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広島県 呉基地

↓東京都→広島県までツーリングブログ↓
  「広島まで行けるかな?編」
         
(ヤフーブログにて記載した内容です。)

先日のシルバーウィークではNinja250Rのマフラーを新調した、ビームスマフラーの音と共に東京から広島まで往復1700キロのツーリングに行ってきました。東京八王子⇒広島呉市まで片道15時間、帰りは13時間でした。高速料金は大阪を通過する時別料金がかかりますので、片道¥1850の×2で、ガソリン代はバイクだったので¥7500、高速、ガスで合計なななんと!¥11200でした。体力は¥40000分位使ったような気がします。次回はまたこの続きです。

深夜12時。時刻が変わる頃高速に乗る為にインターへ向かいました。手前でバイクを止めて時間を待つ事に・・・。はたして広島までたどり着けるかな?
今までの一人最長記録は西は京都、東は蔵王、ただ車だけどね。バイクでは伊豆、山梨県、茨城県くらいですね。こんな長距離は初めての挑戦です。暗いし、不安だし、未知の距離だし・・・。今更子供のいる家には帰れないし、かみさんの心配をよそに計画してしまったので、やはり戻れませんわ。なんとも言えない、なんと表現していいのかわからない恐怖が私を圧し潰そうとしていました。そんな蒸し暑い夜、私のバイクは八王子インターを1204分通過しました。ま〜あまり考えず、行ってみましょうかね。
なぜ、このようにいい歳のおじさんが250ccのバイクで旅立ってしまったのか?次回はそのお話です。


広島に向けて出発しました。
シルバーウィーク二日目の深夜、思いのほか中央道は車の数が多いですし、皆さん飛ばしますわ。深夜の高速なんて、たしか20代半ば以降首都高速が最後で長い事走っていませんでした。なれない夜と、高速走行で、早速不安が私を包み込みました。早くこの状況に慣れましょう、と自分に言い聞かせておりました。


なぜ、こんなにも長距離を走り広島に向かう事になったのか?
と言いますと、単純に
Ninja250Rで、嫌と言うほど走りたかった。
ただそれだけです。
行先は、青森八戸でも、広島でも、岡山倉敷でも、鳥取砂丘でもどこでも良かったのです。
結局、広島に決まったのは「大和ミュージアム」があったから・・・。です。「男たちの大和」映画館で観ました。その影響ですわ。一度、海中から引き揚げられた大和の遺品と、資料をじっくり見たかったからが、その理由です。
ただ、今回の旅について、自分なりにいくつか条件を決めました。次回はそのお話です。
 

Ninja250Rで、嫌という程バイクに乗りたいと思い立って、いよいよ出発。
嫌という程バイクに乗れると言う事は私の場合こんな事かも知れません。↓↓↓
バイクのいい所って、運転中あまり考え事をしない事です。一人で車を運転すると音楽を聴きながらついつい考え事をしてしまいます。仕事の事、家庭の事、いい事、悪い事・・・。いい事は思い出すと最高にハッピーなドライブになりますよね。しかし、悪い事を考え出すと自分の中で思い出してイライラ、したりカリカリ怒りがこみ上げてきたりします。楽しいドライブだからと、振り払って楽しい事を考えようと思っても、そういう時はなかなか、払拭できません。しかし、バイクは運転に集中できます。
それは体の感覚、全てを使って運転しているからだと思います。
つまり、二輪の為バランスを体が自然ととっています。風が体中に当たるので服の中の皮膚や首顔などが常に外気を感じています。80キロになると風圧に体が対応しようと前傾になります。車体が小さいので車が存在を気付かせるようにバイクを運転します。等々・・・。
それらをずっと行う訳です。考え事をしたくてもバイクは出来ないのです。
ですので、バイクに乗っている間、頭の中は目の前の道を走る事しか考えず、集中し、世間とは切り離され、頭は真っ白けっけです。最高のストレス解消になります。偉そうに書いてしまいごめんなさいね。私だけの考えでございます。
Ninja250Rで、嫌という程バイクに乗りたいとは、嫌という程ストレスを解消したいという事なのかも知れません。
長い時間バイクに乗れれば行先はどこでも良かったという前回のブログにガッテンして頂けましたでしょうか?
・・・・・・・。有難う御座いました。
ソロツーリングを行うにあたり自分で決めた条件は次回になってしまいましたね。

