信楽高原鉄道民事訴訟判決の問題点(その1)

− 鉄道事業と現行法制との乖離 -

 

・ はじめに

 平成11年3月29日に言い渡された信楽事故民事訴訟判決は、直通運転を行っている 鉄道、とりわけ、運転士がハンドルを握ったまま「丸ごと乗入れ」している鉄道に大変厳 しい内容となっている。民事裁判は本来は当事者同士の争いの場であり、当事者以外の者 がこれに意見を差し挟むことは好ましいことではない。まして、司法の専門家でない筆者 が、このような問題にコメントすることはためらいを感じる。しかし、今回出された判決 が確定した場合、その判断は今後の鉄道運営に大きな影響を及ぼす可能性を否定できない 。
 行政から独立した鉄道事故調査機関を設置するための運動を続けておられる「鉄道安全 推進会議」のご好意で、筆者は最近入手した1000頁にものぼる膨大な判決文を紐解いてみた。裁判の中心はSKR及びJR西日本とその従業員が信楽事故の責任と賠償を負う べきか否かについての争いである。その争い自体に筆者はコメントを加える立場にもなく 、また、その意図もない。以下には、その是非が争われた「運転取扱及び信号システムと 事故との関連」について裁判所が下した判断に限定して、愚見をこのぺージに数回に分け て掲載させて頂く。 

裁判所の主な判断1.
JR西日本(JRという)は、乗入先である信楽高原鉄道(SKR)でJRの車両や
従業員が関連した事故が起きないよう、主体的に安全対策を施すべき立場にあった。

 

1.争点 

 原告側のこの主張に対し、JRはSKR線内の鉄道事業の免許を持たないこと及びSKRとの協定を根拠にSKR線内の運行及び安全対策などにJRは関与出来ないと主張した 。乗入れ列車はハンドルを握るJR乗務員とともにSKRに「賃貸」したに過ぎないとの論理も展開した。現行法制ではJR主張のように、免許を持ったもの以外は鉄道事業を実施出来ない。SKRからの委託を受けて「運行の管理」に係わる場合にも、鉄道事業法( 以下「法」という)の定めにより運輸大臣の認可を取らなければならない。
 裁判では、法に定める「運行の管理」とは何を指すのかについて特に議論があったわけではない。しかし、この言葉の持つ意義は事件に深く係わるだけでなく、鉄道事業を規制する現行法制の本質に係わる重要な問題を含んでいる。そこで、先ず、この問題を論じて 見よう。

2.「運行の管理」とはなにか

 「運行」に関し裁判所が下した判断を見て見よう。判決ではJRに「運行管理権」がな いことを明確に認めているが、他方、以下の業務を処理する過程でJRがSKRの「運行 に関与した」と断定している。

JRはSKR乗入れ列車乗務員の点呼を行うなど乗務員の業務管理を行うことにより、 乗入れ列車の「運行に一定の関与」をした。

貴生川駅におけるSKR線関係信号機操作等の業務受託及びSKR線中間にある小野谷信号所上り出発信号機の現示に制約を加える優先テコ(その機能は後述する)の操作を 行うことにより「SKRの運行に関与」した。  


 さらに、判決の中では運行という言葉は使ってはいないものの、SKR側の要請を受けて乗入乗務員の教育という「重要な役割を担った」ことも認めている。しかし、「運行に 関与した」又は「重要な役割を担った」結果、JRが法に抵触してSKRの「運行管理」 まで行ったかどうかまでは判断していない。

3.安全対策と運行管理との関係

 判決要旨の中で「JRは主体的に安全対策を採りうる立場」にあると述べている。この立場は何を指すのであろうか。鉄道において「安全」は絶対的な重みをもつ。だから、運行管理という要の業務の主な目的の一つは「安全対策」のためであり、安全対策と運行管理とは表裏一体に近い関係にある。鉄道の安全対策を主体的に進めるためには、運行に一 定の関与をするに留まらず、運行の管理にも関わらければ実施出来ない場合が多い。だか ら、判決要旨に記載された「主体的な安全対策を採るべき立場」とは、「運行の管理」と いう列車運行の要を司る立場又はそれに準じた立場、すなわち、「運行管理に関与すべき 立場」とも解釈出来る。
 ところで、判決要旨で裁判所が述べたことを言い換えれば、「JRは主体的に安全対策 をとる得る立場にあるのに事故が起きた。だから、JRはその立場にありながら、その責を果たさなかった」と言っているのと同じである。そして、前述のように「運行の管理」 と「主体的な安全対策」とは表裏一体に近い関係にある。とすると、法の番人である裁判 所は、JRは「運行に関与」することにより、法に抵触する可能性ある「運行の管理に近 い業務」を行っていたが、「もっと、もっと、法に抵触する可能性ある業務に踏み込むべ きだった」と言っているようなものである。

4.「丸ごと乗入れ」は法律違反か?

