再来週、京都の舞鶴までツーリングに行く準備として
Ninja君、2回目のオイル交換をしました。
ついでに、オイルフィルターもね。
オイルは純正カワサキのオイルです。
フィルターのOリングは売ってなく、注文になるとの事でしたので、
今回はお見送り〜。
こんなんでいいのか!!と自分にツッコみ
オイル交換開始〜
出るは出るは、黒い液体、
フィルター交換も難なく終え
オイル漏れチェックして終了でした。
1000円高速料金の恩恵を受け行ってきます。京都まで。
今夜、深夜0時八王子インターに乗り、京都の舞鶴へ向けて出発します。
往復約1000キロ、一泊二日のツーリング。
昨年は、広島の呉まで行ったっけな〜。
遠い昔の記憶のようだ・・・。
前回同様、ツーリングリポートを
数回に分けて、報告する予定です。
では、しばらくの間サラバです。
往復、1,170キロの旅でした。
8/7日(金)業務終了。
明日から夏休み一週間です。
17:30に仕事を切り上げて、さっさと風呂に入り
夕食を済ませ、19:00には仮眠。
23:30に起床、出発
日付変更の深夜0:00に八王子インター通過。
の予定でした、が!!
現実は19:00に、お仕事終了!!
自宅に帰り、風呂、食事終了は、20:30!!
焦って、仮眠。。。
しかし、緊張のためか、寝れず・・・。
2時間程、お布団に入り寝ようと頑張りました。
去年の、広島県呉市に行った時の
睡眠不足による居眠り運転の悪夢が再び蘇りました。
以前、広島に行く時に徹夜状態で高速に乗り、バイクを運転しながら、フラ〜、フラ〜っと、蛇行運転をしてしまいました。いわゆる居眠り運転です。居眠り運転の怖い所は、本人は寝ているのに気がついていない事です。私も、ある程度の蛇行運転で目覚めたから良かったものの、そのまま気がつかなければ転倒事故か接触事故を起こしていました。その時の教訓として、少しでも仮眠をとるという事を学びました。しかし、今回も仮眠は取れませんでした。
そして、仮眠を諦め 23:30まで少しづつ準備をして、待ちました。
キューピーコーワゴールドも居眠り対策で、バックにしまいました。
家族は就寝しているので、そ〜っと、そ〜っとね。
Ninja250Rにも荷物を括り付け
駐車場から出します。
ご近所も寝静まっているので、もちろん、そ〜っと、そ〜っと。
今回は深夜とはいえ真夏の高速走行ですので、
ジーパンと長袖+MA-1としました。
寒くなれば、上下の雨合羽を着れば寒さをしのげるのでこの様な軽装にしました。
(実際、大成功でした。)
蒸し暑い深夜、いよいよNinja250Rのエンジンに火を付けて、自宅を出発しました。
八王子インターの近くのサンクスで深夜0時になるのを待ちました。
0時になりました。
0時7分ETCを通過
京都府舞鶴市に向けてアクセルを全開にしました。
中央高速は思いのほか、車が多く走っていました。
流石、¥1000高速の威力!
