ドイツ新幹線惨事の背景

 

 

1.事故原因はタイヤの「パンク」

 鋼で出来ている電車の車輪も長い間走るとゴムタイヤほどではないが磨耗する。だから、電車の車輪も自動車のタイヤと同じように取り替えられる構造になっている。日本の鉄道は「一体圧延車輪」(以下「圧延車輪」と略す)と呼ぶ「タイヤとホイールとが一体」になった車輪を使っており、これを取り替える時は「輪心」と呼ぶホイールに相当する部分まで一緒に取り替えなければならない。
 今回惨事が起きたドイツ新幹線ICEの車輪は自動車と同じように、「タイヤ」と「輪心」が別構造となっている。タイヤが減ったとき、これだけ取り替え、ホイールは替える必要がないので圧延車輪より経済的である。
 日本の鉄道も昔はドイツと同じタイヤを使っていた。タイヤの厚みは約80ミリで、これを約半分に減るまで使う。タイヤを輪心にはめ込む方法を「焼き嵌め」と言い、タイヤを約200度に加熱させ、膨張したとき輪心にはめ込む。常温に戻るとタイヤは収縮するので輪心に固く嵌まり込む。
 一見、経済的に見えるタイヤ方式の車輪ではあるが、「焼き嵌め」作業のミスで固く締めすぎるとタイヤに無理がかかって割れてしまう。これを「割損」といい、タイヤ損傷の中でも最も恐ろしい事故である。もちろん、焼き嵌め作業は厳しい規制を設けて行うのだが、それでも日本では割損事故が絶えず、昭和30年代には国鉄全体で年間約15件の割損事故が発生した。
 一方、作業ミスでタイヤの締め方が充分でないと、走行中にタイヤと輪心との間がゆるむ。ひどい場合には走行中にタイヤが輪心と別回転をする場合すらある。タイヤが緩むトラブルは数え切れない位発生していた。日本の鉄道では、タイヤが緩んでも、すぐに外れないよう「止金」が入っていたから、大きな事故に結びつく可能性は比較的少なかったのである。
 今回の事故ではタイヤは「緩んだ」ではなく「割れた」のではないかと思われる。高速回転中のタイヤが万が一にも割れると、高い遠心力でたちまちに輪心から外れてしまう。いわば、高速道路での程度の悪いパンク(バースト)と同じである。超高速列車での「緩み」を日本では経験していないので、タイヤが緩んだ時どうなるかは分からない。しかし、いずれのトラブルも高速車両では、絶対にあってはならないことである。今回のドイツ新幹線の事故では高速車両におけるタイヤ破損の恐ろしさを実証した形になった。

2.なぜタイヤを使っていたのか

ドイツ新幹線ICEも当初は、日本の地下鉄で使っているのと同じ特殊な形状の圧延車輪を使っていた。しかし、その後、いろいろな事情でタイヤに切り換えられている。それも、通常の焼き嵌め式タイヤではなく、防振型と呼ばれる輪心とタイヤとの間にゴムを挟む方式である。
 日本でも昔、ゴムを挟んだ方式のタイヤが「PCCカー」と呼ぶ高性能低騒音の東京都電(路面電車)で使われたことがあり、地下鉄やJRでも試験をしたことがある。しかし、使用中にゴムが変形するなどで保守が難しいため、結局普及しなかった。ICEに使われている防振型タイヤの詳しい構造は筆者もよく分からない。TV画面に写し出された車輪の状況をみると、一部のタイヤは事故の激しい衝撃で輪心から抜け出している。ドイツ新幹線のタイヤは「止金」を使った日本と違って、タイヤの取り付け方が甘く、しかも、タイヤが緩むとすぐに脱出する構造になっていたと推定される。何より安全が求められる高速列車の要部としては首をかしげる構造である。
 タイヤは走行中にレールと極めて高い圧力で接触しつつ、大きな衝撃を受け、激しい温度変化に受けるなどして強度限界に近い厳しい使用環境の下に晒される。だから、作業ミスは勿論のこと、タイヤ材料の些少な欠陥や、タイヤ自体を製造する過程でのわずかな作業のミスですらも事故に結びつく。戦後、高速化に伴って増大するタイヤ割損事故に対処するため、これについての研究が当時の国鉄で徹底的になされた。その結果、、既に昭和20年代の末期には高速車両や負荷の大きい車両へのタイヤの使用は好ましくないとの結論を得ている。これを受け、当時の苦しい経営の中で過酷の条件で使われるタイヤに圧延車輪の使用を開始し、今でもタイヤを使っているのは蒸気機関車くらいである。新幹線はもちろん初めから圧延車輪を使っている。
 タイヤのトラブルで辛苦を味わった当時の事情に詳しい日本の鉄道技術者から見れば、新幹線のような高速車両にタイヤを使うなどということは信じられないことに違いない。しかし、日仏と並んで高速鉄道を自力で建設した「鉄道大国」の一つであるドイツの鉄道技術のレベルは極めて高く、簡単なミスでこのような惨事を起こしたとは考えにくい。ドイツの新幹線がなぜ、このような車輪を使っていたのだろうか。

