<1999年10月>


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10月1日

8月から写真を撮っていたフィルムを現像に出し、出来上がってきた。見てみると...うまくとれていない。どうしよっかなぁ。どうしてもミュージシャンに遠慮してしまうのでこういう結末になるのかな?とりあえず近々アップしますので雰囲気だけでも感じてください。
10月2日

予想もしていない事態が起きた。見えないものに体が蝕まれていく。これが人災ではやりきれないでしょ。これからどう対策をうっていくのか...
10月3日

友達の結婚パーティに出席した。10年ぐらい前からの音楽を通じて知り合った仲間が集まった。連絡をとっていなかった人も久しぶりに会えた。外見や環境が変わっているが、雰囲気や立ち振る舞い、懐かしい想いを巡らせながら最近の状況など話しができた。そして、解散してしまったバンドの一日だけの演奏や現在音楽活動している仲間からの歌の披露。彼女達の涙は忘れないよ。そしてこの一日の出来事を胸にそっとしまっておこう。
10月4日

週末に車を運転していたときのこと。渋滞していたところに車の脇をバイクが走り抜けて行く。いつも思うのだが、こんなに狭いところをよく通りぬけられるなと思っていた矢先、止まっていた小生の車の横を一台のバイクが通りすぎようとしていた。そしたらバックミラーにバイクのミラーがこつん。運転していた人がヘルメット越しにこくりと謝罪の気持ちを見せて走りすぎた。バイクを乗る方々、過信は禁物ですよ。
10月5日

アレルギー。食べ物や細菌に対して体が異常を訴える。が、最近は精神的なアレルギーが増えているのかある事象に対して極度に嫌う人、予想できない行動を起こす人が目に付く。これが世紀末のあらわれと言うのであれば早く21世紀になって欲しいところだ。
10月6日

週末に車を運転していたときのこと(その2)。渋滞が起きていて”事故かな?”と思っていたところ、片方向2車線の道を走っていると1台の車が追い越し車線で止まっていた。その夜踏切を渡る車が反対車線に進入して来た。特に障害物があったわけでもない。その後ろにはパトカーがついていた。しばらく走っていたら反対車線に進入したまま止まっている車。一日のうちにこんな場面に遭遇することは滅多にない。とりあえず無事に帰宅できたことにほっとしたのだが、最近の情勢は予想がつかない。
10月7日

付き合って1年ぐらい経って相手が自分を認めてもらえたりした時、すごくうれしい。それだけ自分のことを意識していてくれたわけだからね。
10月8日

最近ちょっと自分がせわしなくなっている。朝、会社に向かうときに改札を抜けて時刻表を見て次の電車に間に合うように隙間を縫って急ぎ足。おっとりしている自分に戻るかな。
10月9日

自動改札を抜けた途端、自動改札の扉(っていうのかな?)が閉まった。違った路線の定期を差し込んだことに気づいたがあとのまつり。でも改札通っちゃったので駅員に定期を見せていたけど全然気づいてくれない。”いいや”とホームに向かってしまったが...いいのかな?
10月10日

自宅の最寄りの駅のロータリーでは生ギターを持った若い人がいっぱい。平日でもいっぱい。中高生がたむろしている。これだけいるとなると本物が結構出てくるかな?やりつづけていると何かが見つかるだろう。どんな形であれ続けて欲しいと思いながら通りすぎる毎日です。
10月11日

”うちでは絶対ありえない”。これを言いきれることの背景とは。仕事?立場?問題が起こったときの対処があるのか聞かない(聞けない?)報道。これを見るとNASAの対応を思い出す。人間がやっていることなんだから”絶対ない”とはなかなかならないんだよ。問題を起こさないための技術や知恵、それでも問題が起きたときの対策を考えていないことが明らかになっている今回の問題は今後の対応が重視されてしかるべきだと私は思う。
10月12日

時間があればもっといいものが出来る。とすれば、若い奴には勝てない。若者よ今がチャンスだ。そして時間のない人よ。今までの経験を活かして奮起せよ。あなた達の経験は若者には得られない。時代が違うからね。そして互いが協力できる場があれば成功する道があるのだが...
10月13日

”親父狩り”。この現象は社会の仕組みの問題も抱えている。若者はなにも考えていないわけではない。マスコミの情報、街中、電車の中、いろいろと大人のやっていることを見ている。つまり大人への警告でもある。1人で変えようとしても出来ない問題。どうすんの?