とにかく事故を起こさないように気を付けて目的地を目指します。
さて、目的地設定の事ですが、なぜ世界的に有名な神社仏閣がある京都市内ではなく、京都府舞鶴市を目的地に決めたかといいますと・・・。
海上自衛隊 舞鶴基地の一般公開があるので
艦船を見たいなぁ〜、艦中入りたいなぁ〜、
それと、23航空基地に行って、ヘリコプターの一般公開も見たいなぁ〜。
と、言う自分のマニアックな我がままを成就する為でした。
舞鶴市と聞くと、近くに日本三景の天橋立と連想する方もいらっしゃいますよね。
もちろん、Ninjaツーリング計画に入れました。
あとね、オバマ大統領が立候補した時に、ちと有名になった小浜市も通過する事がわかりました。ただ通過するだけなのに、みょ〜に楽しみが増えました。
そ〜言えば昨年、広島県呉市に行った時も、呉の海上自衛隊の基地関係と大和だけの呉観光で帰ったもんなぁ〜。
諏訪湖を超え、ひた走ります。
岐阜県に入り恵那を超え、名神高速に入る手前のSAに入りました。
深夜食を食べるためです。
それと、栄養剤が効いていても、やはりちょいと、寝ないと居眠り運転の懸念が消えません。
SAお勧めの、ソースかつ丼なる物を注文しました。
名古屋が近いからな〜と思いながら、パクパクパク。
寝てない体にコッテリメニューは、胃が重くなりすぎました。
そして、そのまま胃の重さと共にテーブルに、うつ伏せになり何とか寝る事が出来ました。
但し、栄養剤が効きすぎていたためか
15分で目覚め、その後その日は夜まで寝る事はありませんでした。
しかし、その15分の睡眠と栄養剤のお陰で、今回は居眠り運転にならなかったようです。
Ninja250Rから出る、ビームスマフラー音が夜の高速に響き渡ります。
小雨もなんのその。
名神自動車道に入りました。
関東のナンバープレートを見かけなくなるのもこの辺からです。
太陽も顔を出す準備をしています。
ほぼ、予定通りに進んでいます。
太陽が顔を出した頃、名神高速の養老で休憩をとり、暑くなったので防寒用雨合羽を脱ぎました。MA-1も脱ぎジーパン+長袖に変身しました。
その後は分岐まで走り、名神高速とはオサラバし、北陸自動車道に入りました。
そのまま、木之本インターチェンジで¥1000高速を降り琵琶湖の横を通り、小浜市通過して、舞鶴市です。
北陸道を走っていると、朝日が俺を照りつけ、Ninja250Rに乗って高速で走っている自分の影が左側に見えました。
なんか、「旅してるな俺」って言う自分に、ちょいとカッコよく感じました。
朝6:30に、高速を木之本インターチェンジで降りました。
ETC「¥1000」の表示を確認して、料金所を出ました。
さらに暑くなってきたので、料金所近くで、上半身裸になり、長袖からTシャツへ。
着替えている私の横を、同じく料金所を降りた旅慣れた感じのスカイウェイブが「気持ち悪いものを見てしまった。こいつに関わらんと早く行こう。」と言わんばかりに抜いていきました。
たまたま、このスカイウェイブと一般道を縦列に走行しました。
そして、意外なところで再開する事になります。
北陸自動車道を降り、琵琶湖とNinja250Rの写メを家族に送りました。
舞鶴市に向かう為、通過する小浜市は意外とインターから距離があって、
その間、途中までスカイウェイブと縦列走行をしていました。
よく見るとその、スカイウェイブは多摩ナンバーでした。
そして大型車が多く、同じ方向に走って行きます。
スピードが出せません。
若狭舞鶴自動車道、小浜西インターに向けて一般道を走らせ、やっとこサ小浜市へ入りました。
一時期、オバマ大統領とオバマつながりで手紙を送り、返事がきて、ちと日本中に名が知れた小浜市です。
それだけでしたが、TVで話題になった小浜市に来たミーハーな喜びがありました。
これから、飲み会の「ネタ」になる素材を確保しました。
若狭舞鶴自動車道に入ります。
社会化実験中の為、無料でした。
今回は¥1000高速と社会化実験で¥0です。
舞鶴市はもう少し、飛ばします。
これから一日何が起きるかワクワクです。
若狭舞鶴自動車道で舞鶴市の看板発見!!
舞鶴市に入りました。
まず、宿泊先のビジネスホテル、「ホテルパルコ」に荷物を置きに向かいました。
舞鶴港が目前で眺めがよく一泊¥4500の安宿です。
もちろん、食事なしです。
事前にインターネットで予約をしておきました。
朝8:30にホテルパルコに到着しました。
今年の日本はどこに行っても猛暑です。
ホテルでジーパンから七分ズボンに着替えて
舞鶴の町にNinja250Rと共に走りだしました。
最初に向かったのは、もちろん!
