2000年問題の各鉄道の対応を見る

         

1.はじめに

 いわゆる「2000年問題」に対する各鉄道の列車運転の対応が決まった。早くから問題を提起し、慎重を期して越年時の運転見合せを行うのは、ご承知のようにJR東日本である。そして、現在までの時点でのこの問題に対するJR及び大手民鉄の対応をみると、JRではJR北海道の津軽海峡線で運転を見合わせる列車がある他は全て平常運転である。民鉄は関東系は慎重派が主流で、一方、関西は安全宣言を出している鉄道が圧倒的である。


2.2000年問題対応のための業務の実態

 2000年問題対応のために必要とされる「プログラムのチェック及び改良作業」は、時として同じ規模の新しいプログラムを作るよりはるかに大変な場合が少なくない。なぜかと言えば、システムを作るメーカーはシステムを受注した時点では多くのメンバーをその開発に従事させているが、プロジェクト無事完成と同時に開発に携わったメンバーは空中分解して他の職場や業務についてしまう。だから、今回のような問題が起きたときには、そのプログラムの設計思想を全く分かっていない赤の他人が作業を行わなければならない場合が多い。プログラムを当初、手掛けた本人ならさほど難しいとは思えない作業を他人が行うとなれば、その作業は本当に大変である。
 各鉄道は自己が所有するシステムに関係する2000年問題については、手を尽くして改善を行ったといってはいる。しかし、鉄道で使用しているシステムの殆どは、もともと鉄道自身でつくったプログラムではなく、メーカーに制作させたものである。だから、よほどの大きなシステムは別として、多くのシステムの2000年問題チェックは鉄道自身の手で直接に行ったわけではなく、メーカーへ問題点の摘出を依頼して得た結果から問題の有無を判断している場合が多いのである。
 一方、問題点を依頼されたメーカー側でシステムチェックを行う担当者はシステムの開発に携わった人間とは全く別の人間である場合が多いことは先にのべた通りである。そして、他人の作ったプログラムを理解することの難しさも先に述べた。さらに、問題なのは、このような他人が作ったプログラムの修正という、どららかと言えば後ろ向きとも言えるこの作業では、作業者は「プログラムを作る喜び」を全く経験出来ない。システムエンジニアやプログラマーの最大の喜びであり、彼らのモラル維持の根源である「プログラムを創造する喜び」を期待出来ないこの作業に、当事者がどれほど力をいれているかは率直にいって疑わしい。
 本来的に容易でない作業、しかも、鉄道等の巨大ユーザーからの要請によって仕方なく行う採算的にも恐らく良くはないと思われる業務、そして、作業の内容は作業者のモラル維持が期待できない作業であって、作業者や担当者が手際よく処理しても上司や経営陣がら決して評価しては貰えない作業、これが問題を処理する担当者のこの問題に対する認識ではないだろうか? であるとするならば、システムのチェックか終わったとは言っても、これを全面的に信用することには問題があるといったほうが良さそうである。


