平成1683
鉄道を斬る No20

JR越美北線の橋梁被災現場を見る(その1)
−集中豪雨による橋梁の大量倒壊の原因を探る−

永瀬 和彦

1. はじめに

 平成16718日早朝に福井県地方で起きた豪雨によるJR越美北線被災の状況は、足羽川に掛かる7橋梁のうち5つが流失するという近年鉄道が被った災害のなかで稀に見る大きなものであった。筆者は被災してから比較的日が浅い7月22日に現地を調査した。そこで見た被災の状況と問題点とを以下に論じてみたい。なお、筆者は橋梁や河川の専門家ではなく、しかも、現地調査に要した時間も短いために、内容も不十分で誤りが含まれている可能性もある。従って、本文はあくまで速報的な内容としてご理解下されば幸いである。


2. 災害を受けた線路と被災の概況

2.1 主な被災の概況
 今回JR越美北線(旧国鉄規格4級線)が受けた主な被害は一条谷駅(福井起点10.9km)〜美山駅(20.1km)間にある足羽川第1〜第7橋梁のうち、第2及び第6を除く5橋梁の損壊である。付近の軌道は路盤や道床流失などの被害も受けてはいるが、これらの殆どは早期に復旧に可能なもの多い。従って、今回の主な被害は上記5つの橋梁流失と理解して差し支えないと思う。被災した橋梁の位置とそれらの被害概況を図1に示す。


1 越美北線の橋梁被災概況

 

 図中の青色矢印は橋梁の位置と線路に対する水流の向きを示す。図の表中で「倒壊した橋脚」の下欄に括弧書で書いた「破断した橋脚」とは、状況から見て橋脚の倒壊が「橋脚自体の破断」によって起きたことが明白な橋脚の数を内訳で示す。

2.2 橋梁の構造
被害を受けた橋梁の主な構造は以下の通りである。
   ・ 橋脚(ピア)の形状/円形
   ・ 橋梁の構造/全て「上路ばんげた」、桁(ケタ)の平均的長さ約13m
   ・ 橋梁の負担力/旧国鉄標準活荷重でKS14
   ・ 橋梁の建設年月/昭和33
   ・ 河川平常水位時の橋梁桁下〜水面間の平均的な距離/約5.5m程度


 「上路ばんげた」とは、いわゆる鉄橋の上に線路を敷いた構造の橋である。標準活荷重KS14とは、簡単に言えば旧国鉄の幹線貨物用標準形蒸気機関車D51を丙線用に改造した軸重14トンのD60D61が重連で入線可能な程度の強さを持つ橋梁と理解していただけば良い。従って、JRローカル線のなかでも線路が最も脆弱な旧国鉄簡易線規格で建設された小海線の山岳区間及び大糸線の旧非電化区間など(これらの線区はC12,56及びDD16のような軽量機関車しか入線できない)に比べれば、当線の構造物は遥かに強固に造られていると言える。

2.3 降雨の状況
 降雨の状況は災害と密接な関係がある。そこで、当日の近隣の降雨量を調べてみた。足羽川に掛かる橋梁のうちの最上流に位置する第7橋梁の約2km上流のJR美山駅近くにある気象庁美山観測所観測結果(速報)によれば、雨が激しく降りはじめた当日の午前3時から雨がほぼ止んだ10時迄の7時間の累計降雨量は267mm、時間当たりの最大降雨量は午前5時から6時までの1時間で87mmであった。この値は当時、福井県内で観測した降雨量データの中では最も高い値となっており、まさに記録的な雨が足羽川流域に降り注いだことになる。