海上自衛隊 舞鶴基地です。
赤れんが倉庫群を横眼に映しながら走り抜け、ついた所は、
東郷平八郎と旧日本海軍に関する「海軍記念館」でした。
2番目に廻ろうと思っていた所に間違えて入ってしまいました。
が、記念館を見学。の後、舞鶴基地一般公開へ向かいました。
Ninja250Rは、とても快調です。
国道からデカ〜イ護衛艦がよく見えます。
なんで、さっき見過ごして海軍記念館へ行ったのかと思うくらい
フェンスの向こうは艦船、艦船、艦船です。ミサイル艦、掃海艇等々含めると
10艘程停泊しています。
猛暑も忘れ、ウハウハ。
ゲートで住所、名前、電話番号を書きNinja250Rを駐車場へ。
なんと、先程一緒に縦列走行をしていた多摩ナンバーのスカイウェイブも、そこに駐車してありました。
私と一緒で、東京からスクーターでわざわざ来たんだ〜っと、その人に話し掛けたくなりました。
が、特徴的なバイク、荷台は覚えていても、服装は覚えていなかったのでその後、その人が誰か、発見する事はできませんでした。
さて一方、艦船では、公開船以外は船のはまゆきは、手摺などの塗り替え塗装作業を自衛官がしておりました。
ちなみに、有名所の護衛艦は、
海上自衛隊 DD-126護衛艦 はまゆき
海上自衛隊 DD-130護衛艦 まつゆき
海上自衛隊 DD-143護衛艦 しらね
です。ドッシリと停泊していました。
しらねが、速射砲(ミサイルを発射する所)の動きを確認しています。
ゆっくり360°回転させておりました。
速射砲内部に2人、扉を開けて動かしていました。
ゆっくり動いていても迫力あるな〜。
さて、公開船は、まつゆきでした。
はまゆきの隣に、まつゆきが停泊しているので、
はまゆきの船上を歩いて経由まつゆきの船上に向かいます。
まつゆきにある、すべての備品が私には光り輝いて見えます。
もちろん、これを見る為に、深夜0時からNinja250Rを飛ばして、ここに来た訳ですから、感動でいっぱいです。
対空ミサイル砲、速射砲、消火設備、救命設備、デッキの床に至るまで
なるべく、触ったろうと思い、指やら、手の平でペタペタ指紋を付けました。
自衛官に写真を撮ってください、とお願いすると笑顔で撮影してくれました。
ちと、ヘルメットでペシャンコなロン毛、汗のお陰で額に前髪が貼り付いている、気持ち悪いおじさんのお願いを聞いてくれた、自衛官の皆さん、ありがとう良い思い出が出来ました。
まつゆきから離れ
先頭に停泊している、しらねに向かいました。
中には入れないので、外から見るだけね。
艦内放送が流れ、船上で速射砲内部から火が出たとの設定で消火訓練が始まりました。
訓練なので、緊迫した様子は見受けられませんでしたが、それぞれの役割を確認しながら、消火にあたっていました。
あの人は偉い人なんだろうな〜とか、ありゃ〜下っ端だなとか見てて楽しかったです。
さて、火事と言えば、耐火服を着た人を想像します。
出てくるかな〜と、しばらく待っていると出てきました。
耐火服を着た数名が。
真夏の暑い中、耐火服の中は、むしむし蒸し風呂だろうな〜と想像がつきます。
見てるこちらも半袖、七分スボンで倒れそうな暑さなのにねエ〜。
自衛官の皆さんご苦労様でした。
艦船をボオ〜っと。眺めていました。そして、護衛艦のパーツ一つ一つをジイ〜っと見ていました。
記念にNinja250Rと、はまゆき、まつゆきとスリーショットを決めて、舞鶴基地を離れました。
さて、さて、Nija250Rは猛暑の中、天橋立を目指し、エンジンがうなりをあげています。
熱風が凄まじいです。
天橋立まで、意外と距離がありました。
が、到着です。
観光バス、乗用車、人人人と熱気が凄いです。
Ninja250Rには、駅の駐輪場でしばしの、休憩をしてもらいます。
天橋立は、海水浴場としても有名なポイントですので、観光客以外に、海水浴客も沢山いました。
白い砂浜、日本三景のビーチ、日本一贅沢なビーチです。
小さい子供連れでの家族で海水浴を楽しむ姿を見ていたら、我が家で留守番している子供と奥様を思い出し、ちとブルーになってしまいました。
「父ちゃんは無事故で帰るからね〜」っと気持ちを切り替え、次なる場所へ。
少し歩くと、リフトとケーブルカーの乗り場があり、いよいよ高台から日本三景その絶景を望みます。
しかし、よく周りを見ない私はその乗り場が分からず、個人商店で昼飯のランチパックと水を買い、店主に乗り場を聞きました。
店主は、親切に乗り場を教えてくれリフトの割引券もくれました。
恥しいほど、すぐ近くにそのリフト乗り場はありました。
いよいよ、その絶景へGOです。
リフトに乗り高台へ
高台からの眺め、流石!日本三景、天橋立!!
