覚禅房胤栄の墓は、奈良市白毫寺町にある宝蔵院流槍術創始者の墓である。
覚禅房胤栄は、1521年生まれで、安土桃山時代の興福寺子院の宝蔵院の院主である。
胤栄が、宝蔵院流槍術を創始し、その後胤瞬、胤清、胤風などがこれを受け継ぎ発展に努めた。
宝蔵院流の槍は、鎌槍と称する十文字型の穂先に特徴があり、
「突けば槍、薙げば薙刀、引けば鎌、とにもかくにも外れあらまし」と伝えられて、
日本最大の槍術流派へと発展した。
胤栄没後400年にあたる2007年に、「宝蔵院流槍術累代之墓所」の石碑が建立された。
近鉄奈良駅から市内循環バス「高畑町」下車、徒歩15分。
道標に従って墓地内を登っていくと行くと墓所にたどり着く。(Y.N)