ドンキーコング・池上通信機器事件

02年5月20日up
2002/12/26ver1.5


ネット上でドンキーコングを開発したのは池上通信機器であり、任天堂がそれを金で奪い取ったといったような記述を見かけた。この話はNiftyのフォーラム上でもあった。その書き込みによると「ゲームラボ」という雑誌に書かれていたという。実際はどうなのか。
1983年7月20日、池上通信は任天堂を相手取り、ドンキーコングの著作権侵害などを理由に580,000,000円の損害賠償を求める訴えを東京地裁に起こした。

訴えの内容は、池上通信は昭和56年1月、任天堂との間で

  (1)任天堂の委託でゲーム用プログラムを開発する
  (2)プログラムを組み込んだ基板を任天堂に供給する
  (3)任天堂はプログラムを自らも第三者にもコピーしないし、させない   

との契約を結び、同年末までに8,000台の基板を納入した。

 ところが任天堂はこの基板の部品や回路を分析し、プログラムをコピーして同一の基板を大量に作り、これをゲーム機として1台70,000から80,000円で、日本国内や米国で少なくとも80,000台販売した、として売上代金の10%にあたる580,000,000円の債務不履行による損害賠償を求めるというものだった。
また任天堂はプログラムの一部を改変した「ドンキーコング・ジュニア」も販売しており、こちらも損害額が確定すれば改めて請求する、としている。
一方、任天堂側の対応は(*1)

今西紘史・総務部長(当時)の話
 池上側にはプログラム開発の一部を委託しただけで、委託料10,000,000円を支払いずみだ。契約終了後2年もたってから提訴されるのは遺憾だ。当方は先月26日、東京地裁に池上の請求権不存在確認を求める訴えを起こしている。
山内社長の話
 理解に苦しむことだ。当社が56年に市場に出した「ドンキーコング」の開発に際し、池上通信にソフトウェアの開発を委託したが、これは契約に基づいて56年6月末に業務が完了、7月20日に委託料を支払い、すべて終わっている。それを、東証2部に上場されているほどの会社が、2年近くもたってから、どうして改めて問題にしたのかわからないが、おそらく、わが国でも最近、著作権問題がクローズ・アップされてきたのと、「ドンキーコング」がアメリカ市場を中心に爆発的に売れたことから、弁護士などの入れ知恵もあり、訴えたものと推察される。
(*1)証券アナリストジャーナル1983年9月号61p
両社の訴えは第一回の口頭弁論で併合され(*2)、私の手持ち資料によると、少なくとも昭和63年8月31日まで訴訟が係属している。(*3) TKC法律情報データベースで検索してみてもこの判決は出てこないため、判決が出ない形で決着したものと見られる。
(*2)任天堂株式会社・第46期有価証券報告書32p

(*3)同上・第48期有価証券報告書40p
ところで、池上通信の社員、駒野目裕久氏が1997年にドンキーコングの開発経緯を雑誌に寄稿している。(*4)
この記事によると、ドンキーコングの開発の発端は、それ以前に任天堂から依頼を受けて開発を行った「レーダースコープ」のゲームボードの在庫整理にあった。
1981年4月6日、岡昌世課長が、駒野目裕久氏、飯沼実氏、西田充裕氏、村田氏の4人に対し、開発を指示した。
今回のゲーム開発は大量に残っているゲームボードを有効利用し、ハード機能を生かした新しいゲームを作ることであることが説明され、任天堂からのゲーム案の資料がコピーされ渡された。
それは、A4版3枚でゲーム内容と登場キャラクターに関し簡単に説明された資料と、5枚ほどのゲーム画面スケッチ、そして1枚のラストアニメーションの図であった。
説明資料には、任天堂クリエイティブ課、宮本茂氏の[55.3.30]のゴム印が押されていた。この宮本氏のゲーム案がベースとなり、3ヵ月後には大ヒットすることになった。
また、開発の過程では仕様変更と追加仕様を山ほど行い、宮本氏からも様々なアイデアや改良点が連絡されてきたというから、宮本氏がイニシアチブをとって開発されたことは間違いないようだ。

以上、最終的にどうなったのかは不明だが、任天堂側はドンキーコングのプログラムを一部開発委託したことは当初から認めており、争点となったのは「(3)任天堂はプログラムを自らも第三者にもコピーしないし、させない」という契約が2年後にも及ぶのかといった点だったと思われる。

結局、ドンキーコングのアイデア自体は任天堂のものであり、奪い取ったというような表現は妥当ではない。

(*4)「bit」1997年4月号所収・駒野目裕久「アーケードゲームのテクノロジ ドンキーコング奮闘記」
参考文献

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