緑の木々、白い砂浜、紺色の海、そして海水浴をしている人々の豆姿・・・。
平和な日本の象徴と思えるほどの素晴らしさです。
天橋立を逆さに見る「股のぞき」に挑戦。
これは実際にやってみないと、その迫力は伝わりません。
天橋立の楽しみは「股のぞき」にありですわ。
写真を逆さにして、見ても実際と全然ちがうからねエ〜。
この暑さが無ければしばらく眺めていたいのですが、何せ暑い暑い。
短時間でも感動を味わえたので、リフトで下界へ戻ります。
日本三景だから、お土産も喜ばれるかなと思い、散策していると沢山ある土産物店で良さそうな土産物屋を発見しました。
駅からそこそこ近い土産物屋の店頭には天橋立と書いてある、瓦煎餅を小さくした丁度いい商品がありました。
他の煎餅もとても美味しそうです。
そして、奥には民芸品も並んでいます。
Ninja250Rでの移動なので、スポンジ菓子等は高熱にさらされる商品はダメです。
大きさも小さいものがGOODです。
置物より喰い物と考える私には、煎餅がありとても助かりました。
ただ、荷物をゴムで固定するので煎餅が割れてしまいあます。
お店に好意で、段ボールをお店から頂く事にしました。
日本の和を感じるその煎餅が気に入り3袋で¥1000×2セットで、¥2000分買う事にしました。
そこまでは、店主の方と楽しく話をして、いよいよお会計です。
しかし、その後がっかりした事件がありました。
ガッカリした事件とは?
いよいよお会計です
会計は色っぽい、若い女性が行います。
店主は棚の整理をしています。
その会計の女性が「合計で¥2000ですウ〜。」と言いました。
¥2000が丁度無かったので、私は¥5000札を出しました。
その若い女性は大きな声で、堂々と「¥5000円お預かりして、¥2000のお釣りです。」
はて?はて?聞き間違いかな?
沈黙が3秒ほど・・・。
俺の勘違いで¥3000分買い物をしてたかな?
違うよな〜確かに¥2000分の買い物だったはずだけど・・・。
と自問自答が一2、3秒のうちに終了しました。
その若い女性はレジ、一点を見て直立不動です。
目は泳いでます。
直感で、挙動がおかしいな?と思いました。
私は女性を見て、「¥3000のお釣りではないですか?」
と訪ねた所、レジから視線が移動するが、私の顔を見る事も無く、
「いやア〜〜、間違えちゃったア〜〜〜」と白々しく、飲み屋のねえちゃん仕様の声で答えます。
「すいません」も無く残り¥1000をレジから出してお金を返してもらいました。
その後は、沈黙です。
「カモられそうになった」・・・。一瞬頭をよぎりました。
店主が女性に駆け寄ります。
店主は一言「すいませんね〜」と言っておしまいでした。
ここ数秒で色々な事が起きたので、私は頭の整理がつかないまま店を出ようと出口に向かいました。
そして、その女性と店主はヒソヒソ話を始めました。
店を出て、Ninja250Rの元へ。
いい店だなぁ〜と思って買い物をしたのに、「カモられそうになった」と、
事実を認識しました。
すると、店主と店員に、何とも言えない怒りが沸き起こりました。
Ninja250Rで、強い日差しと熱風を受けながら舞鶴市内へ戻ります。
店での出来事が、何度も頭でリピートしてしまい、肩を落としての走行です。
情けないやら、悔しいやら、悲しいやら、天橋立には罪はないけど天橋立と聞くとこの事をいつも思い出してしまうのかと考えて、がっかりです。
いっそのこと、この土産を突き返してやろうかとも思いました。
素晴らしい思い出が出来たのに・・・。
セコイ事しやがって・・・。
多くの男性が、「まっいいか」と、多くお金を払っているのでしょうね。
特に、男性一人で訪れる場合、この店は注意が必要だね。
舞鶴市、道の駅に到着しました。
活気があって、新鮮な海鮮物が沢山ありました。
海鮮物の串焼きも売っています。
私は蛸の串焼きを頂きました。
学生さんのバイトの女の子かな?