嫌という程走りたいとお話した前回に引き続き今回はそれを達成する為の条件です。
漠然と目的も、決まりもなく「風まかせ〜」も最高のツーリングですよね。それもスペシャルな楽しみです。
まず、最低限の荷物と最低限の目的は明確にさせようと思いました。その為に、テント生活で日本を旅するライダーの本を2冊くらい読みました。勿論、本の内容は過激でした。野宿がメインですから、食事は自炊、どこでもテント(テントを設置する場所の選定の仕方も書いてありました。)、トイレはその辺(実践できませんはこりゃ)、しかし、持参荷物や服装も書いてあり大変勉強になりました。
荷物の条件として、寒いのはイヤ!!それだけ克服出来ればいいと言うのが、ちとお勉強をして考えた、条件その.1です。つまり最低限必要な荷物です。バイクは荷物が沢山は積めません。厳選しなくては!・・・。ライダー革パンツ&革ジャンが基本のスタイルこれに寒さが強烈だった時に役立つ雨カッパとコンビニビニール2枚です。勿論、下着、靴下くらいは持っていきます。あと現地ではライダースタイルだと服が重くて歩くのに重く、昼間は暑いので軽装一式と軽い靴だけでしたね。これで荷物の大きさはコンビニ袋の大きいの一つくらいかな。そして、なにせ9月とはいえ夜中の走行で、中央道です。諏訪湖を抜けますから寒いです。予想が大当たりまして、実際超寒かったです。革ジャンの上に上下雨カッパ&ブーツの中には靴下二枚と例のコンビニの袋を履かせました。量が少ない荷物で防寒バッチリでした。ただタオルを忘れました。首周りだけがスンゴク寒かった・・・。
その.2はまた今度のお楽しみ・・・。

荷物は決まりました。
では、次は予算と宿と内容です。
せっかく高速道路を安く行くんだから、旅行全体の費用も安くしたい。と思いました。どこまで安くできるかな??
当初は道の駅か、公園でテントを張って寝ようとも考えていましたが、長距離の運転で体はクタクタ、到着時間も何時になる事やらでテントはやめました。旅館、民宿は金額が合わず、やっと見つけたビジネスホテル。一泊¥4500呉マリンホテルです。食事はなくシャワー、トイレ完備、です。それも目的地の大和ミュージアムが目と鼻の先、勿論予約致しました。ご飯は18年前に広島を旅行した時に食べられなかったお好み焼きを食べると心に決めていました。とにかく安く、安く、安く。
観光も呉市のみ、大和ミュージアム、潜水艦の中に入れるてつのくじら館、海上自衛隊の呉基地そこでの一般公開、で、お好み焼きです。広島なのでもっと観光スポットが有りますが、今回は観光ではなく高速道路沢山で走る事が目的ですので、観光地はあくまでも折り返し地点のみと決めました。せっかく行ったのにもったいないですよね〜。私もそう思います。が、超高速長距離の短期移動で、乗り物はバイク!疲労で事故だけはしたくなかったので観光を含めた無理なスケジュールはご法度と、ソロツーリングの条件として決めました。

八王子インター周辺は夏の名残もあり、革パンツ&ジャン&厚着ではちと蒸し暑かったです。
高速に乗って、その蒸し暑さはどこへやら?ちょうど良い体感温度になってきました。まずは行ける所まで行き休憩するぞ!と気合が入っていました。相模湖、大月、談合坂とひたすら走ります。夜の走行にも体が慣れてきましたし、そしてNinjaはフルカウルなので思っていた以上に高速走行が楽々です。以前、CBR-400Fに乗っていましたが風がモロに体中に当り体温を下げていたように思います。が、フルカウルは体への負担がかなり軽減され、風が他へ流れていくので楽なポジションで走れました。荷物も風でガタガタすることなく、とてもいい子でした。
甲府までは深夜のツーリングを楽しんでおりましたが、甲府を過ぎた辺りから、アレ?寒いか?と感じ始め、須玉では寒さを確信しました。諏訪南では限界でついに初ピットインをしました。

