永瀬 和彦
国土交通省の航空・鉄道事故調査委員会(以下、「事故調」という)は今から約1年近く前、JR福知山線脱線事故の調査結果を述べた報告書(以下、「報告書」という。)を公にした。報告書は、事故の直接原因は「カーブ進入時にブレーキ時期を失した」ことにあり、ブレーキ時期を逸した原因は「運転士が無線交信にそば耳を立てていた」ためであり、そして、原因の背景は「厳しい日勤教育など」にあった可能性が極めて高いとした。
ところで、今回の事故では原因解明の鍵を握る当事者が亡くなってしまった。だから事故原因を断定又は特定することは不可能に近く、「本当の原因は分らない」というのが実情である。とは言っても、これだけの大事故にそのような対応が許される筈もない。そこで、調査は「残された証拠などから最大限の努力をして事故原因を推定しよう。」との立場でなされるべきである。そして、出た結論は残念ながら「推定の域に留まるもの」となる可能性が極めて高いということを頭に入れておく必要である。
当然とも言えるこの考えに立てば、今回のような事故の調査に臨んでは、先入観にとらわれることなく、原因と考えられ得る事象を広く調べるのが本来の姿である。では、このような方法で調査が行われたのかと言えば、率直にいって相当違っていた。つまり、特定分野に偏っての「思い込み的な調査」が行われた可能性がある。
ところが、当時、これについてなされた報道の多くは事故調査の手法も適正で報告書の内容全てが妥当であることを前提に立つものが圧倒的であり、問題点を指摘した報道は一部に見られたに過ぎない。稀に見る大惨事の鉄道事故についての調査が偏った視点から行われ、内容に明らかに間違ったものが含まれているとしたら重大な問題である。そこで、非常に気の重い仕事ではあるが、事故から3年が経過した現在、これについて専門家から見た意見を敢えて述べさせて頂く。
この問題を論ずるに先立って、くれぐれも誤解のないようにお断りして置きたいことがある。それは、筆者は事故調が発表した原因が真の原因であった可能性は少なくないと考えている。問題とされた「日勤教育」も、そのような状況が相当あったと思っている。さらに、報告書の第2章及び第3章で多くの紙数を使って断じた「無理な列車運行計画」については、本列車は後述の如くそのような状況にはなかったことは疑いないが、他方、定時運転が不可能に近いダイヤで運転されていた「看板列車」が福知山線以外の線区に相当数実在したことを承知している。そして、JR首脳の言葉尻を捉えるような形で事実を認定した「安全管理体制上の問題」についても、より高い視点から見て安全管理の根幹に関わることで会社首脳の認識に一部問題があったと考えている。更に事故直前の本列車の運転状況を緻密な調査によって明らかにした事故調の労は高く評価されるべきであると思っているのである。
つまり、報告書の根本的な調査の手法などに大きな問題があるのは事実ではあるが、事故前のJR西日本には報告書で指摘されたように多くの問題があったことも事実である。そして、報告書の多くの部分、特に推定や憶測に基づく部分以外の箇所は極めて妥当なものと考えている。加えて申し添えるならば、筆者は事故調の有用性を否定するものは決してない。事故調のない時代に事故が起きて、原因解明に禍根を残した営団地下鉄日比谷線脱線事故や信楽高原鐵道事故の二の舞を踏む事態は避けなければならないからである。
これらのことを充分にお含みの上、私見をお読み下さればと思う。
2.1 報告書最大の問題点
事故前に心身に異常があったとの情報のない運転士が運転する列車で操縦ミスと推定される原因で重大事故が発生し、本人が死亡して原因の特定が困難な場合、事故直前の本人の挙動や健康状態について徹底的な調査を行い、得た情報から事故発生時に運転士の身の上に何が起こったかを推定するのが事故調査の常識である。では、この事故調査がこのような立場にたって行われたかと言えば、第1図にその一部を示す報告書の目次を一読しただけで調査がそのような考え方に沿って行われてはいないことがすぐに分る。これを示す典型が運転士の医学的所見に関わる事項である。事故は今までほとんど起きたことのない重大な操縦ミスにより起きた。だから、原因の一つとして運転士の身の上に大きな異変が起きた可能性を疑って見なければならない。ところが、事故調調査委員会の当初の報告書案では、これほど重要な内容が完全に欠落していた。
図1 運転士の情報に関する内容を示す報告書目次の一部
2.2 本件事故の特異性
この事故が如何に特異な事故であるかをご説明しよう。
1)分岐器が付帯しない曲線での速度超過による脱線
通い慣れた線路を運転する運転士は大きな制限速度のある位置は知悉しており、目を閉じて運転してもブレーキ時期を逸することは、先ずありえない。要注カーブ手前の継目音や分岐器通過音のリズムを「聞き慣れた音楽のようなに体が覚えている」からである。だから、報告書2.20記載のように、分岐器が付帯していない通常の曲線で過去に起きた同類の事故は数えるほどしかなく、そのような事例のほとんど未熟な操縦、ブレーキ装置不具合又は飲酒に起因したものである。つまり、単にうっかりミスてブレーキ時期を逸したことが原因で、カーブの制限速度を大幅に超過して脱線した事故例は皆無に近いのである。
このような背景をふまえれば、この事故は運転士の身辺に何らかの異常な事態が起きた可能性を疑わないことの方が不自然なのである。その理由について筆者は、現場をいち早く押さえた捜査当局が事故直後の混乱もあって、事故調の意見を徴することなく病理検査をしなかったものと推測し、平成19年2月1日に行われた意見聴取会(以下、「公聴会」という。)で問題を指摘した。ところが、病理検査は捜査当局の独自の判断で行われていた事実を、後に捜査当局から知らされた。つまり、この悲惨な事故が「事件」であることを前提に行動する立場にある捜査当局は、事故が事件でない可能性があり得ることを考慮して慎重な捜査を進めていたのである。