純粋そうで、元気があって、ニコニコ笑顔。
朝から出会った舞鶴市の人は、みんなこんな笑顔だったな〜と、ここまでの素敵な出会いを思い出したら、天橋立の出来事が急に許せる気持ちになりました。
蛸串は燻製にした鳥のささ身のような味と、食感でした。
つまり、たんぱくな味で、かなり固かったのね。
これも、旅行のいい思い出です。
さて、海上自衛隊 第23航空隊の一般公開に向かいます。
午後2時から1時間だけの貴重な公開です。
基地のゲートで、住所、名前、電話番号を記入し、入場許可証を首からぶら下げます。
しばらく歩くと、大きな格納庫がありました。
中には5機のヘリコプターが置いてあります。
ヘリに近づきます。
ドアが開いていて、操縦席も見れました。
家族連れの子供たちは操縦席に座り、パパが記念撮影中です。
みんなの楽しい声が、格納庫に響き渡ります。
しかし、ここのヘリコプターは兵器です。
遭難者も助けますが、やはり兵器である事は拭い去れません。
戦後、そのミサイルを使う事無く続いている平和・・・。
ミサイルが搭載しているヘリコプターと家族連れ、笑顔で記念写真を撮ってくれる自衛官の方々。
格納庫いっぱいに、日本の平和が漂っていました。
山崎豊子の小説には、シベリア抑留者の事が出てきます。
ドラマ不毛地帯には舞鶴港も出てきました。
沈まぬ太陽では、台詞でシベリア抑留者の事が語られていました。
岸壁の母が作られたのもここです。
そんな記念館、「引揚記念館」に行ってきました。
その時はジックリ見学したつもりでしたが、今残っている記憶は建物の中は涼しかったな〜っ、外に出たくねえな〜と思ってた事が思い出されます。
しかし、記念館は終戦後となっても日本に帰れない方々の苦悩の日々が手紙などを読むことで伝わってきます。
シベリヤで毎日が地獄のような日々なのに、安心させるために気丈に振る舞う父の手紙が心をうちます。
人の歴史と、人の想いがこの街には沁みついているようです。
「引揚記念館」を後にしました。
Ninja250Rは走ります。
熱風が相変らす、体を包み込まれます。
まだ、太陽が高い位置にあります。
時間を消化します。
さて、お次は舞鶴市が360°眺められる、五老スカイタワーです。
今は、鳥取県境港市に勤務の海上保安庁の友人が舞鶴市のお薦めスポットとしてメールで教えてくれました。
彼は東京人なのに海上保安庁なので日本中を転々としています。
色々観光ポイントも良く知っておりました。
遠くから軍港を眺めます。
360°眺めが最高です。
気持ちいい〜です。
思えば遠くへ来たもんだ。ってな心境でした。
ここも冷房が良く効いていて気持ち良かったです。
時間の消化も終わり、今夜のお宿のホテルパルコへ帰る事にしました。
夕方になっても熱風です。
ホテルにチェックイン。
ドロドロに汗をかいた体をきれいに洗い流す事にしました。
腕とふくらはぎの裏が日焼けで真っ赤っかです。
16:30ホテルにチェックイン。
ホテルは予想通り、ちと古く、タバコのにおいが残っていました。
ただ眺めは舞鶴湾が一望で来て抜群です。
荷物の整理を終え、シャワーで汗を流します。
日焼けの為、ふくらはぎの裏と腕がヒリヒリで痛いくらい沁みます。
17:30〜併設してあるビルの屋上でビアガーデンが開くと聞いたので、そちらに向かいました。
スタッフに案内されビアガーデンのテーブルにつきました。
オープンと同時だったので、客は私だけです。
今日一日私を苦しめた太陽がまだ、夕日となってカンカン照りです。
美味しそうな良くグラスの冷えたビールが運ばれてきました。
舞鶴湾を見ながらキューっとジョッキビールをゴクリ、ゴクリ。
この日のビールは体に沁み渡る味でした。
きっと、一生忘れる事が出来ない美味さです。
飲むほどに、深夜東京を出てから、舞鶴の観光疲れが吹っ飛びます。
しかし、しばらく経っても、まだ夕日が暑いです。
焼きそばと、唐揚げを頂きしばらく湾を眺めていました。
夕日が沈む時の舞鶴湾は一枚の風景画のようでした。
近くのコンビニで水割り缶を買い、ホテルで飲む事30分
19:00に疲労の為、目をつぶったと同時に記憶がなくなりました。
まさに、ドロのように就寝しました。
昨夜は、ほぼ徹夜で15分位しか寝ていなく、キューピーコーワゴールドを3錠飲んで騙し騙しここまで来ました。
さて、明日の予定です。
深夜2:30に起床します。
そして、舞鶴市から一気に東京まで帰ります。
東京へはお昼頃到着予定です。
舞鶴の夜・・・。ZZZZZZZZZZZZZ・・・・・・。爆睡でした。
19:00に就寝。
深夜2:30に起床の予定でした。
目覚めて、まだ1:00頃だろ〜と時計を見ると・・・。
ギョエ〜!!「4:30」!!!です。
ビックリ仰天!!
