1990年〜 2.沢登秀信氏のサポート

沢登氏のデビュー・アルバム制作時にちょっと立ち入らせていただいた
(ここまで来ると沢登氏だと堅苦しいので、”ヒデさん”にさせていただきます)
私は歌入れの時と、マスタリングの時でした。
そんな関係で、ちょこちょこライブに足を運んでいた。

デパートの催し物やTV、ラジオ出演。そしてライブも地方に行くとあって同行した。
企画者がいる場合、大抵、ヒデさんが「この人、マネージャー」とか言って紹介する。
私は「サポーターです」と訂正するんですが...

大体、チラシ配り、興味を持っている人に席を薦めたり、演奏中にCDを宣伝するので、お客さんに良く見えるようにすること。CDに興味持った人に薦める。
たまにセッティングやミキサーマン。そして自分もライブを楽しむ。
いろんな方の反応が伝わることもあり、楽しくさせていただいた。
CDはね、なかなか売れないよ。
だってスーパーで生活用品を買いに来た家族が通り過ぎるところで演奏するんだから。
立ち止まって聴いてもらうだけでも大変なことなんだ。
ヒデさんは懐メロ一覧表まで用意してリクエストにも対応していた(五木ひろしとか美空ひばりとか)。
面白いことはスーパーのクリーニング屋や写真屋とかで働いている人が興味を持って聴いてくれるのね。
で、一日終わると数枚売れていたりする。
厳しいよね。


TVやラジオだとほとんどすることはないんだけれど、他称マネージャーになっちゃっているから一緒に緊張感を味わうことに(笑)。

びっくりしたのはあるラジオ局でのこと。
局に車で向かう途中で、「今日のテーマは”恥ずかしかったこと”なんだ。何かある?」ということで、ああだこうだと二人で話していた。
ヒデさんから「一緒にブースに入ってくれ」と言われて「緊張感からかな?」と、とりあえずブースのソファにいたら、いつの間にかマイクが一本用意されて本番!
「今日はもうひとり座っていただいてます」などとアナウンサーが話して、私も「こんにちわ」と話す始末。
そして私の恥ずかしかった体験を電波にのせて...
最後にアナウンサーが「沢登さんのどこが好きなんですか」の問いに「人生です」ととっさに答えていた。
これで面目が立ったかな。
こんなことを通じて、メディアの方の想いというのも、良きこと悪しきこと、いろいろあるんだなと感じることが出来た。
それでもヒデさんに対してローテーションに組み込んでイベントのゲストや曲を放送してくれる方々を目の当たりにした。
想いで動くことが出来る部分、仕事として判断していかなければならない部分。
現場は難しいよ。


...アルバムを一枚売ることの重み、忘れませんよ。

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