一方、公聴会で述べた筆者の意見を踏まえてであろう。脳及び心臓の病理解剖に異常が無かった旨の警察情報があることが最終報告書の片隅に追記された。このような経緯を見れば、原因について本来は考えられる可能性を捜査当局より広い見地から探るべき立場にある事故調に、そのような考えが欠けていたと思われても仕方がない。
報告書の中には、細かい問題を含めれば少なからぬ誤りや問題があるが、これらの多くは事故原因とは直接的な関係はない。しかし、「運転士は何故ブレーキ時期を逸したのか」という事故の直接原因の調査が、意図的に特定の分野に偏って行われているとしたら重大な問題である。ここでは、その可能性があり得ると考えられる具体例を挙げながら、問題点を述べてみよう。
図2 脱線時のブレーキ扱い(事故調添付資料付図24抜粋)
2)危機に瀕しても運転士は適切な回避措置を行っていない
報告書では、事故の直接原因はブレーキ時期を逸したことにあるのは、ほぼ間違いないとした。しかし、ブレーキハンドル操作状況を示す報告書付図24を抜粋した図2を見ても明らかなように、事故前に心身に異常があったとの情報が全くない運転士が我が身に危険が及ぶ切迫した状況に至っても、直ちに危険回避の操作を行わず、破滅的な状況に至って始めて「徐ろ(オモムロ)にブレーキの操作を開始した」特異な事故でもある。事故が起きた時、運転士の挙動を背面から見ていた2名の乗客の口述には「普段運転しているのと同じような姿勢・・」、「あわてる様子もなく・・・」との記述があり、直通予備ブレーキ操作などの万全な危機回避操作を行っていないことを裏付けている。報告書は、このような異常なブレーキ操作はブレーキ弁のスリット(ブレーキハンドルの最大ブレーキ位置・8ノッチ位置と非常位置との間にあるノーブレーキ・ゾーン)の存在に起因した可能性があると述べている。しかし、運転士は伊丹駅でオーバーランした際には、強いブレーキの必要性を認識すると即座に最大ブレーキ位置をとり、その後、過走距離を少しでも短くするために非常ブレーキと直通予備ブレーキも扱っているのである。
このように危険が切迫しているのに直前まで健常と思われていた運転士が回避操作を行わなかった重大事故は筆者の知る限り、昭和22年上中里〜田端間の京浜東北線南行で、そして、昭和63年中央緩行線東中野構内で下り電車列車で起きた衝突事故だけである。これらの事故で死亡した運転士は、二人とも全くブレーキを作動させていない。このうち、東中野の事故は僅か38秒前には運転士は通常の操作を行っておりながら、衝突直前にATS警報が鳴動しているのに回避操作を行っていない。詳細な記録のない京浜東北線事故の時間的な状況も、筆者の推定によればほぼ同じである。詳細については、今年(平成19年)2月1日に行われた公聴会で筆者が述べた記録をご覧いただきたい。
図3 207系運転台(右がブレーキハンドル).
今回の場合も、事故発生の41秒前には僅かな速度超過に気付いた運転士はブレーキを掛けているのである。だから、その後、間もなく電車が電柱に激突して破滅的な状態に至るまでの僅かの間に,運転士の身辺に何らかの異常が起きた可能性を先ずは疑って見るべきであった。関西地区JRの運転士は非常ブレーキを掛けることを「非常に放り込む」と良く言うが、この表現が端的に示すように危険を認識した運転士はブレーキ・ハンドルを直ちに、そして、一気に非常位置に持ってゆくものである。とくに本列車に使われた207系ブレーキハンドルは図3に示すように、ハンドルを押し下げるだけで非常位置を取れるのである。たとえ、無線交信に聞き耳を立てていたことが事実であったとしても、危機を認識した時点で「躊躇しながら非常ブレーキを掛ける」非識的な行動をとるとは考えにくい。このような不可思議な事象が起きていることを見ても、運転士の行動に病理学的な何かが関与している可能性は否定できないのである。
2.3. 事故発生前の運転士の異常な運転操作
運転士は事故の直前に操縦ミスや常識的ではない操作を多数行っている。その概要と、調査に関わる問題を述べよう。
1)宝塚入駅時の大幅速度超過
事故を起こした編成車両は尼崎・宝塚間は回送列車として走る。運転士は宝塚駅場内信号機の注意現示の規制速度(55km/h)を遵守したものの、その後も加速を続け、信号規制速度及び分岐器制限速度(40km/h)を大幅に越える65km/h程度の速度で分岐器を通過し、このため、横方向の大きな動揺を受けた。原因について報告書は到着番線を錯誤して大幅に速度超過して入駅した運転士の事例と、回送列車たる本列車運転中に気の緩みにより睡魔に襲われた運転士の事例とを挙げ、これが原因である可能性を示唆している。しかし、これは一事例に基づいた推測に過ぎない。他の原因もあり得るのに、それらについての言及はしていない。
2) ATS確認操作不実施による非常停止
回送列車は宝塚入駅の際、速度超過により分岐器上で異常動揺を受ける直前にATS警報を受けたが、確認操作を行わなかったため非常ブレーキが動作して停止した。原因について報告書は「機器の故障」又は「人的要因」である可能性を示唆し、後者である場合には大幅な速度超過に伴って起きた異常動揺による精神的なショックに起因した可能性があると述べている。
しかし、この説に筆者は必ずしも同意出来ない。ATS警報ベルを聞いた運転士は反射的に確認操作を行うものである。ところが、報告書添付資料の付図28に示す通りATS地上子は分岐器の約30m手前に設置されており、異常動揺が起きたのはベル鳴動の後である。普段なら反射的に行う操作さえも出来なかったのである。だから、運転士の身に異常が起きた可能性を先ず考えるのが常識である。機器の不具合については、可能性を示唆してはいるが調査は実施していない。他の原因として報告書は何らかの「人的要因」があった可能性は述べているが、それ以上の言及はしていない。
