ここで進路先について紹介しておこう。
僕はすでにセンバツが終わるころには大学へ進学をしたいと志望していたが、夏が終わっても、まだどうするか決めかねている選手も何人かいた。
当時の主な進路は、東都リーグの大学だった。僕は早くから中央大学への進学を希望していた。
大きな理由としては、学校とグラウンド、そして寮が近いということ。ひとつ上の先輩もいたし、練習もあまり辛くないと聞いていたので、魅力を感じていた。
8月末に、初めて中央大学を訪れたが、きれいな寮と設備が整ったグラウンドに感動したのを覚えている。
当時2部リーグ所属だったにもかかわらず、各地域から多くの甲子園ボーイが集まっていたのも理由のひとつだった。
「そもそも甲子園が夢だった僕に、野球を続けていく意味はあるのか――」
その考えを一変させてくれたのは、八尾フレンド中学部時代のコーチ・小池さんである。小池さんは東都の名門、専修大学の出身だった。
小池さんに薫陶をうけて、いつしか「大学へ行くなら東京で」と思うようになったのである。
両親も僕が大学に行くことを強く熱望しており、親元から離れる距離はさらに遠くなるけれど、中央大学を選択したことについては賛成してくれた。
9月1日、2学期が始まった。
野球部は引退すると、全員が髪を伸ばし始める。
次にやることといえば、その髪の毛を茶色くすることだ。そんなに極端にはやらなかったが、なぜかその方向に行ってしまう。
これまで極端に締め付けられたぶん、その反動で弾けたいという気持ちが大きかったのだろう。
当時、剣道部の怖い先生が受け持たれていた体育の授業で、茶色い髪の毛がバレないように黒いスプレーをしていったときのこと。突然振り出した雨で、黒い染料が頭からタラーっと垂れてきて大笑いしたこともあった。
それも、今となっては、いい思い出だ。
勉強は大学進学を意識しはじめたせいか、真面目に授業を受ける野球部員が増えてきた。
推薦組の中にも、評点平均の問題や、「大学を卒業するためには今からやらないと」と、考える者は少なくなかった。
僕も例外ではなく、勉強に本腰を入れはじめた。
今さら始動した勉強だが、毎日死に物狂いで勉強しても到底行けないような大学に行けるのだから、野球部をやってきてよかったと思っている。
僕は相変わらず成績はよかった。とはいっても、高校の授業はほとんど聞いていなかったし、ほとんど中学校のときの知識を応用しているだけだった。
ただ、全校生徒で行われる英単語テストだけは真剣に受けた。100点を取ると、校内に貼り出されるので、いい格好ができたからだ。
「野球部やのに100点!? 野球も勉強もできて、すごいな」
こう言ってもらうのが狙いだった。
人が魅力を感じるのは「ギャップ」だと、うっすら思っていたのもこの時期だろうか。
この英単語テストは、あるごとに100点を連発したのである。
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