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88.充実した高知キャンプ

4年生としての自覚のめばえ

ノストラダムスの大予言でとんでもない騒動が巻き起こっていた1999年
僕も幼い頃はこの予言を信じ、大学に行っている期間には世界が滅びるものだと本気で思い込んでいた。
今オフには「松坂世代」の高校生がプロの扉を叩き、そして東都リーグの大学にも進学した。
新チームが結成されると、不思議なもので4年生は自然と自覚がめばえてくる。
忘れられないのは、京王堀之内にある行きつけの居酒屋で、閉店までみんなと語り明かしたことである。
日頃は適当に過ごしているような雰囲気を醸し出しているが、みんな野球に対する内に秘めたものはそれぞれ持っている。
これだけの甲子園ボーイが揃っているのだから、誰もが是が非でも1部に昇格したいという気持ちを持っていた。
他の大学から見たらまだまだ足りないかもしれないが、野球部全員が同じ方を向くようにしなければ目標を達成できないことは、この3年間で痛感してきた。
僕らの代になっていきなり真剣にやるといっても都合がよすぎるが、タイミングはここしかなかった。
あとは、そのモチベーションを継続できるかどうかにかかっていた。

監督が代わって

2月には新入部員が入寮し、今年の体制が整った。
夏の甲子園の準優勝左腕・京都成章古岡をはじめ、柳川高校や市立船橋など、名門校からも多数の後輩たちがやってきた。
そして、大学野球生活最後の高知キャンプが始まった。
指揮官が前任伊藤周作監督から新任の清水達也監督へ代わり、チームに新しい風が吹いてきた。
在部中に監督が変わる経験はもちろん初めてで、多少の不安はあったが、キャンプが終わるときにはその思いはどこかへ吹き飛んでいた。
清水監督は当時30代の前半で、僕らより10歳ぐらいしか離れてなかった。
河合楽器で社会人野球を長く経験し、現役を引退されたばかりで、体力的にも気持ちの上でも若くて熱かった。
やる気を取り戻した僕らと、フレッシュな意気込みを持った監督とが絶妙に融合され、素晴らしいキャンプに仕上がっていった。

充実したコミュニケーション

格段に変わったのは、ずばり「コミュニケーション」である。
清水監督は積極的に僕らに語りかけ、どうすればチームにとっていいのか、どこを改善すればよくなるのかを、一緒になって取り組んでくれた。
「オマエらのチームや。主役はオマエらや。俺はサポートするだけ」
歳が近いせいか、兄貴分のような関係ができあがり、僕らはこの監督を必ず男にすると心に誓った。
視察のためにキャンプに同行していた宮井総監督も、元教え子だった清水監督と僕らの関係がほぐれてきた様子をみて、満足そうな笑みを浮かべていた。
「まあ何しろあれだよ、みんなで監督を盛り上げてやれや。がんばんなくっちゃしょうがねえよ」
まだまだ「オヤジ」は健在である。

野球への情熱が完全復活

キャンプでは、僕は初心に戻り、何をすればチームに貢献できるかを考えた。
打ったり守ったりする以前に、場を盛り上げることや後輩たちのケアに関しては、僕は誰にも負けない。
雰囲気をよくするとチームの士気が高まるので、身の入った練習ができる。
4年生が中心になってやらなければ誰もついてこない。したがって僕のムードメーカー的な役割は重要だった。
監督も僕の存在を高く買っており、それが伝わって意気に感じた。
ホットコーナーを任されるようになり、ますますやりがいが出てきた。
もう去年までの虚無感はない。何のために野球をしているかなんて考えていたのは過去のことだ。
目標ははっきりしている。清水監督を男にすること、すなわち1部昇格を達成することである。
熱き想いを取り戻した充実のキャンプは、大成功のもと打ち上げとなった。

89章につづく

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