。



常に患者さんのためにだけ考える。堂々と主張する。

お金にならないだろうが、研究成果にならないだろうが関係ない。

ひたすら患者さんのためを考える。

これも私が目指すニシオ歯科です。