3) 出発信号機直下ATS動作時の確認操作欠如
宝塚入駅時にATS警報に対する確認操作をしなかったため、列車は前述のように構内で非常停止して所定位置への到着が遅れ、到着線の出発信号機に対応した「直下ATS」が動作して非常停止した。ATSを復帰させる際も異常なブレーキ操作を行っている。報告書は運転士の異常な操作は「直下ATSの作動」を認識していなかった可能性をのべているに過ぎず、それ以上の言及はない。
4)停止位置合わせのためのブレーキ手配の欠如
報告書には(運転士が予想していない)「直下ATSの作動」による非常ブレーキにより、列車は停止位置目標付近に停止したとある。だから、この非常ブレーキが作動しなければ列車は宝塚駅の所定停止位置目標を過走したことになる。報告書添付資料付図19によれば、列車は停止位置目標合せが極めて容易な14km/h程度の低速で宝塚駅ホームに進入しているのに、運転士はブレーキ手配を行わなかったのである。つまり、この時点で運転士は正常な操縦を行える状態にはなかった可能がある。そうであるなら、直下ATSの動作に対応した処置を直ちに取れなかったことも理解出来る。ところが、報告書ではこのような異常な行動に全く言及していない。つまり、事故調は運転操縦にに重大な失態があった事実を看過しているのである。
5) 伊丹駅での大幅な過走
駅での些少な過走はよくあるが、70mもの大幅な過走はブレーキを作動すべき時期に仮眠なども含め運転士が所定操作を行えない状態にあったか、通過駅と誤認したと考えるのが常識である。伊丹では運転士は停車駅注意喚起のための第1ボイスを無視し、第2ボイスで初めて全ブレーキを作動させている。さらに、ホーム長200m程度の場合はホーム始端での速度が70km/hを越えていたら過走の可能性を認識しなければならないのに、その場の速度が83km/hという異常な事態に陥っても対応措置を取らず、停止直前に初めて直通や非常ブレーキをとっている。この過走について報告書は宝塚での操縦ミスの言い訳を考えていた可能性を述べているに過ぎない。
6)まとめ
今述べたようなミスは、多くの運転士が冒す可能性がある。しかし、健常な運転士がこれだけ多くのミスを重ねて行うことは極めて稀と考えるのが常識である。さらに、一度でもミスをすれば、その後の運転は気を引き締めて行うのが普通の運転士ではないだろうか。だから、本報告書のように、これらのミスの一部を「言い訳」、「人的要因」及び「精神的動揺」と関連づけて考察を行うに留まり、他の因子、例えば病的因子などが関与した可能性について全く言及もなく、調査も行っていないのは理解に苦しむ。
2.4 事故発生時の運転士の挙動調査
事故発生時の運転士の挙動を明らかに出来る可能性ある情報の一つは、運転席背面近くにいた乗客の目撃情報である。JR西日本の通勤・近郊形電車の運転室の様子は「金魚鉢」のように客室からよくわかる。だから、何人かの乗客が事故発生時の運転士の挙動を見ていた可能性がある。極めて重要なこの情報は、大変痛ましいことに1両目前側車体が大破し生存された方が少ないために限られている。報告書はこの貴重な情報を冷淡と思える程に重視していない。当初の報告書案には、運転台背面で脱線を開始した直後の運転士の挙動を口述したもの一件が記載されていたに過ぎない。最終報告書は恐らくは被害者の方の公聴会での要請を受けてであろう、1名の口述が追加された。
口述では「普段運転しているのと同じような姿勢のまま・・」、「・・慌てる様子もなく、いつもの運転している体勢で,そのまま斜めになっていった.」と事故発生時の運転士の様子が生々しく述べられている。二つの同じような情報からは、破滅的な状況に至っても運転士は危険回避のための措置の一つである直通予備ブレーキの操作を行っておらず、防護無線の操作も恐らく行っていないことがわかる。このようにとても通常とは思えない行動があった事実を知りながら、運転士の身辺に異常が起きた可能性を考えていない。さらに、このような重要な情報をより多く得るために本来は八方手を尽すべきと思われるのに、報告書の記載から類推すると、そのような努力をしたとも思われない。「事故発生時の運転士の挙動」という極めて重要な情報に対する事故調の関心の程度が見て取れる思いがする。筆者の誤解でなければ幸いである。
2.5 事故調は広い分野について調査を行う意志があったのか
今までお話ししたように、運転士の操縦ミスの原因を示唆するこれだけ多くの情報に接していながら、事故調はそれについての調査をしなかったことになる。このこと自体だけを見ても、事故調の不作為を指摘されてもいた仕方がないと思う。それと同時に、「カーブ進入時にブレーキ時期を失した原因」は「運転士が無線交信にそば耳を立てていた」ためであり、そして、原因の背景には「厳しい日勤教育など」の存在があったとの事実認定を行うことに限定して調査を行い、他の原因につながる可能性ある事象は意図的に調査しなかったと言う意見が出ても不思議ではない。
3.1 当初の報告案と問題点
列車運行計画(ダイヤ)について、報告書原案には宝塚・尼崎間のダイヤには余裕がなく遅延が常習化し、これが事故の遠因になったと理解できる内容が含まれていた。これを受けて多くの報道機関は「無理なダイヤが事故の一因」と大きく報道した。
この原案に対し筆者は公聴会で以下のように口述した。
・ 事故当時の列車運行計画に問題があったことは事実である。