 ところで、「丸ごと乗入れ」を実施しているのはSKRだけではない。そこで、この問題について、当事者であるJR及び鉄道事業者を監督する立場にある行政は、どう考えて いたのだろうか。
 JRの「『丸ごと乗入れ』は『賃貸』に過ぎないから、SKRの運行にJRは関与できない」との『立場を弁えた』主張は理解出来ないわけではない。だか、この主張には率直にいって無理がある。だから、法の番人は「丸ごと乗入れ」及び「優先テコ扱い」等は法律に 抵触し得ることを充分承知のうえで、実態に沿って「運行に関与をした」との判断をしたのであろう。私もその判断は概ね妥当であると思う。しかし、JRは「丸ごと乗入れ」が法 に抵触する可能性があるとは夢々思わなかったに違いない。というのは、裁判記録には、 JRとSKRとは「丸ごと乗入れ」を行うに先立って、事前に当局の詳細な行政指導を受 けたことが記録されているからである。
 一方、行政側の「丸ごと乗入れ」に対するスタンスは複雑怪奇である。新しい鉄道事業法制定以前は「運行管理」についての規制がなかったため、かなり自由な乗入れが行われていた。しかし、新法制定以降、一時は恣意的とも思われる「丸ごと乗入れ禁止令」が出 された時期もあるなど実に多様な判断が行われており、この問題は一重に行政の裁量に委ねられて来たといっても過言ではない。しかし、今回、裁判所は「丸ごと乗入れ」は、乗入れ先鉄道の「運行に一定の関与」することなので、「運行の管理」に近い業務と判断したのである。
 裁判記録にその実態が記載されている「行政指導」についても問題がある。なぜなら、 鉄道業務を監督する立場にある当局は、法に抵触する可能性がある「丸ごと乗入れ」(裁 判所はこれを「直通乗入れという危険状態の作出」と言っている)をJRが展開するのを 「行政指導」し、これを受けて運行された列車が事故を起こしたてしまったのだから。
 誤解のないようにご注意頂きたいのは、筆者は「直通乗入れは危険」と判断した判決に は同意出来ないし、「丸ごと乗入れ」や「運行管理の委託」は止めた方がよいとも思っていない。昔から「丸ごと乗入れ」が定着している神戸高速鉄道や、最近、「丸ごと乗入れ 」により在来線最高の150 km/h運転を行っている北越急行の運行実態を見る限り、信楽と 同じ事故が起きるとはとても考えられない。そして、「丸ごと乗入れ」を取り止めたときの利用者や関係鉄道が受ける損失も少なくない。このような問題が起きるのは、法令が実態に則したものになっていないからである。さらには裁量により、いかようにも解される法令条文が罷り通っていることの問題を筆者は指摘したいのである。
 今後、上級審でJRが「JRは当局の詳細なご指導を得てSKR線内へ乗入れいたのだ から、法に抵触する可能性ある『運行の管理に近い業務』や、これと表裏一体をなす『安全対策』など出来る訳がない」と主張し、これを発端として、裁判の過程で明らかになっ た行政指導と法律との整合性などが議論された場合にはどうなるのであろうか。


5.同類の問題

 SKRの「丸ごと乗入れ」を通じ、法律が鉄道事業の実態と乖離している姿が明らかになった。しかし、これ以外にも、実質的に他社の列車の運行に関与していると思われる事例が少なからず存在する。その例を挙げて見よう。

車両の直通運転
 直通運転では、乗入れ先鉄道の関係者を乗入れ元の鉄道が受入れて車両構造の教育や操縦訓練を行うことは勿論のこと、乗入れ先で車両を検査や整備し又は駐泊させることも行われている。このため、車両乗入れ先での運行の仕方、つまり、乗入れ先鉄道での車両運行管理について、乗入れ元と乗入れ先の鉄道により周到な事前打合せがなされる。その過程で、他社鉄道線内についての「車両の運行管理に関与する」事態が生ずる。
 これらの業務を単の車両の賃貸借契約に付帯する業務と見なすにはあまりに複雑である 。他の鉄道に乗入れる車両を運行管理するのは、どう見ても「運行に係わる業務」であると思われるし、そうであるなら、乗入れ元鉄道はこの業務を通じ相手先の列車の運行に関 与している可能性が高い。

共同使用駅
 本事件に係わったJR貴生川駅はSKRとの共同使用駅であり、裁判所は駅の管理を通 じJRはSKRの運行に係わったとの判断を下している。同じような事例は相互乗入れの境界にある共同使用駅全てに当てはまる。これらの駅では、駅を管理する一方の鉄道が双方の列車の運行に関与しなければならない。JR東日本と営団との共同使用駅である中野 、西船橋及び綾瀬のように信号取扱を含めて一方の鉄道が管理している例や、営団、東武 及び東急の共同使用駅である北千住や中目黒のように双方の職員が同じ信号扱所に同居し 、共同で信号を取り扱う駅もある。しかし、後者の場合でも、もちろん、信号扱所を含めての駅全体を指揮・管理する駅長は一人である。
 共同使用駅についての今回の裁判所の判断に筆者は同意できないのではあるが、判決に従えば、このような共同使用駅で一方の鉄道は、信号取扱を通じて相手方の運行に関与していることになる。


6.おわりに

 裁判で、JRは現行法制の下ではSKRの運行に関与出来る訳がないと主張したが、そ の主張は受け入れられず、法の番人は法律よりも実態を重んずる判断を行った。運行管理の委託を原則禁止している現行の条文は、全面的な運行管理の委託を想定して制定されたと思われるが、部分的な運行委託を行う場合、委託が許される範囲は明らかではない。こ のような曖昧な条文の存在が、過去に恣意的な行政指導を生みだす環境は育み、さらには 、今回のような悲劇の遠因の一つにもなったのではないだろうか。というのは、もし、法にこのような定めがなければ後に述べるSKR信号システム構築に際し、JR側がより積極的にこれに関与することによって、システム上のトラブルが防止出来た可能性もあるのだから。

 
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