深夜2時過ぎ、寒さのあまり諏訪南に入りました。
バイクの置き場に到着後寒さを我慢し、まずトイレへ。バイクに戻り用意していたカッパ上下を着用し、冷え切った革ブーツを脱ぎ靴下を一枚重ね補充と、用意しておいたビニール袋を靴下の上にかぶせ、革ブーツを履かせました。
我ながらいいアイディアでした。再び走行を開始し足元ビニール&カッパ上下作戦は見事に大成功。モコモコになってしまいましたが、快適ライディングに早変わりしました。後はガンガン行くのみ。
この時、同じく厚着に着替えているCB1300乗りのライダーが一人いました。その方とは話はしませんでしたが、その後私が休憩するパーキング、サービスエリアと不思議なくらいよく再会しました。全部で4回位あったかな〜。
さ〜て、名古屋が目前に迫ってきました。そして、名神高速にフェ〜ド イ〜ン(古い!?)しました。

名古屋に入りました。高速道路周辺に広がる街が見えてきました。
中央道と全く雰囲気が変わり、曲がらずまっすぐな道、そして、今まですり抜けるように走ってきた山々がなくなり、あの寒さはどこへやらと体が喜びました。
中部地方に入ったな〜と思うと同時に関東がすごく遠くに感じ急に寂しくなりました。自分の知らない土地に来てしまったと不安と雰囲気の全く違う道、さらには関東のナンバーがいない、ぽつんと孤立した八王子ナンバーの私、しかもバイク・・・。この時ばかりは、私は関東人、そしてここでは私はヨソモノなんだと凄く自覚しました。
そんな凹んでいる私に追い打ちをかけるように一台の車高短セダン車が、これでもか〜おら!おら〜!!と、私の小さな250ccを煽ってきました。ここは中部地方、関西は目と鼻の先、怖い車はみんなヤ○○”に見えてしまいます。久しぶりに、恐怖を感じました。しかし、まだ煽ってきます、しかしここは走行車線なのです。追い越し車線ならわかるけど!?と思いながら、素性がわからぬ車ですが、焦って事故は起こせません。とにかく状況を把握し開き直り、前の車にスピードを合わせてました。しばらく、そんな走行が続きました。そして、その車はひょいと追い越し車線に出て何事もなかったように走り去って行きました。
怖い車の洗礼を受けました。それから、さらに私の凹みは大きくなりました。

名古屋で怖い思いをした私は、京都に向けてアクセルを開けていました。
今度私を襲ってきた悪夢は、”睡魔”です。
昨夜は一睡もせず12時〜走っていました。家を出る前に少し寝ておこうと夜6時頃に横になったのですが、全く寝れず、ウトウトしたかと思うと一階で子供たちが運動会をしており、寝るのを諦めて千葉TVの「水曜どうでしょう」を見てしまいました。面白かったので全部見てしまいました。旅が終わった今でも”水曜どうでしょう”を見るとその日の事を思い出します。
そんな訳で寝れない私は、ゼナF2を購入!出発して夜中2時に最初の睡魔が来た時に服用していました。効きましたね〜見事に元気モリモリになりました。しかし、京都ではその効き目は遥か彼方へ消えておりました。とにかくSAで寝ようと思い二輪専用の駐車場に止めました。すると、50代位のライダーのおじさんが話しかけてきました。ZZR250に乗っていたそのおじさんとの話は大変面白く、名古屋の件で少々凹んでいた私を元気づけてくれました。今でも感謝です。ライダーっていいなァ〜と心から思えました。あの眠気はどこへ行ったのか?再び高速を走り始めました。その後、そのおじさんは私の横を”あばよ”手を上げて足り去っていきました。今でもZZR250を見るとそのおじさんを思い出します。おじさんありがとう元気が出ました。
しかし、世の中はそんなに甘くはなく睡魔は容赦なく私を襲いました。自分でもバイクがフラフラして走っている状況がわかります。居眠り運転をしていました。
早速、次のPAへ、今度は高速料金¥1000の為、車がびっしり&バイクの駐輪場が小さい。外は寒くて寝れません。中は人でいっぱいです。諦めて高速へ。
相変わらずふとした時に起きる、居眠り運転の呪縛から解放されません。
次のPAへ、うどんを食べ椅子に座りながら1時間30分程、快適な睡眠でした。きっと変な人だった事でしょう。
今思うと危険でした。初めて経験しました。しかし、その時はフラフラしている事に気付いても居眠りの自覚はないんですね。
今度の時は、体調を整えてから旅に出る事を心に誓いました。
 