・ しかし、宝塚〜尼崎間の計算運転時間は、架線電圧が大幅低下し1350Vを連続維持という通常あり得ない状態の下で算出した値ですらも、基準運転時間に対し14秒程度の余裕があると認められる。
・ 従って、日常的に起きる遅れは充分回復出来るダイヤが組まれていた。
・ 定常的な遅れの多くは塚口〜尼崎間で発生していることから、遅れの主因は尼崎駅の機外停止によると推定され、福知山線自体の列車運行計画や事故とは直接関係がない。
・ 従って、事故と列車運行計画との間に因果関係は認められない。
・ もし「列車運行計画に無理があった」と事実認定されると、列車を安全に運行している民鉄の現行ダイヤの多くも「無理な運行計画」となって影響が大きい。
3.2 基準運転時間に関わる事実認定で補強された内容と問題点
筆者の意見を踏まえてであろう、最終報告書では「基準運転時間」に関わる事実認定を補強するため、一部の内容が追加された。ここでは、その問題点を述べる。
1) 「民鉄標準」と銘打った計算手法の導入
列車運行計画ダイヤにゆとりがなかったとの事実認定を補強するために、事故調は大手民鉄A社の計算方法による『計算時間』及び基準運転時間」(147ページ)と銘打った新たな項目を設けた。ここでは、A社の方式と謳った手法で宝塚〜尼崎間の運転時間を試算した結果と事故当時の運転時間とを対比する方法で報告書を補強している。
計算の過程を説明した文章には、「A社の計算方法で試算する・・・・」との記載がある(148ページ)。しかし、その文言の直後に、「但し、停止ブレーキ及び減速ブレーキの減速度は毎秒2.5km/hを使用する」と読み落としそうな、しかし、極めて重要な文言が付されている。この文言は「タイトルや本文では『A社方式で計算する・・』と謳ってはいるが、実際は違う方法で計算した。」と言っているのと同じである。その方法とは「減速度を毎秒2.5km/hに変えたこと」であり、この値はJR西日本が使っている値そのものである。つまり停止減速度はA社の値でなく、従前と同じJRの値を使っているのである。
2) 減速度が運転時間に及ぼす影響
減速度は運転時間やダイヤに支配的な影響を及ぼし、同じ性能の電車が同じ区間を走る場合、福知山線のように駅間が短い線区では減速度が運転時間を決めるといっても過言ではない。つまり、減速度を少し変えると運転時間は大きく変わるのである。
事故調が試算で用いたA社の減速度は、大手民鉄では最も低い範疇に属する2.8(km/h)/sである。ところが、多くの民鉄はこれより高い3.0(km/h)/s程度の値を取り、関西大手民鉄の一部には3.8(km/h)/sをとる鉄道もある。一方、JRは相当低く2.5(km/h)/sである。大きい減速度をとる列車は頑張って走らなければならない。
ところで、報告書147頁には「・・A社の計算方法は関西大手民鉄の・・・標準的なものと見られるが・・・」とあるが、今述べたように標準的でないA社のものを「標準的」とわざわざ断るところに意図的なものが感じられる。加えて、この記載は列車運行計画に関わる事実認定の基本となった極めて重大な内容であり、後述するように事故調の「公正・中立な立場」を危うくする本質的な問題を含んでいる。
この値を見てもわかる様に、大手民鉄はJRより頑張った走り方をしているのだが、それで事故で起きたという話は聞いたことがない。だから、JRの走り方は甘いと言えなくもない。このことについても、公聴会でお話済みである。
報告書は民鉄の中では低い減速度を用いるA社を「標準」に見立て、A社が用いる民鉄の標準的な方式を使って試算したと述べている。しかし、実際は前述のように標準とは言えないA社の値より更に低い、つまり、大手民鉄の標準的なものから外れたJRの方式に準じた方法で計算しているのである。
3) 速度制限箇所通過速度の変更
運転時間を計算する際に速度制限箇所を通過する速度は、民鉄の多くでは−2km/h、A社はこれより低く−3km/h、JR福知山線では上限ギリギリの−0km/hで計算する。この値を見るとJRは厳しい走り方をしているように見える。しかし、JRは列車を上限速度で連続走行させ、時間を計算している訳ではない。JRの方法は列車が上限速度に達したら、必ず、一旦ダ行し、速度が3〜5km/h程度下がったら、後に示す図5に描かれたように再加速する、いわゆる「鋸歯状運転」で計算する。この計算手法は実際の運転方法とは乖離しているが、このような方法を行っているからこそ、たとえ上限速度で計算していても無理な運転を回避できるのである。この計算方法の詳細と問題点も公聴会でお話させて頂いた。
一方、民鉄の多くは制限速度より若干低い速度で制限箇所を通過させる方法を採ってはいるが、この方法では「鋸歯状運転」は行わず、制限速度より若干低い速度で等速運転した状態で計算する。
従って、事故調が「A社方式」で計算する場合、つまり、制限速度より3km/h低い速度で運転する場合、本来は「鋸歯状運転」で計算すべきではない。しかし、事故調が試算したデータは「鋸歯状運転」で計算している可能性がある。比較的長い速度制限がある区間について事故調が求めた運転時間は冗長だからである。もし、鋸歯状運転による計算を行っているなら、ここでもA社方式と謡いながら運転時間がより一層冗長になる方式をとっていることになる。
4) 架線電圧を大幅に低下させた問題点
