冬になると、この先野球を続けるかどうか迷う者が現れる。
一方で、中学から野球をやりたいので、今のうちに硬式に慣れておこうと入部する者も出てくる。
迷っている者たちに関しては、ずっとやってきた仲間だし、この先も一緒にやっていきたいというのが、みんなの本音だった。
だから、たとえ家の都合や実力に見切りをつけて野球を辞める者がいるとしても、まずは最後の春の全国大会に全てをかけようという気概にあふれていた。
「もう一度、このメンバーで日本一になりたい」
そういう強い気持ちが、チーム内で一つになっていた。
迎えた春、予選を難なく勝ち進み、春の選手権に出場した。本戦でもコールド勝ちの連続で、決勝戦までコマを進めた。
決勝戦の場所は、日生球場。相手は兵庫尼崎。
じつはこの年齢になって、偶然にもこのチームに所属していた2人の球友とつながりが持てた。
藤本武男(岡山理大付→駒大)、的場寛一(弥富高→九州共立大→阪神)である。
20年近く経った今、こうした出会いが生まれるのは、野球が取り持つ縁なんだなと感心してしまう。
さて、小学校6年生の僕らは、当然お互いをそんなに知らないまま対決した。
そして、八尾フレンドは見事に優勝した。
一つになった僕らに、勝てるチームなどどこにもなかった。ただ夏に比べると、嬉しさがやや足りない。
やはり、最後の全国大会が終わると卒部を迎えるという寂しさがあったのだろう。帰りの車の中では、ほとんど会話がなかったような気がした。
卒部を間近にひかえた僕らは、小学部最後の大会、地元主催の八尾大会に参加していた。
泣いても笑っても、このメンバーで望む最後の大会である。
ここで神様は、粋な演出を用意していた。なんと決勝の相手は、これまで幾度となく苦汁をなめさせられた河内長野だったのだ。
考えただけでも身震いがする。
唯一やり残したことと言えば、河内長野を倒すことだ。しかも、小学生最後の試合でそれが実現した。
最後の打者を打ち取りゲームセット。僕らは勝った。
勝って泣いたのは、この日が初めてだった。
そして八尾フレンド小学部卒部の日。
この日は卒部生全員が作文を持参し、思い出や感謝の気持ちを読み上げては、言葉をつまらせていた。
関西大会に負けたとはいえ、「3冠」は達成した。伝統は引き継いだと言えるだろう。
転向する者や、小学生で野球を辞めるものもいる。
全ての選手と抱き合い、そして泣いた。
僕の中ではすでに中学部へと気持ちが向いていたが、この日ばかりは思い出に浸った。
このチームでみんなと一緒に野球ができたことを誇りに思う。
「ありがとう」
このWebサイトについてのご意見、ご感想は、 でお送りください。