アスキー乗っ取り騒動
01/09/07up


96年5月29日、アスキーの西和彦社長は日経新聞の取材に「スクウェアのオーナー、宮本雅史氏がアスキー買収を狙っている」と発言した。宮本氏は本当にアスキ―買収を考えていたのか。
端緒
そもそもの発端は4月22日、10年来の友人である宮本氏とアスキーの小島文隆常務が、酒席で話したことから始まった。
その内容はアスキーが子会社に13億4,000万円を融資するという稟議書に小島氏がハンを押すか悩んでいるというものだった。というのも、その融資は実際は西和彦氏個人の借金返済に充てるというものだったからだ。
結局、3日後小島氏は、橋本副社長に辞表を提出したが、正式には受理されなかった。
5月20日には小島氏と思いを同じくしていた宮崎秀規常務、塩崎剛三取締役も辞表を提出した。3人は宮本氏と会い新しい会社を起こす相談をしていたが、アスキーを再建することも考えられないかという話になり、結局この方向で行動を起こすことになった。

ボタンの掛け違い


5月21日、塩崎氏がアポを取り、宮本雅史氏と、スクウェア役員2人が、アスキーのメインバンクである日本興行銀行の営業第八部を訪れた。ボタンの掛け違いはここから始まる。
 宮本氏は三役員の代理としてきたのだが、その話しの中身は初対面で切り出すものしとしてはぶしつけだった。
 具体的には、(1)西社長の会長への退任。新社長の名前まで挙げた。(2)儲からない新規事業からの撤退。(3)資金が必要ならば、宮本が新株を引き受ける。などといった内容である。
 スクウェアの役員が同行しているのは、スクウェアとは無関係である事を証言してもらうためだっが、その役員は都銀出身者。興銀の態度は硬化してしまった。
 「彼らが興銀に行ったことは後から知った。確かに軽率だったと思う」鈴木尚スクウェア副社長は語る。
 宮本にとって辞任した三役員は「設立時のスクウェアを、雑誌の誌面を通じて支援してくれた大恩人」だった。そのため、彼らが新会社を起こすなら、資金を援助する約束をしていた。但し、戻る気持ちもあるなら、その協力もするということで、宮本は興銀に赴いたのだった。
 興銀はすぐに宮本とスクウェアに関する情報収集をはじめた。当時、スクウェアはコンビニ流通計画を推進。ソフト開発者の引き抜きもを活発に行なっていた。また、7月に発売する「トバル」の開発陣の中心は、セガとナムコから移ってきたメンバー。しかもゲームの内容が二社のゲームと似通っていたため発売と同時に法的措置を取られるという噂も合った。
 ゲーム業界全体で「スクウェアはトラブルメーカー」という評価が出来つつあった。宮本は「スクウェアのサブメインバンクで身内のはずの興銀までが、なぜアスキーと一緒に乗っ取りだと騒いだのか、不思議でしかたがない」と語るが、こうした情報を得たであろう興銀がスクウェアを警戒するのは当然だろう。

アスキー臨戦体制に

 翌日、興銀から報告を受けたアスキーは臨戦体制に入った。浜田義史常務は「このままだと、人材が大量に引き抜かれる。泥沼の戦争をやるより、ビジネスとしてケリをつけた方が傷は浅くてすむ。先手必勝で、部門売却を持ちかけてはどうか」と考えた。
 浜田が西に提案したのは「ファミコン関連雑誌の第二、第七編集部とゲームソフト部門を、合せて300億から350億円で売る」というものだった。これらの部門は60億円弱を上げるアスキーの稼ぎ頭である。その約5年分の額で反応を見ようとした。
 西も同意し、22日夜7時、浜田は、その提案を持ってスクウェアの鈴木を訪ねた。鈴木は、浜田の提案内容を携帯電話で宮本に伝えた。宮本は、三人から「納得できる価格であれば買収も考えて欲しい」と依頼されていた。しかし、「その価格では話にならない」というのが宮本の答えだった。
 そして会って話をしようと、夜11時にホテルオークラの一室で、宮本と西ははじめて対面する。アスキー側には西、浜田。一方、宮本には鈴木が同行した。
 鈴木は今回の一件について「乗っ取りどころか、スクウェアとは一切関係ない」と言い切る。この夜も「宮本の友人として、いきがかり上、同席しただけ」と説明する。
 しかし、スクウェアとは関係ないといいながら、連日役員が同席している。鈴木の弁明も交渉術の一つと捉えられても仕方がなかった。結局交渉は一時間足らずで物別れとなった。
 26日夕方6時から帝国ホテルで行なわれた交渉で、西は興銀幹部から「興銀はアスキーを守る」という確認を得た。興銀の後ろ盾を得たことで、売却話は消える。引き抜きなどで最大600人辞めた場合の収益見込みも作成、興銀からツナギ資金の融資約束もとりつけた。そして27日、西は宮本の携帯電話に「売却話はなかった事に」という連絡を入れた。

乗っ取りまで考えていたのか


 宮本が乗っ取りまで考えていたとは思われない。過去数ヶ月の株式市場を見る限り、宮本が株集めをした形跡はほとんどないからである。後は役員の懐柔だが、三人が辞表を提出した後では、取締役会で多数を取れないはずである。しかし、騒ぎにまで発展したのはその責任は宮本が負うところが大きい。この一件は宮本がいきなりアスキー再建案を掲げた事から始まった。これが、後の展開に強い影響を与えた。宮本が恩人を救いたいとの気持ちは本当だったろうが、スクウェアの役員を常に同席させた事など、あちこちで疑われるような行動をとったことでアスキーは本気で乗っ取りを恐れたと考えられるからだ。

参考文献
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