架線電圧は電車の加速性能に深く影響を及ぼす。従って、列車を適正に運行させるには架線電圧を所定の値1500Vに維持することが望ましい。変電設備が脆弱で架線電圧を適正に維持するのが困難な時代には、あらかじめ架線電圧の低下を見込んで1350Vで列車の運行計画を立てていた。しかし、変電設備が充実した現在では、多くの鉄道で架線電圧は1500Vを維持しているとの前提で列車運行計画を立てる。このため関係者は架線電圧の維持に細心の注意を払っているが、それでも変電所から遠隔の地では電圧が低下する。このような事態は対応するため、変電所からの送電電圧を規定上限の1700Vギリギリに設定している線区が多い。もちろん、このように変電所の電圧を高く設定しても、変電所から遠隔の地域に限っては電圧がかなり低下する。しかし、電車に供給される電圧が1350V又はこれに近い値を連続してとることは、JRの幹線では通常はあり得ない。もし、そのような状況になれば定時運転が困難となるからである。
ところで、A社は1350Vと相当に低い値で運行計画を立てている理由の一つは、電圧平均値を1500Vに維持するために変電所の送電電圧を高めに設定することによって回生失効が多発する事態を回避するためではないかと推定される。事故調はこのようにJR
の実態とは乖離した低い値(1350V)で運転時間を試算したが、他方、回生失効が起きたときに生ずるブレーキ性能の変化を是正すべき旨の「所見」を出している。しかし、回生失効を問題視すること自体、架線電圧が1350Vと低い電圧を連続保持していないことの証である。回生失効は架線電圧が1700V以上にならないと起きないからである。
5) 報告書の運転時間計算に誤りはないか。
事故調が補強のために今回追加した架線電圧が連続的に大きく低下したときの状態については、筆者もその事態を想定して運転時間を調査した結果に問題がない旨を既に公聴会で述べたことは前述した。筆者が行った調査では電圧降下の影響による運転時間は14秒の増加に留まったのに対し、事故調の計算では27秒(146頁、報告書表34)に達している。事故調の計算結果は他の条件(曲線の頭打ち速度を−3km/hに設定)を加味して算出されたものではあるが、やや冗長の感じがする。
特に,北伊丹〜伊丹間の運転時間について見ると、この間には速度制限がないために走り方はほぼ決まっており、特殊な運転をしない限りは1分30秒を大きく越えることはあり得ない。ところが、事故調が求めた運転時間は1分35秒にも達し、値が誤りである可能性が高い。原因が意図的な緩速運転を行って計算したことに起因するとは思いたくはないが、誤記やデータ入力ミスによるものであっても、このようなミスが大変遺憾なことに変わりはない。これらの数値は「福知山線の列車運行計画に問題あり」と認定した裏付の数値であるだけでなく、JR西日本が福知山線の列車運行計画作成の過程で起こした同じ数秒程度のミスに対し事故調は厳しい指摘をしているからである.
6)事故調が最終報告書で補強した内容の問題点まとめ
以上述べたように、事故調が列車運行計画(運転時間)に関わる問題で「事実認定」を補強するために新たに導入した「関西大手民鉄の標準的とみられるA社の手法」の中身は、福知山線で従前に用いられた中身と要部は同じある。相違点は、架線電圧を低くして電車の加速性能を低下させ、曲線通過速度を下げて運転時間を増加させ、計算運転時間5秒未満を全て繰り上げて基準運転時間を増加させたことなどであり、このような方法をとれば当然に運転時間は増大する。
事故調はこの方法で計算した値と現行の運転時間とを対比し、この間に存在する「格差」を理由に「ゆとりがない」との事実認定を行った。しかし、事故調が行った計算運転時間は誤りを含んで可能性があり、事故調が「標準的なものと見られる」としたA社の方式自体は繰り返し述べたように決して標準的なものではなく、「A社方式」と銘打った方式の中身にも主要部でA社の方式とは異なる内容が含まれているのである。
つまり、事故調は根拠のない条件を含む方法で計算した運転時間をA社の手法で求めた称し、この値とJR西日本との間に生じた「格差」だけを根拠として「余裕のないものであった」と事実認定した。筆者は事故調がA社方式を一方的に標準的と見做した行為自体ですらも、事故調に求められる「公正・中立的立場」から見て問題ある行為であると思っている。この問題は後述する。
3.3 列車運行状況把握手法の問題点
1) 主な遅延が起きていた場所は何処か
報告書案には始発駅の宝塚での先行列車の開通待時間、基準運転時間及び停車時間などが適正でなかったために遅れが常習化し、これが事故の一因になったと理解できる内容が記載されていた。これに対し筆者は公聴会で、顕著な遅れは充分な実余裕時間があった塚口〜尼崎間で発生しており、この区間で遅れが出たのは東海道線筋のダイヤ乱れによる尼崎駅の「機外停車」のために違いないと主張した。
福知山線の列車は尼崎駅(写真を図4に示す)から東海道線・東西線に乗り入れているため、乗入先のダイヤ乱れの影響を直接的に受けるからである。このような指摘が出来たのは、その事実を示すデータが報告書原案「表32」に示されていたからである。このデータは何故か最終報告書では削除されたが、問題を議論する上で不可欠なので表1に再録させて頂く。
図4 尼崎駅福知山線普通列車到着ホーム(01年1月撮影)
表1 連動駅間の運転所要時間(報告書案の表32の写)
ところで、塚本〜尼崎間の基準運転時間は最終報告書146頁表34及び筆者が作成した表2に示すように3分丁度であるが、同表の基本計算時間(運転曲線で求めた時間)は2分44秒である。筆者はこの区間のJR作成の運転曲線(図5に示す)を子細に検討した結果、当時の運転時間2分44秒は実態と乖離した鋸歯状運転等を修正することによって更に数秒程度の短縮可能なことを公聴会でお話した。つまり、この区間は無理な運転をしなくても2分41〜2秒程度で走れるのである。修正した運転曲線を図中に併記した。
図5 本列車の現場付近の運転曲線と鋸歯状運転を修正した曲(公聴会提出の資料を引用)
