<伊太地山伝兵衛、秋元圭一 with the YellowSongStar>
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伊太地山伝兵衛 |
秋元圭一 with the YellowSongStar |
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1999.9.10.(金) 稲生座 伊太地山伝兵衛、秋元圭一 with the YellowSongStar
秋元圭一さんからメールを頂いた。稲生座でライブをやるとの事。対バンを見たら伊太地山伝兵衛さん。これは思ってもいないブッキングだ。早速秋元さんに当日足を運ぶことを返信メールで送った。
そう、伊太地山伝兵衛さんを最後に見たのが、かれこれ4年前に池袋Admに行ったきりになってしまっていた。
稲生座に行くとまたもドアの外でエミちゃんに遭遇。「まだリハだけど、伊太地山さんだからいいよ。」とリハから中へ入った。伊太地山さんと目が合ったら「おっ、久しぶり」と声をかけられた。憶えていてくれたんだよね。髭をはやしていた印象が強かったので髭のない顔をはじめて見て、前より若く感じられた。リハはギター、ヴォーカル、ベースの石井さんの出音の確認だけで終了。その後、1時間近く彼と話した。なにしろ会っていない間、風の噂には絶えなかった。そして彼も引き続き村上ポンタ秀一氏や佐山雅弘氏と活動を続けていたり、DUSTというユニット「伊太地山伝兵衛(vo)、佐山雅弘(p)、石井康二(b)」で活動してアルバムも作ったと話してくれた。
そしてライブが始まった。
まずは秋元圭一 YellowSongStar。
お酒が良く似合うバンドである。ほろ酔いでディランを聞いているような感じ(本人達も酔っていたのだが)。秋元さんのMCも江戸っ子かたぎの話しになったり、客との語り合いありと笑いがこぼれてた。途中、お店のエミちゃんが入りピアノを演奏してくれた。好きなんだよね、エミちゃんのピアノ。稲生座20周年記念コンサートでも聴いたがやっぱり稲生座だね。不思議なお店だ。
そして伊太地山伝兵衛さん。
小生は今まで4人もしくは5人編成のバンドでしか伝兵衛さんを見たことがなかった。今回はウッド・ベースの石井さんと二人である。妙に期待が高まってしまっていた。
ゆっくりとした面持ちでギターが語り始めた。1曲目は”ワンダフルワールド”。まだ蒸し暑い夜が意識の中からすぅーっと涼しげな秋の夜風に移り変わっていったようだ。でも力強いんだよね、心の底が。
そして久しぶりに耳に馴染んだイントロ、”雀荘のえっちゃん”。リクエストでもあればこれを聴きたいと思って足を運んだ小生の気持ちがわかったのだろうか。
MCではツアーの話、忘れて欲しくない言葉の話、”ギャフン委員会”の話、等笑いが絶えない。
最後にはDUSTで作成したアルバム「DUST」の中から新曲、”永遠と呼べるのは”を演奏。潮が引いていくように静かに演奏は終わりを告げた。
ライブが終わったあと、小生はDUSTのアルバムをすかさず購入した。そして秋元さんと伝兵衛さんと一緒に日本語の話で宴に花が咲いた。伝兵衛さんは”明日の夜には九州に入って、あさっての阿蘇でのイベントを行なうんだ”と話してくれた。しかも自分達で楽器車に乗ってである。気持ちがのっている。11月には湘南でのサザンや加山雄三さんとイベントがあることも教えてくれた。
伝兵衛さんは、今年後半は今回の稲生座を皮切りに全国78箇所でライブを行なうとの事。名前を見たら是非足を運んで欲しい。そしてタイミングを図って”ギャフン!”と言ってみよう。
最初に見たのは同じく稲生座であった。当時はバンドで「伊太地山伝兵衛商会」として活動していた。そして10年近く経った今、編成を変えても決して姿勢を変えずに活動し、そして色褪せない歌。部屋の中、夜歩いているとき、車に乗っているときと小生は口ずさめるぐらい何度も聴き返している。これからも足を運ぶよ。
P.S. 伝兵衛さん。稲生座の中でできた曲、早く聴きたいです。そしていろいろと相談にのってくれて感謝!
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