1989年〜(その1) 沢登秀信氏との出会い矢野かおり(ソラトブ)のPOPCON仲間の小口由紀子もコタンで「Papu_lu」として活動していた。
(小口由紀子は本選まで行ってたんだ)
これがキャッチーなポップスでね。
サポートのメンバーの演奏が当時の自分からすると天と地の差でさ。
「この人たち、音楽で飯食っていくんだろうなぁ」なんて演奏を聴いて思っていた。
楽しい時を過ごして帰ろうとライブハウスのドアを開けた時、サポートメンバーの中にギターの男性から”蜂の巣ライブも観に来てくれ!!”と声がかかった。
”蜂の巣ライブ?”。”そう、沢登秀信という人の後ろでもギター弾いているんだ”と。声をかけてきたのは当時の沢登秀信氏のギタリストであった中西氏だった。
”そんじゃ行くよ”と軽く返事を交わしてその場を後にした。帰りの電車の中で今日のライブのギターの音はあまり残ってはいなかった。
でも、なんとなく行って見る事にした。
そこは高円寺の稲生座だった。初めて観るバンドに対して意外な事に私は友達を連れていった。自分でも意外だった。
早めに店に入ったらリハーサルが終わるところ。中西氏に紹介されて沢登氏と初めてあった。印象は”ギターの高中に似てるな、おとなしい人柄のようだ”と感じた。そして開いていたカウンターに友達と座った。
周りの客層は若い人からおじさん、外国人までいた。なんか不思議な空間だ。今まで行ったライブハウスとは違う異国の感じがした。他愛のない会話をした後、ライブが始まった。
歌が始まった途端、その声にカウンターからステージへ目を移した(その時の曲は「犬」だった)。
聴くに連れ歌、メロディ、サウンドもさることながら、その歌詞に驚きを隠す事が出来なかった。
「今まで出会ったものとは違う。その歌に愛がないわけじゃない。現実を逃避しているわけでもない。でも頭の中にイメージをこびりつけてくる歌詞はなんなんだ。」
そして、曲を聴くごとに中西氏のギターも前のバンドでは出していなかった個性があるのに気づいた。ベースの可知氏の持ち味にも耳を奪われた。
私は自分が想像し得ない世界に連れ込まれながら打ちのめされていった。ついには飲めない酒に手を出してしまう有様だった。
当時自分でもバンドを組んでいたのだが、タダのコピーバンド。自分の気持ちを歌詞にして歌う事にためらいがあった。
自分の気持ちを伝える術がわからなかった時期でもあった。
オリジナルへの強い想いを抱いていたそんな夢を彼はこなごなに打ち砕いてしまった。
そう、彼の歌は「普段の生活の中から湧いてくるイメージを歌詞にして歌っている。人生そのものなのだ。」と。
普段暢気に生活をしている自分にとって嫉妬も感じていた。
「わかった」という曲は誰もが一回は経験していることに視点を当てた歌なのだが、視点が違う。もう彼独特の世界があるのだ。
最後に「リラの花」が歌われた時、客は足踏みし、机を叩き、叫んでいた。私はその生き生きしているステージ上の3人の姿に何も出来ないでいた。
ライブ終了後、打ちひしがれた自分としては”またくるよ”という言葉しか出なかった。
そんな出会いだった...
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