一方、事故調の調べではこの区間の実際の所要時間中央値は表1に示す通り3分4秒である。とすれば、後述する採時方法に問題がなければ、この区間だけで全列車で毎日平均して20秒以上の遅れが出ていたことになる。そして、この間に停車駅がある訳ではないので、遅れは尼崎駅の機外停車のため以外には考えられない。このような実態を見れば、筆者が公聴会で主張したこと、つまり、福知山線の列車運行計画に起因して顕著な遅れが定例的に出でいたとは言えないとの主旨をご理解頂けると思う。
2)着発時刻採時の方法と問題点
列車の運行に関わる調査は、正しく採時された着発時刻を基に行うことが必要である。各鉄道は採時について厳格な規定を設けているが、着発時間を規定通りに記録するのは難しい。報告書はPRC記録からこれを求めたとある。この方法は列車の軌道回路進入又は進出時刻に一定値を加減算して求めるために、報告書78頁の「10秒以上の誤差を含む場合も少なくない。」との記載の如く、所定採時時刻との間に相当の誤差を含んでいる。(図6の写真参照)
図6 神戸駅内側線上り出発時刻検知点
報告書案及び最終報告書の2.2「運行の経過」の項では、調査に使用した着発時間等は車載記録器及び連動装置などに残されていたデータを試験等により補正して用いたが、時刻に矛盾はなかったとしている。しかし、2・14「列車運行計画」に関わる事実認定に使われた時刻について、補正したとの記載が149頁にあるのみで、具体的方法や誤差についての言及はない。だから、この関係の着発時刻には相当程度の誤差が含まれている可能性がある。
3) 採時時刻の誤差が事実認定に及ぼす影響
報告書197〜198頁には、事故前65日間の宝塚・尼崎間の到達時間の中央値は所定時間より10秒長く、平均値で23秒長いこと及び停車駅での過少な停車時間等を理由として、列車運行計画に余裕がなく定時運転率にも問題があったと認定した。「10秒」という時刻はPRCの宝塚始発及び尼崎到着時刻から求めたと思われるが、PRCの採時時刻は5秒未満切捨てであるから、着発の時間にはそれぞれに平均2.5秒の誤差を含んでいる。これに加え、列車が関係軌道回路境界(検知点)を通過した時点と列車が停止位置に着発した時点との間の通過所要時間は多様に変動するので、これによる誤差も加わることになる。発車時の誤差は列車の加速状態に支配されるので変動は少ないが、到着の誤差は駅進入速度及び停止ブレーキ操作の状況に応じ大きく変わる。付属資料付図27によると、尼崎着時刻の検知点と見られる場内信号機位置(キロ程0km343m)にある軌道回路境界と停止位置目標間の距離は約400m程度ある。この間を到着列車は平均40km/h程度の速度で走行しているのであろうが、速度が5km/h変動しただけで所要時間は4〜5秒程度も変わる。そして、この平均速度が正規分布をしているかどうかも明らかにしていない。
PRCが記録した時刻の誤差の値がこのように少なくないことを思えば、10秒と言う極めて短い時間を、多くの誤差を含み、しかも、統計的に見て決して多いはないPRCの記録から得ていることは信頼性の点で問題がある。そして、このように信頼性に欠ける可能性ある時刻を基に定時運転率等の点から見て「列車運行計画に余裕がない」とした事実認定も又信頼性の点で問題を含んでいる可能性がある。
筆者がこのような厳しい指摘をするのは、列車運行計画に関わる事実認定が「秒単位の時間で見て問題があった」ことを指摘する内容であるのに、着発時刻の採時誤差の検定を行った旨の記載がないからである。もし、これについて報告書の2.2
「運行の経過」で行われたと同じような補正を行ったのであれば、具体的方法を述べ、さらに、補正した値に含まれる誤差も言及すべきである。とくに「列車運行計画に問題あり」との事実認定は、JR西日本に留まらず他の鉄道事業者にも深く影響を及ぼす可能性がある重大な内容なのだから、慎重で精緻な調査が求められるのではないだろうか。
3.5 ダイヤに無理はあったのか?
1) 本列車の実際の運行状況
以上のことから見ると、「列車を運行計画とおり運転するのは容易でない」との事実認定は誤りを含んでいる可能性がある。となると、停車時間に問題さえなければ列車はほぼ定時で運転されていたことにもなる。そうであるなら、平成18年の暮に紙面やTV画面を賑わせた「JR脱線事故報告書無理なダイヤも指摘」(朝日大阪1面見出し)、「効率優先、ダイヤ破綻・・・・」(日経社会面見出し)のような、ほとんど全紙を挙げてのJRを徹底指弾した報道は誤報だったことになり、ニュース・ソースを提供した事故調の道義的責任も問われかねないことになる。
ところで、筆者が今までお話した内容は報告書の問題を指摘するに留まっており、事故当時の運行の実態について言及してはいない。今まで述べた筆者の指摘が正しいとするならば、多くの列車は遅れが拡大することは少なく、始発駅の宝塚で「持ち出した遅れ」も回復して尼崎に定着した列車も少なからずあることになる。しかし、再審や上級審制度のない現行の鉄道事故調査制度の下では、このような問題は解き明かせそうにもない。
幸いなことに報告書11〜13頁の「運行の経過」及び添付資料付図19〜24に本列車の詳細な運行状況が記載されている。そこで、これを基に当日の列車の運行状況を調べて見た。正確さを必要とする着発時刻は車上装置に記録されたデータを主体に再現したため正確と推定され、報告書6頁にも時刻の精度は自信がある旨の記載がある。
調査に際し、報告書本文と付図との間の時刻に相違(僅か1秒程度であるが)がある場合は、付図から読み取った時刻を優先した。痛ましい事故のために走行することが適わなかった塚口〜尼崎間の運転時間は、基準運転時間の基になったJR算出計算時間2分44秒を採った。オーバー・ランが起きた伊丹駅については72m過走して停止した時刻を着時刻と見做し、停止位置の修正を終えて所定位置停止後の停車時間27秒を実停車時間とした。その結果を表2に示す。表にはJR西日本と事故調とが求めた関係の時間を併記した。
