<1999年 3月>


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3月1日

家に帰ってきて留守電が入っている事に気づく。聞いて見ると”プゥーッ、プゥーッ”とメッセージが何にも入っていない。これって不自然だよね。何か伝えたい事があったから電話していたはずなんだから...ただ、心理的にはわからないではないけど...あの”プゥーッ、プゥーッ”という音はすごくむなしいよ。
3月2日

人に教えるということは大変な事である。知識があっても教える技術というのは別物で如何にわかりやすく覚えられるか考える事やそれなりの話術がないとできないのである。この手の事は私には備わっていないので一番苦労する。こればかりは性格や経験などが必要だ。けれど教師になりたい人って多いんだよな。私は無口な性格なのでできる人が羨ましい。
3月3日

風というのは結構猛威をふるうものである。春風が吹くこの頃、車に乗っているとビニールや木屑が飛んでくるわ、橋を渡ろうとすると横殴りの風にハンドルを奪われそうになる。ただ風が止んだ時の空気は実にすがすがしい。生きてて良かったと思う一瞬でもある。
3月4日

臓器移植の事でこんなに大騒ぎになるとは思っても見なかった。TVでニュース速報や特番が流され、新聞誌面を大幅に割いて報道するさまにビックリである。まだ認知度が低いということなどからこんな状況になってしまったのだろうが、ヘリまで飛ばして臓器が運ばれるところを放映する必要があるのだろうか?情報の公開といってこんな事までする必要があるのか?移植提供者の家族や移植される患者の気持ちにもなって欲しいと憤りを感じる。
3月5日

ラジオを聴かなくなったのは、自分にとって流れてくる曲がナツメロになってしまった事。いつでもビートルズ、ビリージョエル等、それも代表曲ばかり流されてはつまらない。それなら自分の持っているCDを聴けば良い事だ。

しかし、その考えを揺るがす事が起きた。この間ヒデさん(沢登秀信氏)の自宅へ行った時の事、ヒデさんはNHKラジオ第一を聞いていた。音楽番組や愚痴っぽい番組以外にこういった番組があるじゃないか、と面白くなってしまった。自分のちょっとしたブームになっています。
3月6日

久しぶりに幼馴染にあった。話を聞いてみると職探しをしていると言う。主婦で十数年間過ごしてきた彼女は困惑していた。何処の会社でもパソコンが使えることが条件の第1歩であったことが原因である。そして彼女はいきなりパソコンを買った。が、何もわからないし、周りに教えてくれる人もいないという。例えば、パソコンは電話線を繋がないと動作しないと思っていたり...

といったことで、パソコンの設置を行なってきた。ただし、すべて彼女がやるようにして、質問に応じるという形をとった。開梱した後の梱包物の確認から接続、パソコンの初期設定、電源の入れ方、終了の仕方、アプリケーションのインストール、立ち上げ、終了...そうしないと動作しなくなったときや自分でバージョンアップする時に困るからね。とりあえず本体とプリンタは設置できて動作確認。そしてWIN98とWORD98、EXCEL97の初心者向け教本を選んで買い、勉強するようにした。あと今回やった事の復習とわからない事はメモを残すようにする事。あと少しでも時間を取って毎日パソコンに触る事(バイタリティのある人なので夜更かしにならずに時間を決めて行なう事を薦めた)。そして、目的を持ちながら操作する事。

彼女はインターネットの準備までしていた。パソコンの資格やセミナーの事まで調べていていた。プロバイダのことやISDNの事、TAまで購入済であった。あっぱれである。が、まずパソコンの基本を知ってからでも遅くないと後回しにした。

今回の1件で現在の就職難は深刻なものなんだと痛感させられた。彼女の努力が就職に結びつく事を望む。
3月7日

自分では浪費ぐせはないと思っていたが、最近買い物へ出かけると1万円札1枚は必ずなくなっている。何を買ったか確認するとCDや本、その他もろもろ...塵も積もればなんとやらといった具合だ。少し歯止めをかけなければならない状況らしい。でも...
3月8日

世紀末とは時間を尊く思わせるためのものなのだろうか?
2000年問題は随分長く報じられているが、どうも間に合わないように受ける。設計者の考えの甘さでもあるこの問題はどれだけのしっぺ返しとなって世界を混乱させるのか?企業も国と同じように管理が甘かったことによる問題である。昔の資料など残っていないものが少なくないのは仕事をした人ならわかると思う。まっとうな管理をしていればISOの資格取得なんて大げさに宣伝しなくとも良いだろう。この国の見えないものには金を出さない報いが年末にやってきそうである。
3月9日

この間、喫茶店に入ったら妙なランプを発見した。何かと思ったらトイレの使用中にランプがつくという代物。さりげない親切だなと感じた。
3月10日

小さい頃からTVを見て、パソコンの画面を始終見ているにもかかわらず、視力は衰えないでいる。視力が低下すると不自由な事が多々あるようだが、その気持ちはなかなかわからないでいる。わかるといえば、横断歩道を渡りづらくしている老人や視覚障害者が道を歩いているさまを見ればなんとなくわかるという程度。目を大事にしなくては...ただ、自分がメガネをかけるのは似合わないとは思う。
3月11日

私は人形というものが苦手である。キャラクターグッズのようなものはよいのだがごく普通の人形がどうもなじめない。特に洋人形がだめ。目がだめなのである。生きているような気がして落ち着かない。
3月12日