京都から大阪、神戸まで今度は悪夢の高速渋滞が続きます。
京都から大阪までは、まっすぐな道でズ〜っと先が見渡せる道があります。両サイドは防音壁なので道だけが異様に印象的でした。少々アップダウンの先の先までビッちり渋滞の列が見渡せます。午前9時頃だったかな〜。みんなが動き始める時間です。
混んでいてもバイクなのですり抜けました。
大阪もすり抜けました。
神戸もすり抜けました。
やっとの思いで渋滞とおさらば出来ました。
が、ただ、不思議に思ったのが東京または東京近郊の高速にはバイク乗りが沢山見かけるのに大阪、神戸ではほとんど見かけませんでした。
しかし、これだけすり抜けを長時間続けていると疲労もかなり溜まります。
ましてや慣れない知らない高速道ではなおさらです。
もう渋滞はないだろうと思い山陽自動車を走行していると出てきました。渋滞が!
こちらも長〜い渋滞でした。事故も2ヶ所で起きていましたが、事故渋滞ではなく交通車両が多い為の¥1000渋滞でした。広島が目前なのに、京都からの長距離が渋滞だらけです。4050キロ渋滞のオンパレードでした。
クタクタの体で広島入り。小谷でチト遅いお昼、尾道ラーメンを食べ家族に広島入りのメール。
まだ着いてないのとビックリされました。予定では、東京から800キロなので、のんびり行って1030分には到着予定でした。
さて、西条ICで降りていよいよ目的地の呉市へ!ここですでに午後215分です。呉までは約1時間、ドロドロに疲れた体に希望のゴールが見えてきました。

呉市に付いたら、まっ先に向かおうかと思っていた、呉海上自衛隊の内部一般公開へは到着時間が遅れたため見送る事にしました。
ので、次の目的地に向かう前に、一路お宿がある呉ボートピアへ向かう事にしました。最初にお話しした格安のビジネスホテルです。
なぜ、早々にホテルへ向かうのかと言えば100kでの高速走行はライダースーツで過ごせたものの、下界の一般道は熱々で体力的に辛かったので着替えたかったのと、呉ボートピアに大和ミュージアム、てつのくじらが隣接されているので軽装になり歩いて移動したかったからでした。
時間的にはもう午後3時過ぎです。この2つを回って、夜お好み焼きを食って広島の観光は終了。翌朝には高速に乗り東京へ帰ります。
何と贅沢な旅行でしょうか。15時間かけて到着して、呉市だけの観光。ムフフ・・・。
ホテルの入り口はボートピアの内部にホテルがあるだけあり、JRA場外馬券場のようなおじさん達が沢山所かまわず座っています。その横に、簡単なポールとコーンで仕切られたホテル専用バイク置き場を見てビックリ!お粗末なバイク置き場だな〜。バイクを置きフロントへ向かいました。フロントでバイクの盗難が心配ですと伝えると1階の警備員さんに連絡が入り、警備員さんが登場。その警備員さんにその旨を伝えました。

すると、「大丈夫ですよ、昨日もハーレーに乗った人が来て同じように心配していましたけど深夜も定期的にボートピアを警備員が巡回していますので安心して下さい。それと今まで盗難はありませんから」と広島のなまりで話してくれました。同時に呉にはそんな悪い人はいないよ、呉は最も安全な街だよ。とも言葉の中に含まれていたような気がします。
しかし、夜は人通りのない裏道です。そ〜言われても心配は残りましたが、そのおじさんの広島なまりの優しい話し方で広島県民の穏やかな人柄を象徴しているようでした。東京人の私の少々ツンケンした物言いに対し、動じることなく優しい口調で、とても気持ち良く話をしてくれました。
東京でギスギスして、深夜不審な人を見ればドロボーと思ってしまう、私の気持ちの小ささが、おじさんには見ぬけていたのかも知れません。
滞在の数時間呉市民の優しさにこの先、沢山触れる事になりそうです。