表2 事故列車の宝塚〜尼崎間の運転時刻など
2) 全駅での停車時間の不足
表から明らかなように、停車時間は全駅で所定値を大幅に上回っており、各駅で「延発」している。特に、川西池田は16秒も不足しており、「川西池田では5秒程度不足していた」(197頁)との認定は甘く、逆の意味で認定が違っていたことになる。とは言っても、乗車人員が格別に多い駅ではない川西池田の停車時間36秒停車は明らかに冗長で、原因は報告書16頁の車掌口述のように駆け込み乗車による思われ、所要停車時間は30秒程度であろう。よって、停車時間は全駅でそれぞれ10秒程度不足していたと推定される。
3) 基準運転時間に存在した「隠れ余裕時間」
表に示すように本列車の実運転時間は全ての駅間で基準運転時間を下回り、多くの駅間で計算運転時間をも下回っている。本列車は事故発生地点と伊丹入駅時以外は些少の速度超過が認められた程度で、運転ミスがあったとの記載は報告書にはない。よって、停車時間の不足により生じた各駅での遅れを回復するために、許された速度の範囲で走行し、その結果、次の駅到着時には多少の差はあるが遅れを回復している。従って、基準運転時間や計算運転時間の査定に問題はなく、逆に些少な遅延は無理なく回復できる実質的な余裕(いわゆる「隠れ余裕時間」)があったことが証明された形である。
本列車の塚口〜尼崎間の運転時間はJRの計算値と同じと見做せば、宝塚〜尼崎間の推定実運転時間は表に示すように15分58秒となる。筆者はJRの運転時間査定方法は民鉄に比べ余裕があり、大手民鉄の標準的な走り方で査定すれば、同区間を15分50秒台で充分に走れると公聴会でお話ししたが、これが証明された形である。なお、初停車駅である中山寺駅までの実運転時間が他に比べやや長いのは、いわゆる「ブレーキの効き試し」のための「早めのブレーキ手配」が原因と推定される。
4) ダイヤに無理はあったのか?
事故当日の列車の運行状況から運行計画の問題点をまとめると、宝塚では先行列車開通待のため、他の全ての駅では停車時間の不足のために発時刻の時点で列車は全て「増延」していた。一方、基準運転時間には相当の余裕があった。このため、停車時間不足による増延が大きくない場合は尼崎までにこれを回復していたことになる。従って、ダイヤには無理と余裕とが混在していたのである。
事故当日、列車は川西池田での駆け込み乗車によって停車時間が大幅に延びたが、それでも伊丹でのオーバーランがなければ尼崎には表2に示すように2秒程度の増延で到着したと推定される。加えて、塚口〜尼崎間の運転時間は前述のような無理のない範囲での回復運転の実施によりさらに数秒程度短縮出来る可能性がある事を踏まえれば、途中駅での駆け込み乗車による相当の増延があっても、始発駅宝塚で発生した遅延をそのまま尼崎まで持ち越すことはなく、その遅延の一部も回復出来たことになる。
このように事故当日の列車運行の実態から明らかなように、報告書の列車運行計画に関わる指摘は正しいとは言えないと言うことになる。
3.5 列車運行計画に関する事実認定の本質的な問題
今までは報告書の中身について、技術的な観点から見た問題を主体に論じて来た。以下には視点を変え、法律的に見た問題を論じてみよう。
1) 科学的な根拠が明らかでない判断
事故調は福知山線の列車運行計画の適否を判断するために、先ず、A社が列車運行計画に使っている手法を「関西大手民鉄のものとしては標準的なものと見られる・・・」(報告書147頁)と述べ、その手法を標準的と見做す判断を行った。この手法は、福知山線の列車運行計画は「余裕がないものであった」(報告書197頁)との事実認定を行った際の比較対象基準として使われている。従って、報告書には明記されてはいないけれど、ここではA社の手法に実質的な正当性を与える判断も併せて行ったことになる。
ところで、列車運行計画は鉄道の輸送形態に応じ多様に変わるものである。だからは、福知山線の列車運行計画はどれが最適かといった問題は簡単に決められる訳がない。従って、「関西大手民鉄」だけを拠りどころとしてA社の手法を標準的と判断して実質的な正当性を与えた一連の判断は「科学的な根拠が明らかでなく、一部に公正さに欠ける面がみられる」判断と言えよう。さらに申し上げるなら、前述の如くA社は関西大手民鉄の中では最も低い範疇に属する停止減速度を使用しているであるから、常識的に見ても、数値の上から見ても標準的とは言えないのである。
事故調のこのような「科学的な根拠が明らかでなく、一部に公正さに欠ける面がみられる」判断は、単なる誤りや思い違いで行われたのではなく、意図的に行われたのでないかと筆者は考えている。航空・鉄道事故調査委員会設置法(以下、「法」という。)」第6条は「委員は委員会の所掌事務の遂行につき科学的かつ公正な判断を行うことができると認められる者」を任命するとしている。「科学的で公正な判断」が出来る者を首脳に戴く事故調がこのような判断をすることは、本来はあり得ない。しかし、そのような判断、つまり、法の主旨に適うものかどうか疑わしい判断が現実に行われているのである。このような事態が起きた根本原因まで問題を突き詰めて行くと、当事者の「職務専念義務」に関わる問題だけでなく、大臣の委員任命行為の有効性まで問われかねない事態が起こる可能性もあり得ることを筆者は懸念するのである。
2) 法の主旨に沿わない判断を経て導入された手法を用いた調査の適確性
