第2話
とりあえず現在のやるべき行動は、辺りをぶらぶらすることだった。厳密に言うと、やるべき行動といってもやること自体がそれくらいしかなかった。持ち金ゼロ荷物ゼロの自分にとって、他に生産的な行動があるだろうか?
葉子はそう自分自身を納得させ、空腹をどうにか我慢しながら、砂浜、公園、そして住宅街を当てもなくさまよった。
寂しい街。あまりにも静かで、逆に心がざわざわする。この街は果てしなく田舎、という第一印象の次の感想は、この「寂しい」だった。
誰とも会っていなかった。完全な無人。実は、この街は過疎化が進みすぎて廃ダムのように村人みんなから見捨てられた街なんじゃないかと、そんなことさえ思った。
だから、葉子がその光景を認めたとき、まず最初に浮かんだ感情は安堵だった。
薄汚れた電信柱の向こうに黒のバンが停車していた。そのバンの横、これまた黒い集団が一様な格好をしてたむろしていた。
二人、三人……いえ、四人ですか。黒いスーツに、黒いサングラス。真冬だというのにコートも羽織っていないその黒ずくめの集団は、なんだかこの街には不釣合いに見えた。
……まあ、私の格好もこの街には不似合いなのでしょうけど。
黒い服装の相手と白い服装の自分、セットに並べるとこの上なく不吉である。
「…………」
葉子の頭に懸念がよぎった。もしかして、この街ではあんな黒ずくめの格好が普通なんでしょうか。
相手の服装をまた一瞥し、すぐさま視線を下ろして自分の服装を確認する。
……勝った。
それはさておき、葉子はどうしようかと悩んだ。声をかけてみようやら、恥を忍んでお金を借りようやら、食べ物を恵んでもらおうやら、そんな思いは浮かびもしなかったのだけど(あとの二つは思い浮かんでもやりませんけど……。さっきの姉弟の件は緊急事態だったからしょうがないんです)、とにかく葉子はしきりに首をかしげていた。
なんというか、その集団は異様だった。滑稽ですらあった。そんな雰囲気が集団からは漂っていた。
しかし葉子が無視せずに意を決してそこに近づいていったのは、別の理由があったからだった。
集団はすべて男のようだった。その彼らのうちの一人の腕の中に、少女らしき背中が見えていた。どうも気を失っているらしい少女の身体を、数人が囲み、持ち上げていた。
誘拐でしょうか。ふとそう思い浮かび、これは案外的を射ているのではと納得する。悪党というのは都会、田舎に限らず、どこにでもいるものですからね。
「ちょっと、あなた方」
声をかけてから葉子は嘆息する。私もお人好しになったものです……。その元凶がなんなのか、私はもう悟っているんですけど。それでも、まあいいかな、なんて妥協する自分自身に呆れていると、男たちが一斉に同じタイミングで視線をよこした。
そして、葉子は我が目を疑った。
……本気ですか?
男たちは眉一つ動かさず、そろって黒光りする何か――拳銃を取り出し、銃口を突き出してきたのだ。ロボットのように寸分の乱れもない動作、そこにはまったく迷いの感情が窺えない。
さすがにこれは予想外、いや、予想できる人なんているのでしょうか。せめて「なんだおまえは」とか、「正義の味方気取りかい姉ちゃん?」とか、普通はそういう前セリフがあるものでしょう?
男たちの表情は動かない。無表情。
街中で発砲なんかして、あなた方、よほど腕っ節に自信がない……じゃなくて、やましいことをしている証拠……でもなくて、よほど警察に捕まらない自信でもあるんでしょうか。
知らず、額に嫌な汗が流れた。そよ風に揺れていた前髪が貼りつく。
葉子は苦笑し、次には瞳の中央に温度のない冷たい光が宿っていた。
そうするうちに、男たちは有無を言わさず連続して発砲した。音はほとんどない、サイレンサー付のようだ。
葉子の手の平が閃き、空気の壁を生成、十を軽く超える弾丸はすべて宙にぴたりと停止した。手の平を降ろすと、まるで映画のマト○ックスのように停止していた弾丸がぱらぱらとアスファルトの地面を叩いた。
「……正気ですか、あなた方」
ふわりと扇型に舞っていた葉子の長髪が、流れ落ちるように両肩にかかるよりも前に、男たちはまた発砲していた。
葉子は、今度はブリッジをして弾丸をかわそうとはさすがにしないで、身をひるがえして電信柱の陰に隠れ、小さく渋面をつくった。
なんの茶番劇でしょうかこれは。短絡的にも程がある。それとも何も考えていない? あの人たちはクスリでもやっているんでしょうか。
それとも――あの人たち個人、もしくは所属する機関は、銃刀法違反を罰する警察も何のその、国家権力にたてつけるほど強い力を持っているとでも言うの?
と、ここまで思考して、葉子の頭にある光景がよぎった。
……そういえば、私が所属していたFARGOも、こんな感じの機関でしたね。
とはいえ、彼らはFARGOに関係する人物とは思えなかった。FARGOは表舞台には滅多に立たない世間から隔離された機関だったし、なにより、男たちのあの感情が欠如したような無個性な服装は、あまり良いとは言えない意味で世間に属している集団に見えた。
銃撃の雨が止み、次いでエンジン音が聞こえた。葉子が電信柱から顔を出すと、男たちの姿、それに少女の姿もすでになく、黒のバンが発進するところだった。
あんな怖いもの知らずの奴らにこれ以上関わるのはごめんなんですけど(あの少女を助けて恩を着せて衣食住を貢がせようなんて、これっぽっちも思ってませんよ、ええ)。葉子は地を蹴って飛び出し、車の後輪に不可視の力をぶち込み、タイヤをパンクさせた。
その音に気づいた男が数人、後部座席の窓から顔を出した。その瞬間に葉子は男の顔面を狙いすまして不可視の弾丸を放った。二人、それで首を垂らして気絶した。あっけない。
葉子は急停止したバンに小走りで近寄り、鍵がかかっていた助手席のドアを引っこ抜き、そこに乗っていたひとりも背後にぶん投げ、最後に残った運転手に手の平の銃口を向けた。
「……おまえ、なんなんだ」
男が、大きく息をついてそんなことを言った。
「ちゃんと喋れるんですね」葉子は皮肉っぽく笑って、「ホッとしました。だってさっきからのあなた方の行動を見る限り、感情のないまるっきり人形みたいでしたから」
「……そうか。おまえ、鹿沼葉子か」
男の言葉に、葉子ははてと首をかしげ、眉間にしわを寄せた。
「私とあなた、前にどこかで会いました?」
「いや、初対面だろうな」
「では、どうして私を知っているんです?」
「……さてね」
男が銃口を向けてきたところで葉子は不可視の力を使い、銃もろとも男を吹っ飛ばした。すぐに窓に後頭部をぶつけ、それっきり動かなくなった。
すぐに葉子は後部座席へと視線を走らせた。気絶した男二人に挟まれた格好で、そこにちゃんと少女はいた。
そのときには葉子の両目は点になっていた。
……ああ、私、やっぱり神様を信じていいかも。文無しで野宿でも、ぜんぜんいいかも。
懐かしい顔だと思った。
神尾観鈴が、あの孤島で出会ったときとうりふたつの制服を着て、すーすーと穏やかな寝息を立てて眠っていた。
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