「らせん」の警告と共通しているところがあるね。
10月14日

仕事としてコンピュータのプログラムをしていた経験がある。最初のうちは”こうやると...ほら絵が出た”とか言って喜んでいる。いろいろ考えていくと”こういうことが起こったらこんな感じに表示を変えよう”とか複雑になっていく。いろいろな事象を考えないで”出来た”と考えるのはそこで進歩もない。エラーが起きないようにすることも大切。エラー(問題)が起きたときを考慮してその対処を考えてプログラミングする。これが出来ていないと放射能が漏れたりするんだな。
10月15日

”インターネットに流れている情報は、ある意味で垂れ流し状態。まとめた情報はほとんどない。まとまった情報は今でも紙が主流。”とTVで話していた。確かにそう思う。それは悪いことではないし、インターネットではまとまった情報がないわけではない。単なる道具、手段だからね。紙に起こした時にはお金を払って入手していることがほとんどだけれどインターネットではまだ成熟していない。歴史を語るにはそれだけの時間が必要だ。
10月16日

朝、会社へ出かけるときになにやら行列が...幼稚園の願書受付だそうな。お母さん、お父さんがずらーっと列をなしていた。これも愛する子供のため。
10月17日

家になった柿が食べごろである。気温も下がりやっと秋がきたかな。おっと衣替えをしないと。
10月18日

デジカメ。難しいね。どうやってとれば良いのかわからない。室内だと照明によって写りが違う。今までカメラといえば使い捨てカメラだったので写真を撮る事に無知な小生。
10月19日

電車の中の女子中学生、うるさかったなぁ。一駅だけだったのだけれど、テニス部の活動の帰りらしく、”誰々のってるぅ?”、”うるさいよ”、”他の人に迷惑じゃない、ハッハッハッ”だって。
10月20日

電車の中の迷惑編、その2。携帯電話をかけた顔黒コギャルさん。朝のラッシュで、”えっ、今電車に乗ったよ。やっぱりよく聞こえない...まわりのおじさんに睨まれてる。やんなっちゃうよ。”だって。状況報告を電話で話している。まさにひとり古館状態。
10月21日

ファッションや持っているものは上等でも歩き方や振る舞い、喋り方がおかしかったりする。同じような格好をして、どうみても個性があるとは思えない。だんだん人形に見えてくる。動くマネキン???
10月22日

自分の生まれた世代は一番良い世代だと言われた。自分は一世代前の方が面白かったんじゃないかと思う。変えることの出来ないことへの憧れかな。
10月23日

久しぶりに新幹線に乗った。早いね。東京−名古屋が2時間。でも耳がつまっちゃってしょうがない。耳疲れであります。
10月24日

新幹線でのお話、第2弾。みんな慣れているというか車内に入った途端、買った弁当を食べたり、ビールを飲んだり、新聞読んだり、CD聞いたり...ノートパソコンの音はしなかったな。喫煙室でほとんどがサラリーマンなのにいなかった。学生の方がモバイルで楽しんでいるのかな?因みに小生は窓の外でも眺めようと思っていたが速くてよくわかりません。富士山は雲隠れ。情緒はないのね。
10月25日

はい。名古屋でのお話。トヨタ博物館に行った。これがなかなか。クラッシックカーのオンパレード。まずは自転車や馬車にエンジンがつけたような作り。それがどんどん車として機能性などを追及し現在の自動車になっている。年代毎、国毎に流行や社会環境みたいなものも感じられた。時間がなくてゆっくり見れませんでしたが、そんなに車に興味がない小生でも車の歴史に感動してきたのです。後ろから見れないのが残念。タッカー置いてくれないかな。
10月26日

名古屋でのお話、その2。名古屋ボストン美術館でのこと。常設展示室では「古代地中海世界の美術」と題してエジプトの工芸品や美術品が展示されていた。もう既にコインが出来ていたり、装飾品も細かいところにこだわりを持って作られていることに当時の人の意気込みが感じられた。自然に親しんでいたんだなぁ。
10月27日

この間の日曜日、渋谷まで行った。行列や人だかり。シークレットライブやイベントのためにごった返していた。何かが起こるという雰囲気に足を止めて見届けようとしたり、足がだるくなるのを我慢して列に並ぶ。結構辛抱強いんだね、人間って。
10月28日

この間の日曜日の話、その2。実はライブを見に行ったのだが、セッティングの間に10代ぐらいの若い女性があちこちで床に座っている。ライブハウスの床は汚いよ。そんな女性がファッションにこだわっていたり...小生には汚い女性にしか見えないけどね。
10月29日

美術品や骨董品の価値というのは人間の感性と違った尺度で測られている。貴重なものが一番。興味はあっても買う気はない。そんなもんだね。
10月30日

現在、家の中が散らかり放題。なかなかまとめようと思っていてもまとめられない資料があったりして片付けると忘れそうで棚の中に入れられない。こういう性分である小生。
10月31日

富田勲氏が昔にTV用に録音した曲をCD化した作品の販売停止を訴えた。TV用に録音したものではなく、CDとして販売することに絶えがたい、と。契約がどうなっているかで判断されるのは当然だが、ファンとしてはCDは販売停止となるのなら、今の富田サウンドとして作り上げてファンの気持ちに応えて欲しい。

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