4.5帖のホテルの部屋に入り軽装に着替え「てつのくじら館」へ本物の潜水艦がそのまま展示されており、内部にも入れます。ここでは掃海艇の役割と説明が私には印象的でした。海の中にも沢山の爆弾が隠されているのですね。
そして、「大和ミュージアム」へ向かいました。すぐ隣にあるので移動が楽ちんです。連休なので人でごったがえしていました。実際沈んでいる大和から引き揚げた遺品と、大和の画像がとても見ごたえがありました。
続いて、あきらめていた呉海上自衛隊の基地にも、とりあえずバイクで向かいました。夕方になってしまいましたのでフェンス越しから護衛艦等々等を見ました。横須賀で今まで見ていましたがこんなに近くで見れてとても幸せでした。潜水艦が近くで見れると言うのもここの基地の特徴です。見ました。感激でした。大きい基地でした。
バイクと艦船を一緒に記念撮影をして、しばらくボーっと沈黙の艦隊達を眺めていました。
呉の夕日に照らされた軍港と海が素晴らしく輝いていました。
夜は広島お好み焼きです。呉で有名な屋台街に行き地元の若い夫婦が切り盛りするお好み焼き屋で食べました。東京で食べる広島風お好み焼きと全く違い、本場のお好み焼きはキャベツと卵、焼きそばがクレープほどの薄い生地に包まれていてとてもフワフワでおいしかったです。屋台で、知り合った20代のあんちゃんと店主と話をして楽しい夜を過ごしました。これもソロツーリングの醍醐味かな。ちなみに屋台の店主が「原爆ドームに行かないの?呉だけ見て帰る人は初めてだ、凄くうれしいです。」と言ってくれました。
 帰りにボートピアの近くに隣接されているスーパーで少々ビールを買い、この後部屋で呉の夜を堪能しました。
では、ごきげんよう。

広島の夜も9時を回ろうとしていました。シャワーを浴び、ベットで長〜い一日を振り返りました。色々ありました。
明日は東京へ帰ります。気分しだいで出発時刻を決める事にしました。一応、ホテルには朝3時〜5時に出発しますと伝えておきました。
ZZZZZZ・・・・・。
朝です。と言うか深夜です。3時に起きました。もう少し寝ようと頑張りましたが、東京までの道のりがちょっと頭をよぎりました。それからすぐ、頭が起きてしまいました。
帰りは広島→東京です。
3時30分には部屋を出て、バイクへ向かいました。警備員さんに会いました。「もう帰るのかい。早いね〜。」みんな気軽に話しかけています。呉のいい思い出を心にしまい、行きと同じ道を帰り始めました。
同じ道なのに全く昼間とは違う顔をしています。そして街を離れると夜道は暗いです。ココは国道かと突っ込みを入れたくなるような道も通りました。みんなが寝静まっている街にNinjaのマフラー音が響いていました。
高速に乗りました。帰りも¥1000効果で車両の数が多いです。追い越し車線をひた走り広島ともさようならしました。帰るとなると寂しいです。
ファミリーが乗ったワゴンを抜いて行きます。楽しそうに目的地に向かうファミリー達に、自分の家族をダブらせながら走ります。
高速から見えるどこかの町の夜景も綺麗な星も寂しさを倍増させます。
”250ccの小さなバイク、一人、ヘッドライト以外は暗い闇の道、いつ起こるかも知れぬ事故の恐怖、遠くにいる我が子の笑顔・・・。”
「孤独の臨界点」です。
日が昇り、神戸に到着ここまで順調に来ました。
気持ちは平常通りに戻りました。
そして、サービスエリアで朝食明石ラーメンを頂きました。たこ焼きがフニャフニャしてておいしかったです。
次は四国に行こうかななんて考えながら大阪へ向かいました。
Ninja250Rは元気モリモリです。