3.鉄道システムの特異性

 われわれの身近にはいろいろな巨大システム、例えば、電気、水道、道路交通、通信、放送及び通信などが存在する。しかし、これらのシステムは大きいとはいっても、個々のシステムが全く独立して機能している例は余りない。たとえば、道路交通では自動車、道路、交通管制はまったく所管や所有者が異なっており、監督官庁までも違う。
 鉄道はその中では唯一と言っても良い程に、他のシステムとは協調して存在する部分が極めて少ない例外的な巨大システムである。つまり、列車を走らせる道具建ての殆どを自前で賄っている「自己完結型システム」なのである。
 今回の問題については、このような自己完結型の悪い点、つまり、独善的な面が出ているように思えてならない。今回、正常運行を行う鉄道の言によれば、自己点検の結果、異常は認められないので所定通りの運転をすることにしたとなっいる。完全に自己完結型なシステムで成り立つ企業であるならば、そして、その点検作業が完璧に行われたのなら、それもよいであろう。
 しかし、鉄道のシステムは実は重要な部分について自己完結となってはいないのである。その部分とは電力供給であり、ほとんどの鉄道は電力を部外からの供給に頼っており、これがなければ列車の運転どころか、駅構内の照明ですらままならない。電力について唯一、例外的に首都圏のほとんど全ての電車用の電力を自営で賄い、自己完結型に近いシステムで鉄道を運営しているJR東日本が、この問題でもっとも早く慎重な対応策を発表したのは何とも皮肉なことある。そして、電力に関し2000年問題に問題がないと断言し得ないことは、電力会社のこの問題への力の入れ方から見ても明らかなことである。
 電力会社は鉄道以上に巨大なユーザーであり、企業内部で使用されているシステムの多くは部外作であり、2000年問題について先に述べたの同じような案件を抱えているに違いない。そして、日本国中に緻密に張りめぐらされた電力供給のネットワークシステムは、最悪の場合、日本の一電力会社の一地域に異常が起きても、これが波及的に他の会社に及ぶ可能性があるのである。


4.鉄道で広域停電が発生したら

 電車の運転中に停電になっても途中に止まるだけで、深夜の空いた時間帯だから大した問題はないのではないかと考えるのは早計である。地下鉄や海底トンネルの中には多量の湧水に悩まされているところがあり、このような区間では停電が起きた場合、非常用ポンプではとても対応できず、僅か数時間で線路が冠水するところもある。もちろん、そのような区間は限られてはいる。しかし、そうでなくても、初詣の乗客で混雑した電車がトンネルの中で立ち往生し、乗客の救出に手間取っている間に非常用のバッテリーも干上がって車内が真っ暗となり、放送や外部との連絡用の列車無線も途絶え、現場の状況が把握出ないような事態が起きる可能性が皆無ではないとするならば、この問題は真剣に考えなければならない。
 このような事態は実際に起きる可能性は実際には非常に少ないであろう。しかし、電力業界がこの対応について、やっきとなっている現状を見れば、絶対にあり得ないと断言は出来ない。このような現状を踏まえれば、JR東日本や関東系の多くの民鉄でとった対策、つまり全ての列車を越年時にもより駅に停車させて様子をみるのは誠に賢明な処置と言わねばならない。しかし、このような対策も難しいのなら、JR北海道でとった対策、つまり、越年時点では少なくともトンネル内停車の事態に追い込まれたら事後の処理が大変な列車に限っては、発車を延ばして様子を見れば良いのである。このような対策ですらも実施しようとすれば、「終電接続」問題や、対策終了後に電車が一斉起動した時の尖頭負荷問題など、対策が容易でない案件が控えていることは筆者も承知している。しかし、これに擁する対策と、万一が起きた時の重大さを天秤にかければ、とちらを採るべきかは明らかではないのだろうか。
 ところで、大都市圏の鉄道事業の多くは実質的な地域独占企業であり、その経営は非常に安定している。そのような企業の多くは社風が官僚的な体質となりやすい。なぜなら、普通の会社なら収入や売り上げの確保に注ぐべき努力を差ほど行う必要はないから、社内では収入をどう分けるか、つまり、「パイの分け方」という後ろ向きの仕事が重要視され、その業務を持つ部門(一般的には人事や経理部門)が強い権限をもつ傾向になりすい。そして、このような傾向は鉄道全体にないとは言えない。このような雰囲気と、「自己完結」システムになじんだ空気の中にあっては、他社のシステムとの関連までをも視野に入れて2000年問題という、厄介でネガティブな議論することは鉄道の社内で、あまり好まれる雰囲気にはなかったのではあるまいか。
 この中にあって、この問題を初めに社内で提起したJR東日本担当者は相当の勇気がいったであろうし、その提案を受けて実施を決断した首脳もまた、同じような気持であるに違いない。もし、ダイヤの乱れがなく無事に2000年を迎えた場合には、結果論として「過剰反応」と言われかねない措置を敢えて行った関係者の勇気に敬意を評したいと思う。

 
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