韓国ソウル JSA板門店(北朝鮮国境) FileNo,70



 休戦中と言う言葉が、ふさわしい程、辺りは静寂だった。韓国軍と国連軍、対する北朝鮮軍の軍事施設が点在する戦争非武装地帯JSA。

双眼鏡を使い北朝鮮兵の監視が我々訪問者に視線を向ける。我々訪問者も例外はなく北朝鮮兵の監視の対象だった。突然の銃撃戦で流れ弾に当たっても、あえて狙われて体を撃ち抜かれても「訪問者は、被害に対する補償の請求はできない」と言う、宣言書に署名をし、国連軍及び、韓国軍に提出し、この板門店を訪れる事が可能になる。「そこまでして、こんなに危険な所を、訪問したいの?」そんな言葉を日本出国前に家内から訊かれた。少々の観光気分も手伝ってか、恐怖は無かった。まして危険とは名ばかりと思っていたし、映画「JSA」の舞台を見たいとの軽い考えが私の心の多くを占めていた。

しかし、この場に足を踏み入れた瞬間、緊迫した空気、命を掛けた兵隊の後ろ姿が視界に入り、この静寂の中に見えない張り詰めた一本の細い線が見えそうな気がした。もし、その細い線が何かの拍子に音を立てて切れた時、目の前にいる兵士が血塗れになり、我々の様な訪問者にも銃口が向けられるかも知れない。日本にいては絶対にありえない事態が、目の前で展開する。実際に多くの兵隊が北朝鮮に睨みを利かせている。もはやこれは、訓練ではない、実戦だと訪問者の耳に語りかけている様な構図だった。実際に、板門店を訪問した8日後に非武装地帯にて、北朝鮮軍の若い兵士が亡命をしている。その時には、幸い銃撃戦はなかったと報道されていた。

日本での私の役割は予備自衛官として日本国に奉公したいと、名を連ねている。年に一回、自衛隊訓練に参加し、小銃も撃っている。その志を果たしたいが故に年に一回小銃を握る。しかし、自衛隊で訓練を受けている私も、さすがにこの板門店の空気の重さや、圧力に体が押し潰されそうになった。自然と鼓動が高鳴る。ここは休戦中といえ、戦争中なんだと、改めて思い知らされた。
そんな、板門店の画像を是非、ご覧頂きたい。












北朝鮮兵























共同警備区域
「この建物で国連軍、韓国軍と、北朝鮮軍の会議が行われる。
日頃の建物内部の警備は国連軍、韓国軍が行っている。」


    

韓国軍兵隊は北朝鮮の国側に入り、ドア周辺の警備を行っている。



国連の旗のある所が北朝鮮と韓国の国境を表している。





韓国軍兵士がサングラスをしているのは、視線で北朝鮮兵士を威嚇していると誤解されない為。また、拳を握り下に腕を下げているのは、不測の事態の時に拳銃をすぐ手に取れる様に。たったこれだけでも、緊張が伝わってくる。

余談ではあるが、我々に同行した韓国軍兵士や、この建物を警備する兵士、等多くの兵士は、徴兵され休学中の現役大学生である。








左側が北朝鮮側、国境を挟み右側が韓国の領土。共同警備区域の建物内のみ、訪問者も北朝鮮領土に入る事が出来る。



板門店の訪問はソウルに拠点のある、ツアー会社に申し込む必要がある。今回のツアーは英語圏の参加者が7割、日本人が3割ほどだった。

また、我々と同行した日本語ガイドは、離散家族であった。恐らく父とは一生再会を果たせない。表向きには判らないが、ソウル市民は常に戦争の危険にさらされており、ある程度の覚悟は出来ていると言う。最後に彼女は、「平和な国、日本、そして日本人が羨ましい」と結びに語った。














帰らざる橋
1953年朝鮮戦争停戦後、捕虜の交換がこの橋で行われた。南北いずれかの方向を選択すると二度と戻ることができない。南北分断の象徴。












北朝鮮の街


複写   複写

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韓国軍の監視小屋が多く点在する。






  

第3トンネル、北朝鮮軍がソウル攻略の為に、掘ったトンネル。その一部を公開している。内部撮影は禁止。写真はレプリカ。



  

自由の橋、休戦協定締結後に捕虜がこの橋を渡り、自由になった。

旧日本軍の蒸気機関車









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