Astrid Lindgren: Rasmus på luffen, Stockholm (Raben och Sjögren),1956(放浪中のラスムス) ISBN:9789129657784
作品紹介 |
1956年の作品。この時期のリンドグレーンは、創作・出版活動の開始から10年を経て、すでに『長くつしたのピッピ』三部作、『カッレくん』三部作、『やかまし村』三部作を刊行し、作家としての名声を確立していました。1958年の国際アンデルセン賞受賞作。スウェーデンでは、1955年にロルフ・ヒュスベルイ監督、81年にオッレ・ヘルボム監督によって映画化されました。81年の映画は、2003年、『ロッタちゃん』シリーズの人気にあやかり、『ラスムスくんの幸せをさがして』というタイトルで日本でも公開されました。挿絵は、『カッレくん』シリーズと同じエリック・パルムクヴィスト。日本語訳はこれまた『カッレくん』シリーズと同じ尾崎義の手になるもので、同シリーズと並びリンドグレーン作品集では珍しい「だ・である」調で訳されています。
リンドグレーンは、「ラスムス」という名前が好きなようで、同名の人物が『カッレくん』に登場したり、『ラスムスくん英雄になる』で主人公を務めたりしていますが、本作のラスムスはいずれの二人とも別の人物。孤児院で育った「針毛の男の子」ラスムスは、全然遊ばせてもらえない、里子選びの大人が来るたび、お金持ちのきれいで優しいお母さんにもらわれたいと期待させられ、しかしもらわれていくのはいつも「縮れ毛の女の子」ばかり…という暮らしを捨て、自分で理想の里親を探すべく、ある晩孤児院を抜け出して旅に出ます。その途中で(と言っても、孤児院を抜け出した次の日なので、物語的にはすぐに)出会うのが、風来坊のオスカル。立ち寄る農家でお手伝いをしたり、歌を歌ったりして日銭やその日の食べ物を手に入れながら旅をするラスムスとオスカルは、途中立ち寄った町で強盗事件を解決したりしながら、オスカルの知り合いの金持の農家を目指します。それは、ラスムスが夢見ていた、お金持ちで、きれいで優しい夫婦の家で、おまけにかわいい子犬もいました。ラスムスは、めでたくその農家に引き取られることになるのですが、オスカルと離れがたく、結局その農家を後にして、オスカル(と、実は存在していたオスカルの奥さんマルティーナ)の養子になる、というお話です。金持ちではなく、奥さんもさばさばしたタイプで、ラスムスの夢見た「きれいで優しいお母さん」とはほど遠く、しかも、オスカルは、一応ちゃんと働くけど、時々はラスムスと一緒に風来坊に戻る、という結末です。
刊行から60年たった今日の視点から見ると、孤児院の描き方などはいかにもステレオタイプ的ですが、「子どもが親を選ぶ」という点が出色なのかなと思います。孤児が出て来る児童文学を、わたしはそこまで網羅しているわけではありませんが、知っているものは、マロ『家なき子』(1878)のように本当の親と再会するタイプか、ウェブスター『あしながおじさん』(1912)のように理想的な里親に引き取られる(『あしながおじさん』の場合は、里親=夫となる点が特異ですが)タイプに二分されるように思います。アンデルセン『みにくいアヒルの子』(1845)は前者。ディケンズ『オリバー・ツイスト』(1838)は、出生が分かる点は前者、理想的な里親に引き取られる点は後者。バーネット『小公女』(1905)は後者。これらの作品ではいずれも、子どもは本当の親もしくは里親に、一方的に引き取られています。子どもが自分で親を選ぶ、しかも、孤児ものでよくあるタイプの金持の人格者の里親を捨てて、浮浪者を選ぶ、というのは、よくありそうで、わたしの知る範囲ではほかに思いつかないパターンです。リンドグレーンの『ミオよ、わたしのミオ』は、孤児の少年が本当の父親(実は王様だった)の元に戻るところで話が始まりますが、ミオにもやはり親を選ぶ場面はなく、父と再会すると自動的にその息子に収まります。
リンドグレーンの伝記的事実に、「父を探す孤児」をあてはめるとすれば、おそらくは長男がそれに当たります。リンドグレーンは19歳の時に、職場の上司との間にできた息子ラーシュを私生児として出産(当時のスウェーデンでは、私生児の母を受け入れる病院がなかったので、コペンハーゲンで出産しています)、食べていくために、ラーシュをデンマークの里親に預けて働きます。『ピッピ』が、娘さんにしてあげた話から生まれたというエピソードは有名ですが、その娘カーリンは、その後、24歳で結婚したステューレ・リンドグレーンとの間の子どもです。ラーシュは、里親が病気になると、リンドグレーンの実家に引き取られ、リンドグレーンとステューレとの結婚に際して、ようやくリンドグレーンの元で暮らし始めます。時にラーシュ5歳。リンドグレーン自身を含むさまざまな「親」と接しながら、一度も親を選べなかったラーシュの境遇と比較すると、「親らしくない大人を親に選ぶラスムス」は、とても興味深い像です。
同時に、このお話は「(血のつながりの有無は別として)親がいなければ子どもは幸せになれない」というステレオタイプを強力に打ち出してもいて、それは、孤児院のステレオタイプ的な書き方にも通じています。この作品をもし論じるとしたら、この背景にある家族観を批判することが不可欠になりそうです。
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他の翻訳・バージョン |
【映画】
・『ラスムスくんの幸せをさがして』(ポニーキャニオン、2003):監督:オズ・ヘルボム、出演:エリック・リンドグレーン、アラン・エドワール、脚本:アストリッド・リンドグレーン、公開:1981年
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関連書籍 |
・チャールズ・ディケンズ『オリヴァー・トゥイスト』小池滋、ちくま文庫、1990
・ハンス・クリスチャン・アンデルセン「みにくいアヒルの子」『完訳アンデルセン童話集2』所収、大畑末吉訳、岩波文庫、1984
・エクトル・マロ『家なき子』二宮フサ訳、偕成社文庫、1997
・フランシス・バーネット『小公女』高楼方子訳、福音館書店、2011
・ジーン・ウェブスター『あしながおじさん』坪井郁美訳、福音館書店、1970
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出版社HP |
日本語版 岩波書店
・ハードカバーhttp://www.iwanami.co.jp/.BOOKS/11/9/1150710.html
・岩波少年文庫https://http://www.iwanami.co.jp/.BOOKS/11/1/1141050.html
スウェーデン語版 ラーベン・オ・シェーグレン社
http://www.rabensjogren.se/bocker/Utgiven/2004/Vinter/lindgren_astrid-rasmus_pa_luffen_-kartonnage/
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