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北欧文学の訳者10選・4
訳者
小野寺信(おのでら・まこと、1897~1987)・小野寺百合子(おのでら・ゆりこ、1906~1991)
一言でいうと
第二次世界大戦中、中立国スウェーデンで諜報活動。戦後は、日本・スウェーデン間の貿易やスウェーデン文学の翻訳に従事。
解説
 第二次世界大戦中、スウェーデンは中立国でした。つまり、連合国と枢軸国、両方の情報が入ってきます。陸軍の軍人だった小野寺信は、1940年、スウェーデン公使館およびラトヴィア公使館付武官として、妻百合子と共にストックホルムに赴き、ソ連、ドイツ、連合国に関する諜報活動を行います。
 小野寺百合子『バルト海のほとりにて 武官の妻の大東亜戦争』(共同通信社1985/2005、朝日文庫1992)は、その頃を描いた自伝。副題にはドン引きしますが、中身には特に戦争賛美とか大日本帝国賛美とかいう色合いはありません。鉄を日本に輸出するためピアノ線の形で送り、無線で情報をやり取りして暗号を解読し、その暗号を他人に入手させないため、暗号表の入った金庫は10分以上放置せず、パーティなど夫婦で出かけなければならない時には、信は腹巻の中、百合子は帯の中に暗号を隠していた(そのため、百合子は一度も洋装しなかった)など、緊張感に満ちた暮らしぶりは、思想の左右を問わず、手に汗握って読めると思います。諜報活動で得られた情報や、現地で接した各国民の国民性の知識から、独ソ不可侵条約が破られるであろうこと、ドイツはソ連に勝てないことを予測した信は、日米開戦を留めようと画策しますが、小野寺の提言が聞き入れられることはありませんでした(このページの一番下にリンクしたNHKスペシャル「日米開戦不可ナリ」はこのことを扱ったもの)。
 戦後、公職追放された小野寺信は、スウェーデンとの貿易を行う会社を設立し、小野寺百合子は、児童文学を中心に、スウェーデン文学の紹介に努めます。
 小野寺百合子は、『ムーミン』シリーズのうち、「ムーミンパパ 海へいく」、「ムーミンパパの思い出」、リンドグレーン『エーミール』シリーズ、エルサ・ベスコフの絵本などを翻訳しています。ベスコフは、スウェーデン滞在中に知った作家として、日本に残した子どもに何冊か本を送ったが、潜水艦が沈められてしまってほとんど届かなかったという話が、『バルト海のほとりにて』に書かれています。
 わたしが初めて読んだ小野寺百合子の文章は、リンドグレーン『ピッピ、南の島へ』(大塚勇三訳)の後書き「アストリッド・リンドグレーン夫人を訪ねて」でした。ストックホルムにリンドグレーンを訪ねた際の訪問記で、最初にリンドグレーンから、英語で話すか、スウェーデン語で話すか聞かれ、自信のないスウェーデン語で話し始めたが、人柄に惹かれて最後まで気にせずスウェーデン語で通せた、というエピソードが、小学生心にとても印象的でした。岩波のリンドグレーン作品集では、このほか、尾崎義訳『わたしたちの島で』の後書きを書いています。本来尾崎が書くべきものだが、尾崎は出版社に原稿を渡した後、後書きを書く前に急逝したため小野寺が依頼された、という書き出しで、こちらも尾崎の人柄と業績をしのばせる名文です。
 小野寺信・小野寺百合子の共訳として名高いのが、エレン・ケイ『児童の世紀』(Barnets århundrade, 1900;邦訳1979)です。ケイについては、「北欧文学の訳者10選2 平塚らいてう」で述べた通りですが、同書は、19世紀末、イギリス、アメリカで始まった「新教育運動(New Education)」の論理的支柱の一つだったとされています。この運動は、従来の書物中心教育を批判し、児童の自主性・主体性を重んじようとするもので、大正時代の日本にも流入し、自由学園の創設などの形で実を結んでいます。『青鞜』の山田わかの部分訳のほか、大村仁太郎によるドイツ語からの重訳(1906年)、原田実による英語からの重訳(1916年)が刊行されていたものの、原典からの完訳は、小野寺夫妻によるものが初めてです。
 日本軍の諜報部員からスウェーデンの文化・文学紹介者へ、という非常に面白い経歴の二人。一見、日本との関係が薄そうな北欧ですが、文化や宗教だけでなく、軍事や外交も含め、実は様々な接点があったことを教えてくれます。

【追記】小野寺夫妻の諜報活動は、2016年7月30日にNHKのドラマ「百合子さんの絵本~陸軍武官・小野寺夫婦の戦争~」の題材になりました。ドラマの感想はこちら
主な著書・訳書
・エレン・ケイ/小野寺信・小野寺百合子『恋愛と結婚』、新評論、1997
・エレン・ケイ/小野寺信・小野寺百合子『児童の世紀』、冨山房、1979
・トーベ・ヤンソン/小野寺百合子『ムーミンパパ 海へいく』『ムーミンパパの思い出』、講談社文庫 新装版、2011
・アストリッド・リンドグレーン/小野寺百合子『エーミールと60ぴきのざりがに』、講談社文庫、1986
・エルサ・ベスコフ/小野寺百合子『ペレのあたらしいふく』(1976)、『ブルーベリーもりでのプッテのぼうけん』(1977)、至文堂、1993
・小野寺百合子『バルト海のほとりにて―武官の妻の大東亜戦争』、共同通信社、2005
・小野寺百合子『バルト海のほとりの人びと―心の交流をもとめて』、新評論、1998
  北欧の人々の紹介。来日したスヴェン・ヘディンが着物姿で写った貴重な写真が掲載されています。
・小野寺百合子「アストリッド・リンドグレーン夫人を訪ねて」、リンドグレーン『ピッピ、南の島へ』(大塚勇三訳)所収、岩波書店、1967
・小野寺百合子「あとがき」、リンドグレーン『わたしたちの島で』(尾崎義訳)所収、岩波書店、1970
リンク
・NHKオンデマンド日米開戦不可ナリ
1985年放送。小野寺信の日米開戦反対を取り上げたNHKスペシャル。2012年末まで視聴可。
渡辺 克義「駐ストックホルム・ 小野寺信武官夫人 小野寺百合子氏との会談(1993年9月10日)覚書」(PDF)
小野寺信と杉原千畝の関係などを尋ねたインタヴュー。
吉武信彦「日本・北欧政治関係の史的展開 ─日本からみた北欧─」(PDF)(『地域政策研究』(高崎経済大学地域政策学会)所収、 第3巻第1号、2000年7月、19頁~48頁)
外交史・清治氏の視点から見た日本と北欧の関係史。26ページで、「情報収集の拠点としてのスウェーデン」と小野寺信の活動に触れています。
渡辺 克義「駐ストックホルム・ 小野寺信武官夫人 小野寺百合子氏との会談(1993年9月10日)覚書」
・NHK終戦スペシャルドラマ「百合子さんの絵本~陸軍武官・小野寺夫婦の戦争~」