小さい頃に歌った歌は、今でも歌える。ふと口づさんでみると1番まるまる歌詞が出てくる。それだけ愛着があるのだが、現在流れている音楽はなかなか覚えられない。これは年のせい?
3月13日

B.B.KINGがTVに出ていて”日本のミュージシャンにも自分よりもうまくギターを弾く人がいるね(自分の解釈)”といっていたが、そういう声を聞いてどのくらい日本で頑張っているミュージシャンに耳を貸す人が出てくるのだろうか。多分本人と違った感性で弾くギタリストで惹かれるものがあったのだと思う。おべんちゃらじゃなく本音で話していると思えたインタビューだった。もっと数多くの人が日本のミュージシャンの歌や演奏を聴いてもらいたいと願うばかりである。ライブでね。
3月14日

この間車に乗っていたら月がよどんでいた。地平線近くの月は大気のせいでそうなる事はわかっているのだがおどろおどろしく見えた。月も顔を変えるということか。
3月15日

間接照明は非常に好きだ。自分の家でも間接照明にしたいのだがそんなにうまく行くはずがなく、とりあえず暖色蛍光灯にしている。普通の蛍光灯だとそっけない感じがしてしまう。ほんのちょっとした自分のこだわり。
3月16日

親と子という関係では”子供”と使うけれど、大人と子供の境界線はあまり考えた事がない。タバコが吸えるとか酒が飲めるとかいった程度である。”早く大人になりたい”という気持ちがわからないのは自分が成長していないのか?この年になってみると少しは自由になれたのだろうが、しがらみが多くなった。
3月17日

雨が止んだ後、散歩した。緑の芽吹く色、匂い、すがすがしい風が心地よい。営業マンが笑顔で自転車を漕いで行く。公園で母子が楽しそうに遊んでいる。皆笑顔。気持ちの良い1日。春の訪れである。
3月18日

サッカー熱は少しづつ上がっている。いろいろな問題が露呈したが、他の日本のスポーツより情報が公開されて少しづつ解決していく。サポーターも真剣に考える。着実に成長して行くさまを見続けていく事も大事だとつくづく思う。フーリガンだけは勘弁してもらいたいが...
3月19日

わからない土地へ行って道を聞く。ためらいもなく答えてもらえるとうれしくなる。不信そうな表情で通り過ぎて行かれてしまうと悲しくなる。
3月20日

卒業シーズン。着飾った女性を街で見かける。友達と笑って通り過ぎて行ったり、服が汚れないように気をつけて歩いている姿は微笑ましい。幸多きあれ。
3月21日

TVで都知事選の立候補者が討論を重ねている。これだけTVで討論するのは初めてではないか?誰に決まっても当選した後にどれだけのことができたかが問題なので、この勢いをTV局も含めて持続して欲しい。将来の夢が”当選する事”にならないように。
3月22日

今日は風が強い。けれど窓を開けると澄んだ空気が流れ込んでくる。大きく背伸び。深呼吸、深呼吸。外に出る時は気をつけて。何が飛んでくるかわからないよ。女性はお肌にも気をつけて。
3月23日

コンピュータは日々高性能化、低価格化している。半年前に買った自分のマシンも今では当たり前のスペックになっている。とりあえず使い道が決まっているので部屋の肥やしにならないで済んでいる。気をつけないといけないのは、コンピュータは進化するという事。OSしかり、ソフトしかり。自分も進化しなければ。
3月24日

澄み渡る空の下、老夫婦が散歩していた。おばあさんは車椅子に載り、それをおじいさんが押しながらゆっくりと街中の春の風景を見ていた。遠くに旅行するよりも日々愛情に触れているといった微笑ましい情景であった。
3月25日

駅前を歩いていたらチラシを配る人に何度も声をかけられた。何のチラシを配っているのかわからないが、配る人は女性には渡していないし、また学生や老人にも渡していない。つまり私が”目的の人”らしい。そういうオーラが出ているのか?
3月26日

高校で受験案内を売って裏金作りをして、その金を自分達の旅行などにあてていたという、何とも腹の立つ事が発覚した。学校ぐるみでの犯罪だ。最近の学校は荒れているというが、こういった事をやっているのでは生徒も荒れる。権利を持った人間の驕りが蔓延っている。どのように処分されるのか?
3月27日

アパートに住んでいる時、困った事がある。町内会の案内はない事である。それは住んでいる人との交流がとれない状態になるということだ。引越しの時にアパートの住人にあいさつをする時もインターフォンでしか会話してくれなかったりした。よそ者扱いのように思えたことは間違いない。
3月28日

”PHSは地下鉄の社内でも使えます”と言って売っている。でも電車の社内の広告には”車内での携帯電話の使用は止めましょう”と貼ってある。矛盾である。
3月29日

耳かきは気持ち良い。毎日のように綿棒で”クリクリッ”と掃除する。ところが人にやってもらうとうまくはいかない。ツボがわからない。”オェッ”となってしまうのである。人に耳かきすることを極めた人いないかな。(医学的にはあんまり掃除するのも良くないそうな)
3月30日

最近、自宅のパソコンが不安定になってきた。とうとう自分もWindowsOSの不安定に対処しなくてはいけないらしい。パソコンは進化するものだから不安定になるのもわからないではないが、作業途中でブルー画面、再起動が1日1回以上発生するのは勘弁してほしい。
3月31日

システム手帳を持っているのだが、予定表に記入する事はあまりない。予定がないからということではなく、覚えているからである。また、紛失した時に困るという面もあってあまり書かない。1日の日記をつけるわけでもないのだが、毎年予定表のシートを買ってしまう。


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