青森県 青森駐屯地第9師団創立記念行事 FILE No,52
青森駐屯地の敷地内に、「八甲田山雪中行軍遭難事件」の資料館が併設されている(当時の雪中行軍に参加していた元第五連隊本部兵舎を青森駐屯地内へ移築)。対ロシア戦線に対抗するため、冬期訓練を青森から八戸へ、山を越える雪中行軍を当時の日本軍は行なった。
行軍参加部隊は、青森歩兵第五連隊210名、弘前歩兵第三十一連隊37名が参加した。この行軍は危険だと将校が察知し、用意周到に準備をした弘前歩兵第三十一連隊。かたや、雪山を軽視し、まともな準備もせず安易に行軍を開始した青森歩兵第五連隊。
この対照的な将校の振る舞いが部隊の明暗を分けた。行軍中、史上最悪の大寒波に遭遇し多くの命が失われる。用意周到な弘前歩兵第三十一連隊37名は無事帰還。青森歩兵第五連隊210名はほぼ全滅、唯一の生き残り11名は命は救われたものの重度の凍傷の為、四肢切断を余儀なくされた。その後、生き残った軍人は軍神様として寿命を全うした。
そして昭和になり、この人災は高倉健主演の映画「八甲田山」としてその悲しい歴史を永遠に語り継がれる事となった。
また近年になり、青森駐屯地は「駆けつけ警護」の部隊として平成になっても日本国防衛の要とな重大な任務を背負うことになる。
明治の時代の悲しい歴史を教訓とし鍛え上げられた冬期戦闘最強の部隊、昭和時代は戦時中には日本人として、勇気と誇りをもち終戦まで戦い抜いき日本国を守りぬいた部隊、平成時代には平和の日本を飛び出し世界平和に向け「駆けつけ警護」の任務に命を預ける部隊。全ては日本国防衛の要、「第9師団」の存在はなくてはならない重要な位置づけになる。
そんな自衛隊を代表する、第9師団の最強部隊に今日は逢いに来た。
第9師団 訓練展示
20××年、K国が青森県の某港へ上陸し、領土侵略を決行した。
日本国自衛隊はヘリOH-6、OH-1を飛ばし現在の侵略状況を偵察。
地上からも状況確認の為、偵察部隊が出動
敵兵力確認後、防衛出動が総理大臣より指令が下る。
レンジャー部隊が敵部隊駆逐に向けヘリからロープ降下する。
さらに、普通科部隊がヘリにてレンジャー部隊の応援に駆けつける。
各自衛隊部隊の車両も敵兵力の弱体化に向け参戦
榴弾砲と戦車主砲、そして全ての部隊による総攻撃
日本国自衛隊の戦闘能力にK国は歯が立たなかった。当然、K国は多くの犠牲を出し、侵略は未遂に終わった。
後日談だが、捕虜になったK国軍人は収容所での自衛隊の素晴らしい対応や、同じ軍人としての心遣いに感謝する兵士が多くを占めたとの事だった。
戦闘が終わり数ヵ月後、K国との防衛出動での自衛隊の活躍は、日本人の軍事アレルギーを終息させた。そして、日本国民の強烈な後押しのお陰で、自衛隊は20××年に「日本国自衛軍」と名を変えた。
第9師団 訓練展示状況終了
第9師団 観閲式
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