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64.大学へ行く前に

仲間と行った運転免許短期合宿

久しぶりに実家での生活に戻った。
同年代の安室奈美恵が活躍しはじめた時期で、そういった世間の流行りものにもついていけるようになっていった。
間もなく僕は、短期合宿で運転免許を取るために福井県へと旅立った。
もちろん1人ではない。諸麦、早川、石井、河村、江崎、嘉戸、渡辺、僕の他に7人が同行していた。
やはり仲間内で行くのは気が休まる。
短期合宿に対する心配はまったくない。寮生活を経験した僕らは、どんな状況にも対応できるからだ。
洗濯機さえあればどうにでもなるし、布団がなくても平気で寝泊まりできてしまう。
この年の西日本はホワイトクリスマスだった。というより、強い寒波が流れ込み、最悪なことに日本海側は記録的な大雪となった。
そんな降り積もった雪にてこずりながらも、全員揃って無事に免許を取って帰ってきた。

年明け早々の中大の吉報

年が明けて1996年
僕にいきなり景気のいいニュースが飛び込んできた。
これから入学しようとする中央大学が、第72回箱根駅伝で、32年ぶり史上最多14回目の総合優勝を果たしたのだ。
「陸上部は強いんやな。ちょっとは有名な大学に入れるなんて嬉しいわ」
その昔は前人未踏の6連覇を達成するなど、かなり箱根駅伝では歴史のある大学だと気づいたのは、入学してからのことだった。
そんな余韻が冷めやらぬうちに、国会では村山富市首相が退陣を表明し、橋本龍太郎内閣が発足するという。
年明け早々、なんたるドタバタ劇。
いよいよ大学生活が始まる年だというのに、世の中は相変わらず喧騒に満ちあふれていた。

入試で問われたこと

入試の話をここでしておきたい。
推薦入学ということで、僕が受けたのは小論文面接だけだった。
小論文のテーマは今でも覚えている。
「あなたは自分のためにがんばりますか。それとも人のためにがんばりますか。自由に書きなさい。」
このような題目だった。
僕は迷わず「人のため」と書き込んだ。
PLの教えで、「世のため人のため」という言葉がある。これは常々言われてきたことだ。
応援してくれる人がいるから自分がある。自分ががんばることで世のためになる。
僕の中でも、このような考え方が根付いていた。それに、自分のためだけにがんばれるほど、僕は強くない。
そのようなことを答案用紙いっぱいに書いた記憶がある。
面接は、ほとんど自己紹介だけで終わったような気がする。
結局僕の人生は、受験らしい受験を経験することなく、当然受験勉強もしないまま、ここまで来てしまった。
もっとも、今度生まれ変わったら受験をするかと聞かれたら、それはご免こうむりたい。

東京へ行く前のあいさつ回り

オフの期間は親戚地元の友達、お世話になった八尾フレンドの方々に、東京に行くことを伝えて回った。
「せっかくPLから帰ってきたのに、また遠くになるやんか」
そういってもらえるのは、本当に幸せなことだ。
通っていた私立中学校の先生とは、いい大学に入ると約束していたので、僕の報告を聞くととても喜んでくれた。
このようにして、入寮までの1ヵ月半はすぐに過ぎていった。

いざ東京へ出立

この冬の寒さは、例年にも増して厳しかった。
そんな寒冬の中でも、トレーニングをかねて少しずつ体を動かしていった。
1月末の入寮前日。
伸びきった髪の毛を短く切り、野球道具をバッグに詰め込んだ。
もうPLに入学したときのような心境ではない。
親元を離れることに関しては、嫌というほど経験してきた。
寮生活の楽しさに味をしめていたというのも間違いない。
この時点では不安よりも、期待感の方が大きかった。
「ほな、行ってくるわ」
翌日、僕は東京に向けて颯爽と出発した。

65章につづく

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