3.事故の背景

 戦前、世界最速列車「フリゲンダー・ハンブルガー」を走らせ、世界の鉄道界に君臨したドイツ国鉄は、戦後、鉄のカーテンで路線網を分断され、大きな痛手を被った。このため、高速鉄道の建設も日仏に遅れをとり、今回の悲劇の主人公となったICEが営業運転を始めたのはわずか8年前である。
 この結果、欧州主要都市を結ぶ高速鉄道網建設で仏との主導権争いに破れ、パリやロンドンを中心とする列車の規格はほとんど仏国鉄の仕様で統一されてしまった。この影響もあって、英仏からの列車が乗り入れるケルンのマスコミを中心に「我がドイツは仏の鉄道により侵略された」と大々的に報道が一時なされたことがある。このような事情がドイツ鉄道関係者に少なからぬ精神的なプレッシャーを与えなかったとは言えない。しかし、ICE開発に着手した当時のドイツ国鉄の取組は慎重で、実験や研究に長い期間をかけ、鉄道先進国の日仏とは別のドイツらしい堅実な高速鉄道を作り上げた。
 ところが、高速鉄道の開業とほぼ同時に、ドイツ国鉄は民営化と東西統一という激震に見舞われ、大幅な改組を強いられることになった。加えて、最近、政府の方針で東西の交通基盤整備のために、今まで類を見ない程の多様な新しい形式の車両が、今までにない規模で発注された。従来のドイツ国鉄時代には新車の重要部は全て国鉄直営で試験を行い、事前に問題を摘出してから量産に踏み切るケースが多かった。しかし、民営化を契機に車両の製造はメーカーの自己責任でなされることになった。
 「自己責任」といえば聞こえが良いが、要は「メーカー任せ」ということである。問題はすぐに起きた。ドイツ鉄道が一昨年に発注した新しい振り子ディーゼル列車が、登場直後から大きな事故を連続して起こし、ついには全面使用停止に追い込まれた。この時、ドイツ鉄道幹部は、事故の責任は一切メーカー側にあり、「我々は損害賠償を請求する用意がある」と発言して関係者を驚かせた。だが、今回のような事故が起きたとき「事故責任は全てメーカーにある」と言うわけには行かない。

4.鉄道基盤技術の涵養

鉄道で使われているシステムの多くは社会主義国家の鉄道を除きメーカーの手で作られ、鉄道側は中身を知らないケースが多い。自動車を運転するご婦人が自動車の構造を全く知らないのと同様である。「鉄の上を鉄の車輪が高速で転がる仕組」は鉄道以外には存在しないけれども、この仕組であるレールや車輪の作り方でさえも、多くの鉄道技術者は知らないであろう。しかし、私はそれで良いと思う。このような技術は「鉄道がメーカーに購入手配を行う」ことにより確保されているからである。
 問題は「鉄道が物品の購入することに付帯してメーカー側から技術情報が一切入手できない事象」である。このような事象についての技術は、鉄道の装置や部品を使用することに伴って発生する問題に係わるものが多い。その典型は「脱線現象の解明」である。このような事象に係わる技術は物品購入に付帯して車両メーカーから入手出来る訳がない。
 この種の技術を鉄道では「基盤技術」と呼ぶ。基盤技術は日常の鉄道の運営に直接目に見えて役立つことは少ない。「車輪を使う際に起きる際に生ずる問題」は、「車輪を購入手配するだけで確保できる技術」ではないから、やはり、その一部については基盤技術の範疇にはいると思う。このような技術を涵養するには、その研究を直接鉄道が行うかどうかは別として、少なくとも「このような問題についてキチンと調査・研究する必要がある」ことを、鉄道が問題として意識する必要がある。
 だが、問題についての深い造詣がなければ、問題意識など持てるはずがない。日本が半世紀前に既にタイヤに大きな使用上の問題があるのを見極め、圧延車輪の採用に踏み切ったのは、これについて深い造詣を持つ技術者が当時の鉄道内部に存在し、彼らがそれついて強い問題意識を持っていかたらである。裏を返して極言すれば、現在のドイツ鉄道にはこのような意識を持つ技術者がいなかったことにもなるのではないか。
 日本は国鉄時代には車輪に限らず、それぞれの基盤技術の分野に深い造詣をもつ技術者がいた。これを可能にしたのは、国鉄の組織にゆとりがあり、日常以外の業務にも多くの人材を投入できる余裕があったからである。しかし、民営化された現在、JR各社には鉄道の運営に必要な最小限の技術者しかいない。だから、基盤技術が鉄道内部で涵養されることは困難になっている。
 これに対し、「米国の鉄道は全て民営だが、うまくやっているではないか。」との意見もあろう。だが、営利中心に鉄道が経営される米国(このこと自体は間違ではない)には、鉄道会社の資金で運営される利益を追求しない組織である米国鉄道協会があり、ここでは「脱線現象の解明」のように「購入手配によって確保が期待できない技術」を広大な実験線を使って研究している。さらに、欧州各国国鉄の「護送船団方式」のよる手厚い庇護の下にあった欧州の鉄道業界も、フランスを除く国鉄が全て民営化され、これにつれ車両も「自己責任による発注」方式に改まったことを契機に、基盤技術の強化に乗り出し、大手メーカーは独自に広大な本格的実験線を建設し又は建設しつつある。
 ところが、「世界に誇るべき技術を持つ」とされる日本の鉄道に実験線は存在しない。それどころか、例えば、「車輪の使用(製造ではない)」について「鉄道という使用者の立場」からの深い造詣を持つ技術者も又存在しない。これは車輪にかぎる話ではなく、「購入手配によって確保が期待できない技術」については全て同じ傾向にあることを良く認識しておく必要がある。
 今回のドイツ鉄道の惨事を教訓として、日本も「鉄道自体が持つべき技術とは何か」を原点に立ち返って考える必要があると思う。

*鉄道ジャーナル(No.383 ,平成108月)に別の視点からのコメントが掲載されています。

 
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