1000の為、大阪から京都渋滞でした。
高速から見える京都タワーに手を振り京都のサービスエリアへ到着。
お尻が痛いです。頭の額あたり、ヘルメットで痒いです。今度は違う苦しみが私を襲っております。
バイク用駐車場に数台駐車してありました。そのうち3台は女性のツーリングビッグバイクグループでした。
私がバイクから離れてる間に我がNinjaの前に集まりその女性たちは雑談。
忘れ物をしてバイクに戻るとサァ〜っと女性たちは離れ、
私がバイクから離れてる間に我がNinjaの前に集まりその女性たちは雑談。
また私がバイクに近付くとサァ〜っと離れます。
面白いのでもう一回バイクから離れてみると我がNinjaの前に集まりその女性たちは雑談。
京都弁のそれは、それは素敵な3035歳位の女性でした。
ついでなので、その女性の一人にNinjaと私のツーショットを写真を撮影してもらいました。
当然、私がバイクに近付くとサァ〜っと離れてしまう女性達なので、強引にお願いしました。
今でもその写真を見るとその時の素敵な京都の女性を思い出します。
お尻の痛みと、額の痒みも無くなって来たので、京都を後にします。
ネックストは名古屋です。

お尻が痛い・・・すごく痛い。額がカユイ・・・しかし、かけない。
正直、お尻の痛みは覚悟していましたが、辛いです。
うっ血してるのがものすごくわかります。
高速走行でお尻を前へ後ろへ右へ、左へくねくねさせても一時しのぎです。
額は毛が抜ける(実際は平気でしたが)かと思う程、ボリボリ、カキカキしました。
フルフェイスのインナがあたる、額あたりが痒かったのです。
そんな状況での走行でした。
休憩してはカユミ、痛みを誤魔化し、だまし、だまし来ましたがだんだんその間隔が短くなってきました。
ヒドイ時には、高速バスストップでバイクを停め休憩、また休憩。
長野県に入りシートとお尻の間に洋服を挟みました。
少々前傾姿勢にはなりますが、これで痛みが消えてくれればと願いました。
お尻の痛みにも開放されました。
が腕に体重がかかる。
ある程度スピードを出せば風があたるので前傾姿勢から解放されるので楽でしたが、4050キロ渋滞は当たり前の¥1000休日高速道路、前傾はチト堪えました。
走っては渋滞、走っては渋滞。
しかし、中央道は自分の縄張りに帰って来たような気がしました。
今日の深夜まで広島に居たなんて何か不思議です。
カユミと戦いながら、諏訪を通過。
談合坂を通過。
藤野PAで最後の休憩をしました。
京都を通過したあたりから、休憩ばかり。
その度、ヘルメットを脱ぎボリボリ、カキカキ。
フルフェイスのヘルメットが頬に擦れて少々ヒリヒリします。
コーヒーを飲みながら、Ninjaを見ました。
昨日の深夜、広島に向けての出発、道中、孤独、渋滞に次ぐ渋滞、数時間の広島での滞在、帰りの道中、孤独の臨界点、痛みとカユミ・・・精神的、肉体的に色々乗り越えたな〜と思いました。
すべてが2日の間にたくさん起こりました。
何より素敵ないい思い出と、自分の経験の枠を超えた無謀な挑戦に無事成功した喜びがひしひしと沸いてきました。
ココから家までは40分位です。
家路に向かいます。
八王子インターで高速を降りますが、降りる手前の共立女子大の見えるあたりで、「広島行って帰って来たぞ〜、やったー!!」と大声で叫びました。
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歳で感動も少なくなったこの頃、このソロツーリングは大きな感動を自分にもたらしました。


(このツーリングブログは1
回〜15回に分けてヤフーブログに記載しました。)

練習艦 TV-3508 かしま

護衛艦 DD-131 せとゆき

音響測定艦 AOS-5202 はりま

掃海管制艇 MCL-726 おぎしま

掃海管制艇 MCL-727 さくしま

訓練支援艦 ATS-4203 てんりゅう

訓練支援艦 ATS-4202 くろべ

敷設艦 ARC-482 むろと

護衛艦 DD-129 やまゆき

水艦救難艦  ASR-403 ちはや