マンガで言うなら、目玉がビヨーんと飛び出た感じです。
なぜそんなに驚いたかと言うと、実は今日、夕方から福生七夕祭りでバンド出演する予定があったのです。
そう私はバンドマンでもあったのです。
無謀なスケジュールです。
12:00には東京に帰れると思ったので気軽に引き受けたのでした。
しか〜し、¥1000高速です。
渋滞したら時間に間に合いません。
ステージに穴をあけてしまいます。
最悪でも15:30には自宅に帰らなければ・・・。
アッという間に、支度を終えチェックアウト
荷物をタンデムシートに縛り付け、薄明るくなった舞鶴湾に別れを告げアクセルを開けました。
本当は、じっくり舞鶴湾に別れを告げたかったのですが、事情が事情なので先を急ぎました。
すでに今日の猛暑が、しばらくすると始まる気配がします。
朝方の一般道を走り抜けます。
若狭舞鶴自動車道に乗り舞鶴市に片手でバイバイと手を振りお別れをしました。
再度、一般道へ小浜市を通過し北陸道へ。
来た道を戻ります。
朝ご飯をまだ、食べていないので滋賀県のSAに入りました。
北陸うどんを食べました。
細く切った昆布かな?それが揚げてありまして、塩味がしています。
それを北陸うどんにドカンとのせ食べるのです。
朝から贅沢〜とノンキな私でした。
東京で夕方からバンド演奏なのに、今はまだ滋賀県を走っています。
ここで、懸念していた痛みに見舞われます。
ケツが、痛い。
徐々に痛みが増します。
その度に、ステップに立ちお尻お血流を良くしますが、10分もすると痛い。
前、後、右、左に腰から下を、くねくねズラシますが、痛い。
ここからは、頻繁にPA,SAに入る事になってしまいました。
しかし、15:50には自宅に帰らなければなりません。
北陸道から名神、中央道に入ります。
中央道に入り、自分の領域に帰ってきた感じがします。
ケツガ痛くても、我慢していれば家に帰れる気がしてきました。
特にここまでは渋滞らしい渋滞も無くスムーズです。
中央道の渋滞はスリスリすり抜けます。
でも、20キロ渋滞程度でした。
たくさん、ケツガ痛くSA、、PAに入りました。
それも最後の休憩となりました。
藤野PAです。
呉に行った時もここで最後の休憩をしました。
Ninja250Rを眺めていると、帰りたくない気持ちが出てきます。
そして、この一泊二日が走馬灯のように思い出されます。
来年も¥1000の高速料金ならまた何処かへ行こうと思います。
さて、よっこいショっと立ち上がり、Ninja250Rにまたがります。
家で待つ家族のもとへ向かう為、最後のエンジン始動、アクセルを全開にしました。
このまま、行けば15:00には自宅に帰れそうです。
もちろん、バンド演奏にも間に合います。
最後に、舞鶴市で出会った皆さんありがとう。
とても、素敵な思い出が出来ました。
一生忘れません。
「舞鶴市」・・・。
(このブログはヤフーブログにて1回〜19回に分けてアップしました。)
DD-130 まつゆき
DD-126 はまゆき