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イスタンブール見聞録
1.「オリエンタル急行・スィルケジ駅」


(はじめに)
2009年春に、トルコ・イスタンブールで世界水フォーラムが開かれます。前回はメキシコシティで皇太子殿下を迎えて開かれましたが、今回もたくさんの日本の水関係者がイスタンブールを訪れることと思います。
 そこで、2007年3月末にトルコのアンタリア市で開かれたIWA汚泥専門家会議の帰りに立ち寄った イスタンブールの情報を12回に渡ってお伝えします。
 どうぞお楽しみください。

イスタンブールのスポットとして最初に紹介するべき場所はたくさんあるので少し迷いましたが「スィルケジ駅」にしました。
 東ローマ帝国からオスマントルコ、近代トルコと変遷する中を見つめてきたボスポラス海峡のヨーロッパ側の拠点・スィルケジです。
 最近ではこの駅の地下深くボスポラス海峡横断鉄道トンネルを日本の援助で、大林組が建設中です。2009年3月の世界水フォーラムの頃にはトンネル自身は開通しているはずです。(開通しても駅施設やアクセス鉄道が遺跡問題などで大きく遅れる可能性が大ですが、)

(写真 スィルケジ駅、鉄道博物館側)

トルコ・イスタンブールはアジアとヨーロッパの架け橋。ギリシア、ローマの時代から東西の政治文化の交流点として栄えた。

 近年では、オリエント特急の終着駅として、トルコ・イスタンブールのスィルケジ駅が象徴的である。パリから来たオリエント急行は写真のスィルケジ駅で終点となり、乗客は下車し、目の前に広がるボスポラス海峡を船で渡り、再びアジア側の列車に乗って旅を続けた。
ちなみに、ヨーロッパ側はイスタンブール市の旧市街スィルケジ駅があるが、対岸のアジア側にはイスタンブール市のウシクダラ駅がある。ウシクダラという地名は日本でも江利チエミの歌った「ウシクダラはるばる来てみたら〜」という歌詞でよく知られている。

写真のスィルケジ駅の鉄道博物館側入り口は、当時の面影を残す重厚なレンガつくりで今も使われている。遠くからみると東京駅の一部のようにも見えてくる。元をたどればヨーロッパの駅のデザインにたどり着くのかもしれない。
この出口から何人かの乗客に混じってアガサ・クリスティが書いた探偵ポアロ現れて「オリエント急行殺人事件」が始まる、と想像すると面白い。

(写真 駅構内)

駅構内には切符を持っていなくても誰でも入れる。ヨーロッパのどの駅でもやっているように改札口はなく、切符は列車の中でチェックされる仕組みである。
ただし、トルコはイラクやイランに接しており、国境付近は危険な地域でもある。そのために駅の写真をたくさん撮っていると不審者に間違われないかと気にしながら進んだ。

 駅の中は清潔に整頓されている。駅に入るとまず目に付くのは列車が全て行き止まり、つまり終着駅であること。写真にあるような終着駅を示す白い看板に何か薀蓄(うんちく)がトルコ語で書いてあったが読めない、意味不明であった。
 トルコ全土の列車はトルコ国鉄が運営している。国鉄にとって、ボスポラス海峡で鉄道が二分されるのは残念なことで、現在、日本の円借款で大成建設が鉄道トンネルを建設中であるが、このトンネルが完成すると、アジア側とヨーロッパ側が線で結ばれるので大きな経済効果、政治的効果が期待されている。

 すでに、道路としては海峡を渡る橋が2本かけられていて、トルコ経済の発展に寄与している。そのうちの1本は日本の資金協力でIHIが建設した。2本の橋は、建設した国をなぞって、「日本橋」、「サッチャー橋」と呼ばれている。
 トルコにはトヨタやキャノンの工場もあり、対日感情は良い。


(写真 鉄道博物館案内板)

駅構内を歩いていると写真のような案内板を見つけた。

ガイドブックにはなかったが、トルコ国鉄(TCDD)の鉄道博物館であった。
中をのぞいてみたら、オリエント急行時代の客室模型や帽子、制服、実物大の列車運転席、鉄道のミニチュア模型、図面類や部品などが所狭しと展示してあった。

鉄道フアンのことを通称テッチャンと呼ぶが、テッチャンに取っては垂涎の展示なのだろう。
このオリエント急行がアジア側につながると、日本の技術で実現する海底鉄道トンネルの新たな展示品がここに並ぶに違いない。


(写真 駅の裏手はフェリー乗り場)

駅をでて道路を一本渡って海側に出るとフェリーの港になる。つまりアジア側からの通勤客は鉄道からフェリーボートに簡単に乗り移れる。

このフェリーの港ではアジア側の各所に向かうフェリーの改札口が行き先別に何箇所も並んでいた。写真は看板に書いてある通り、ここ対岸のウシクダラ桟橋(Uskudar iskelesi)へ向かう改札口である。このような大きな乗船口が何箇所も並んでいた。さすがにここスィルケジ駅はフェリーの拠点駅でもあった。

ちなみにここからボスポラス海峡を北に向かうと黒海に通じる。南に向かうとマルマラ海を経て地中海に至る。海上交通の要所である。
春の青空の下、海の風が快い。


(写真 やっと探したサバサンドの店)

 日本でサバサンドのことをガイドブックで知って、一度は試してみようと思っていた。

このフェリー乗り場でそのサバサンドが売られていた。写真のような鉄板焼きのサバを手前のサラダと一緒にフランスパンにはさんでかぶりつく。サバの油をたっぷりと含んですこしきついが、懐かしい味であった。
写真にあるように鉄板の上にあるレモンの上に載っている大きな青唐辛子もはさんでくれるが、これはものすごく辛い。ほんのわずかをかみ締めただけで口の中に激痛が走る感じなのでくれぐれも注意が必要である。

 サバは痛みやすい魚である。刺身とわさびの関係のように、サバを青唐辛子で解毒しているのかもしれない。
 味は、日本の焼き魚定食と同じで、さめて生臭くならないうちにいただくのがいい。陽気なトルコの売り手が「おいしいよ」といいながら売りさばいていた。


(写真 フェリー乗り場から新市街地を望む)

この写真はトラム(路面電車)の座席からフェリー乗り場を通して金角湾をはさんだ対岸の新市街地を臨んだもの。アジア側ウシクダラ方面は写真より右手奥にある。
新市街地の向こう側にボスポラス海峡があり、有名な二つの巨大なつり橋がかかっている。ボスポラス海峡を北(左)に行くと黒海にいたる。ウシクダラの南にはマルマナ海がありその先には地中海がある。

このトラムはすぐに右に曲がって金角湾を渡るガラダ橋を通って新市街地にいたる。
フェリー乗り場には客待ちのタクシーが大勢止まっていた。朝晩、このフェリー乗り場には多数の通勤客が殺到して賑わうらしい。アジア側に住んでヨーロッパ側で働くというのがイスタンブール人のライフスタイルらしい。


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