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1.野球との出会い

プロローグ

小学校3年生を迎える春休み、大阪府八尾市立龍華中学校に僕はいた。
まさかこの日が僕の人生を大きく変えることになるとは正直思っていなかった。

幼少時は、掛布選手をめざして!

1977年7月13日、ピンクレディや山口百恵のアイドルブームの中、僕は大阪で生まれた
両親は根っからの阪神ファン。いや、まわりを取り巻くほとんどの人がそれだった。
幼い頃から阪神のパジャマを着て、テレビでナイターがやっていようものなら見よう見まねでバットを振り続けた
生まれつきではなく、生まれる前から阪神ファンなのである。
ちなみに僕は右投げ左打ちだ。そう、ミスタータイガース、掛布雅之が大好きだった。
父親からは藤田平が首位打者になった話をよく聞かされたが、僕は掛布を見て育った

よく連れて行ってもらった甲子園の阪神戦

甲子園にもよく連れて行ってもらった。
父親に聞いた話だが3、4枚のチケットしかないのに、子供を含め7、8人ぐらい受付を通過させてたらしい。大阪人はどこまでもせこい。
球場に入ると独特の匂いが食欲を誘う。いか焼き、うどん、唐揚げ、フランクフルト、売り子さんも声を張り上げ気持ちがいい。
ある時にはこんな出来事も。
身内のおっちゃんは一人の売り子を捕まえ、
「兄ちゃん、元気ええなぁ。今日飲むビールは全部兄ちゃんから買うさかいにずっとここに座っとき」
……大迷惑である。

思い出に残る阪神の試合

もっとも印象に残っている試合は、1985年春先の広島東洋カープ戦。
衣笠幸雄の2打席連続ホームランなどで、序盤で7対0の点差をつけられるカープの一方的な展開。
「えらい試合観に来たな、もう帰ろか」
いとこの兄ちゃんもあきらめるくらいの試合だった。
ただこの年の阪神は強かった。
真弓、バース、掛布、岡田などの活躍でどんどん追い上げていく。
バースの逆転満塁ホームランも飛び出し、スタンドはお祭りを通りこして、ロックミュージシャンのライブに来たかのような絶叫ぶり。
終わってみれば13対8。実に胸すく試合だった。
「えらい試合観に来たな。もう一回来よか」
兄ちゃんの言葉は変わっていた。
そしてこの年の阪神はリーグ優勝、そして初の日本一に輝いたのだった。

この年、PL学園も輝いていた

一方、この年は大阪府民にとって別の嬉しい出来事があった。
桑田さん、清原さんを擁するPL学園が2年ぶり3度目の全国優勝を成し遂げたのである。
当時のPLの人気は絶頂だった。
PLは特別だ、PLが負けるはずがない、PLは優勝して当たり前。
僕も含めて大体の小学生が校歌を歌えるぐらいPLは有名だった。

僕も野球がやりたい!

ひと昔前が浪商だったように、僕らの世代は高校野球といえばPL、PLといえば高校野球だった。
そんな環境の中で野球に興味が沸かないわけがない。
「僕も野球がやりたい!」
日に日にこの感情は大きくなり、ついにその日がやってきた。
両親やいとこの兄ちゃんに連れられ、初めて少年野球チームの練習に行ったのが冒頭部分である。
正に野球人生の第一歩であった。

2章につづく

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