福知山線の列車運行計画に余裕がないとの認定を行う過程で、民鉄A社の手法に実質的な正当性を与えた一連の判断が法の主旨に適うものかどうか疑わしいことは先に述べた。すると、このような疑わしい判断を踏まえて導入され手法を用いての事実認定行為も、また、事故調設置の目的を謳った第1条の主旨(「適確な調査」の実施)に適うものかどうか疑わしいということになる。
3) 列車運行計画に関わる事実認定が日本の鉄道に及ぼす問題点
筆者がここで多くの紙数を割いて論じて来た問題は、鉄道にとって最も重要な業務の一つである「列車運行計画」に関わる事実認定についてである。そして、今回の報告でなされた認定は今後日本の鉄道に広く適用されることになる。この認定に従えば、2.5(km/h)s以上の減速度でダイヤを組んでいる鉄道は原則「列車運行計画に余裕がない」ということになる。となると日本の大手民鉄のほとんど全てが、この範疇に含まれることになる。そして、皮肉なことに、事故調が標準と見做したA社でさえもこの中に含まれる。なぜなら、A社は前出の値より高い2.8(km/h)sの減速度を採用しているからである。
これらの状況を見れば、事故調設置法の主旨に悖るこの認定が今後の鉄道の運営に大きな影響を及ぼすことを深く憂慮する筆者の考えに、ご理解頂けると思う。
航空・鉄道事故調査委員会がとりまとめた福知山線脱線事故の報告書の主な問題点を検討した結果を要約すると以下の通りとなる。
1) 本件事故は原因解明の鍵を握る運転士が死亡して原因の特定が極めて困難な状況にあったことを踏まえれば、事故の調査は先入観にとらわれることなく原因と思われる事象を広い視野で捉えて行うべきであった。
2) ところが、事故の主因とされた運転士の操縦ミスの原因を究明するに際して特定の分野に限定しての調査が行われ、事故の一因としてその可能性が否定できない病理学に関わる問題については、事故調自らは調査を行わなかった。
3) 運転士操縦ミスに関わる原因について、事故調が行った調査が前記のような状況にあったことを踏まえれば、事故調はこの問題について先入観にとらわれることなく広い視野で調査を行う意図を持たなかったと判断せざるを得ない。
4) 本列車の運行計画は「不適正な先行列車開通待時間」及び「停車駅での短小に過ぎる停車時間」などの問題を含んでいたが、反面、基準運転時間には日常的に起きる遅延は回復できる余裕時間も含まれていた。このため、途中駅での停車時間不足により生じた遅延のほとんどは回復出来ただけでなく、宝塚発車時の遅延も回復して尼崎に定時に到着できる場合もあったと推定される。一方、本列車の運行計画が「定時運転率確保の面から見て問題あり」とした事故調の事実認定は、誤差の検定を行ったとの記載がないPRCの列車着発時刻により列車の運行実態を把握しているために、信頼性の点で問題がある。
5) 福知山線の列車運行計画を「余裕のないもの」と認定する過程で、事故調が「関西大手民鉄の標準的とみられる」と銘打って調査に使用したA社の手法とされた中身の主要部は、A社のものとは相違してJRの手法に準じたものであった。さらに、事故調が「関西民鉄の標準的とみられる」としたA社の手法自体も、関西民鉄の標準とは言い難いものであった。
6) 標準的手法が確立されていないダイヤの設定に関わる問題を事実認定する過程で、何等の根拠を示すことなく特定鉄道事業者の手法を「関西民鉄の標準的なものと見られる」としてこの手法に実質的な正当性を与えた判断は、事故調に本来的に求められる「科学的かつ公正な判断」から乖離しており、このような判断行為は航空・鉄道事故調査委員会設置法の主旨に悖るものである。
7) 福知山線の列車運行計画を「余裕のないもの」と認定するために使われた「関西大手民鉄の標準的な」手法は前号記載のように法の主旨に悖る判断を踏まえて導入されたことを踏まえれば、このような経緯を経て導入された手法を使って行われた福知山線の列車運行計画に関わる事実認定も「適確な調査」によって行われたとは言い難い。よって、この事実認定もまた航空・鉄道事故調査委員会設置法の主旨に悖るものであると言える。
現代の鉄道は過去に起きた多くの事故を教訓にして多様な安全対策が施されている。だから、昨今、鉄道で起きる重大事故は今回の事故と同じように安全対策の隙間を衝いて起きるケースが多く、原因の解明は容易でない。しかし、今回の事故で問題となった「ブレーキ時期を逸した原因は何か」、「ダイヤに無理はなかったか」などについては、調査を行う者が電車の運転操縦について深い造詣があり、最新形電車の構造を知悉し、さらに、運転定数業務に精通していたならば、筆者が指摘したような問題は決して起きなかったであろう。だから、現代の鉄道で万が一に重大事故が起きた場合には、鉄道に深い造詣を持つ者が調査を担わないと今回と同じような問題が起きかねない。
国土交通省は海難事故をも含めた事故調査機関「運輸安全委員会」の新設を予定している。これ自体は結構なことではある。しかし、準司法的な権能を持つ現在の海難審判制度の中枢には海技免状を持つ審判官と理事官約100名が在席し、これに在野の海事補佐人と審判事務を司る事務局をもって構成されている。これに比べて組織も極めて脆弱で専門家不在の現行の鉄道事故調査機関に海難審判庁と同じような権能を将来的に持たせることになるならば、問題である。なぜなら、今回の事故に対すると同じように意図的又は法の主旨に沿わない調査が行われ、その結果に基づいて戒告、勧告及び業務停止などの行政処分が行われる事態にでもなれば、鉄道事業者だけでなく社会にも大きな影響を与えかねないからである。
ところで、鉄道の日常業務はほぼ完全な「自己完結形」で行われており、このため、鉄道の専門家を部外に求めることは事実上不可能である。従って、鉄道事故調査の質的な向上を目指すには、海難審判で採られていると同じように実務経験者を積極的に活用する手立てを講じなければならないのではなかろうか。