「結婚式の背広」
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「新婦M子さんは、・・・・。」 「先生、みな知っているから、おせじの挨拶はいいよ。・・・・」 M子が、新婦席から私にそっと告げた。 ・・・・・・・ 「そうですか。それでは、成績優秀にして・・・なんて挨拶はよします。」 |
「みなさん、私の背広(上着)を見てください。今日は、礼服を着ずに、この上着を着てきました。今朝、おろしたばかりです。Mさん、この上着覚えていますか。・・・」 M子は、うなづいていた。 「そう、この上着は、卒業式のあと、あなたからもらったものです。約束どおり、今日、着ることができました。上着も、大変喜んでいます。おめでとう。」 |
「ごめんください」 卒業式が終わって、家でくつろいでいると、M子は両親と、私の家をたずねてきた。 「いろいろお世話になりました。M子も無事、卒業できました。」と両親。すると、M子が、 「先生、これ着てください。」と、なにやら包みを差し出した。 「何ですか、お礼の意味なら、気持ちだけで十分ですよ。受け取るわけにはいかないのですが・・」 両親が 「M子と、いろいろ探してきたものです。サイズが合わなければ、取り替えますので・・」 そう言って、包みの中身を出しながら、話を続けた。 |
「先生、失礼ですが、M子が、先生は、いつも同じ上着を着ている。だから、どうしても、上着を先生に。」 確かに、着るものをあまり替えない。経済的に、そんなに裕福ではないこともあって、そうなっている。 よく、見ているものだと思った。 「はい、確かに」恐縮した。 |
M子を受け持ったのは、中学3年になっからだ。 その前年、M子の学年(2年生)は、荒れに荒れた。学年の先生方もどうしてよいか、右往左往していた。 1年の担任で、生活指導部であった私が、学年末の次年度校内人事で、校長に呼ばれ、 「たのむ、3年へ飛び級して、生活指導をしてくれないか。私も退職で、最期の年なので。」 「でも、校長先生、2年生の学年は、私は、一度も指導にいったことがありませんよ。」 「わかっていますが・・・・君にぜひ頼みたい。」 「1日考えさせてください。それにしても、結局は子供のためでなく、校長のためか!」 |
1日考えて、引き受けることにした。しかし、条件があることを承知してもらった。 〇2年生のときの生活指導担当は担当を退くこと。(結局はしっぱいしたのだから) 〇生活指導は、私を中心に進めることを、新3年部は了解すること。 (かなりの抵抗・反感が予想されるが・・・事実、相当あった。) (生徒からもあった。「何で、あいつが3年にくるんだ!」) この校内人事で、予想されることを校長に話し、学年主任も含め、お互いに承知しておかなければならないこと。 |
そんな訳で、M子の担任になる訳だが、すんなりM子の担任になったわけではない。 |
前年度終わりに、クラス換え編成をするわけだが、次のように行われるが常である。 @まず、生徒の個人カードをつくり、成績や、生活、リーダー性、ピアノの技能、留意することなどを書き込む。 Aクラスに合わせ、生徒の個人カードを成績順においていく。(終わりのクラスで折り返す。) Bクラスごとのカードの集まりができる。 Cクラスごとに、多面的に、その集団でよいか検討する。 D各集団のカードを、たとえば「3−1」と書いた封筒に入れる。(外から見えない) ※この段階では、私は参加していない。 |
新年度になって、クラス担任になる先生が、くじ引きで、受け持つ封筒決まる。 E各クラス担任が、中身を見て、受け持つ生徒を確認する。 実は、ここから先、とんでもないことが、いつも起きる。 ?この段階で、私の封筒の中には、M子の名前はなかった。つまりM子の担任ではなかった。 M子を受け持つことになった担任から、簡単に言えば、 「M子を受け持つのは嫌だ。誰か交換してください。」と、とんでもない言葉が飛び出した。 結局、M子を受け持ってもよいという先生は、誰もいなかった。M子がかわいそうであった。 「いいですよ、私が、受け持ちますよ。」 M子と私の絆がはじまった。 |
学校がはじまり、M子には、いろいろあった。頭がよいのだが、成績はどんどん下がった。そして多才で、世話好きで感受性の強いM子は、独特の雰囲気があり、問題行動のある生徒たちにも好意を持たれていた。 M子のことで、最も大変だったのは、あるとき、友達数人と、あろうことか、反社会性の家に入り込み、かくまわれてしまった事件である。 |
私とY先生の二人で、その家に夕方、生徒を帰してくれるように、たのみにいったが、険もほろほろに、玄関払いをくらう、怖い体験をした。夜まで、2人でその家を見守っていると、そこへ、ある人(Nさん)が来て、 「先生たち、あんたら素人が行っても、かえしてもらえないよ。私たちがやるから、先生は、横を向いていな。」 と言って、Nさんと数人の若い大人が、生徒がかくまわれている家に行った。 10分もしないうちに、生徒たちがNさんにつれられて出てきた。もう明け方だった。 そのあと、Nさんの家の大広間で生徒たちは説教された。Nさんには、大変お世話になった。 |
M子は、そんなこともあって、とても進学を考える状況ではなかったが、学年末には、落ち着き、近くの県立高校へ進学することができた。 私も、転任になり、それ以来、M子とは会っていない。 M子の姉に偶然会い、元気で九州の方で生活していることがわかった。 同窓会があり、同窓生から、2つの会社の社長になって活躍していることも聞いた。 先日、携帯電話で、なつかしいM子の声を聞き、涙がとまらなかった。 今生のうち、声を聞けたことを幸せと思う。 「M子、君とともに、いっとき生活ができたこと、ありがとう。元気でね」 |