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103.秋季リーグ・駒大戦

第5節は駒澤大学戦

最終戦となった第5節駒澤大学
戦優勝回数26回を誇る名門中の名門。
東都のドン、名将・太田監督(浜松西/電電東京)が私生活から野球の厳しさを徹底的にたたき込み、全日本大学選手権を6度も制覇
プロ野球にも多くの選手を送り込んでいる。
この年のエース・武田久(生光学園/日本通運→日本ハム)は伸びのある直球と、驚異的なスタミナで安定感抜群。
高校時代、ファンの黄色い声援を独り占めにした内藤(敦賀気比/JR東海)は主将としてチームを引っ張る。
おもな出身のプロ野球選手は、横浜の大矢監督(早実/元ヤクルト)、広島の野村謙監督(佐伯鶴城/元広島)、木下(春日部/元広島)、中畑(安積商/元読売)、大宮(享栄/日ハム→中日→元西武)、森繁和(駒大高/住友金属→元西武)、栗橋(帝京商工/元近鉄)、石毛(市立銚子/プリンスホテル→西武→元ダイエー)、若田部(鎌倉学園/ダイエー→元横浜)、関川(桐蔭学園/阪神→中日→元楽天)、河原(川崎北/読売→西武→中日)、高橋尚(修徳/東芝→読売)、梵(三次/日産→広島)、新井貴(広島工/広島→阪神)である。

勝ち点が0という現実

1回戦。
せっかく1部に上がってきたのだから、せめて勝ち点を取りたい。
優勝の可能性が消えているので、来年に向けての選手起用も大切だ。
古岡、本園、佐藤、小窪、芦川――当時の1年生もプレッシャーがかかる状況でよくがんばっていた。
彼らが試合に出ているときは、僕はできるだけ声をかけるようにしていた。
ただでさえ負けがこんで、雰囲気が悪い。
そんな中で1年生が試合に出たら、萎縮してしまいがちだ。思い切りプレーできるように仕向けるのは、僕らの仕事である。
この役割は、普段から積極的にコミュニケーションをとっている僕が適任だったのだ。
奮闘むなしく試合結果はというと、総力戦になるも5対2で初戦を落とした
さらに続く2回戦も2対1で一歩及ばず、とうとう最後の最後まで勝ち点を奪うことができなかった

2部降格の恐れのある入替戦確定

勝ち点0――。
それは最下位を意味する。すなわち、1部の立場からすると恐怖の入替戦を戦わなければならない。
「せっかく苦労して昇格したのに、1シーズンで落ちたらシャレにならんど」
僕らは、いわば負け癖がついている。
1部のプライドといった点でも、1勝10敗の成績ではそういう気持ちにすらならない。
しかも相手は、春には連勝したものの、「1部」をよく知っている立正大学
ここまで来たら、もうやけくそだった。後輩たちのためにも、1部の座は死守しなければならない。
もう、それしかなかった。
2部に落ちて引退などあり得ない
もう一度、4年生が中心になってチームをまとめる必要があった。

引退前の最後の大一番に向けて

リーグ戦は春に続き青山学院大学が優勝
閉会式では、プロで野球を続ける者、社会人野球をする者、野球を辞めて就職する者が入り交じって、これまで「戦国東都」で戦ってきた選手たちが互いの労をねぎらう
談笑するかたわら、まだこれから大きな仕事が残っている中央ナインはそれどころではなかった。
「笑って引退するためにも、入替戦で負けるわけにはいかない」
本当の勝負はこれからだった。

104章につづく

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