3.各橋梁の被災状況

 次に各橋梁の被災状況を見てみよう。

3.11橋梁
 水系の最下流に位置する第1橋梁は川が福井平野に流れ出る地点に位置し、落橋した他の橋梁の多くが谷間にあるのとは大きく異なっている。そして、他の橋梁の落橋原因が橋脚の倒壊にあると推定されるのに対し、図1及び写真1に示す様に、この橋梁で倒壊した橋脚はわずか1本で、落橋の主因は水圧により桁がシュー(橋脚の取付部)から外れたためである。特に流失した福井方から2番目の第2桁は、桁を支えていた第2及び第3の二つの橋脚が共に倒壊を免れているのに水圧で流失している。


写真1 第一橋梁の損傷状況(桁は第2,,4が流失したのに,倒壊した橋脚は第3のみ)

 


写真2 曲損して300m流下した第3


 流失した第3桁は現場から実に300mも流下して堤防の外に転がり、写真2に示すように桁の九頭龍湖方が下流側に大きく曲がっている。第三橋脚の倒壊によって桁の一方が落下した際、桁の他方を支える第二橋脚から桁が簡単には外れず、このため水圧により桁が曲損したと推定される。倒壊を免れた第二橋脚上部には、写真3に示すように第3桁が脱落した際に橋脚上部にあるシューを根元から引きちぎって出来たと思われる大きな傷がある。


写真3 上部が損傷した第2橋脚(中央)と倒壊した第3橋脚


 第1橋梁では倒壊した橋脚は第3だけで、倒壊の原因は恐らくは洗掘と思われる。しかし、基礎部分の大半は濁流中に水没していたため、詳細を確認することは出来なかった。

3.23橋梁
 谷間にある5橋脚からなるこの橋梁は、写真に示すように中央部の3つの橋脚が基礎部分から横に向けて見事に倒壊している。倒壊の原因を当初、筆者は洗掘と推定した。しかし、橋梁建設経験のある専門家に意見を求めたところ、水圧による倒壊の可能性が否定しなかった。


写真4  倒壊した第3橋梁の第2〜4橋脚(先方が福井方)


 写真5に示すように、中央部の第3橋脚基礎部分の上流側に位置する部分に白色のコンクリート破断面が見え、この部分が橋脚が受けたモーメントにより破断したと推定される。


写真 5  倒壊した第3橋梁橋脚の基礎部分からである。


3.3
第4橋梁
 足羽川の川沿いは所々で小盆地が開け、第4橋梁はこの小盆地の中心部を流れる足羽川に架橋されている。


写真6 破断により倒壊した第4橋梁の第3(手前-福井方)及び4橋脚(手前の桁は第2桁)


 写真6は第4橋梁の被災状況を示す。図示のように第3,4の二つの橋脚は基礎部分から破断していると判断され、さらに第4橋脚は奇妙なことに橋脚中央部でも破断している。しかし、第4橋脚に二つの破断面がある理由は明らかでない。なお、倒壊を免れた第2橋脚は写真7に示すように傾斜している。この橋脚の基礎部分は写真に示すように水中ではなく、河原に生えた篠の藪中に設置してあるため、基礎部分の地盤には篠の根がはって洗掘が起きにくい場所でもある。とするなら、第2橋脚の傾斜は目視では確認出来ない基礎部分に生じた亀裂によって起きた可能性がある。


写真7 第4橋梁の第2橋脚傾斜の状況(手前が福井方)


3.4
第5橋梁
 


写真8 3橋脚が倒壊した第5橋梁(先方が福井方で、2橋脚は破断している)


 第5橋梁は山間から市波駅周辺の盆地に水系が流れ出る箇所に位置し、写真8に示すように3橋脚が倒壊している。うち2橋脚は破断による倒壊であり、1橋脚は基礎部分からの倒壊で、しかも、基礎部分は濁流中にあったため、倒壊の原因を明らかにすることは出来なかった。なお、第3橋脚の胴部分に巻かれた鋼板は、恐らくは震災対策のための補強工事で取り付けられたものであろう。写真に示すように、福井方橋台は手前の築堤は全て流失しているのに、橋台自体の倒壊は免れた。

3.5
7橋梁
谷間にある第7橋梁は写真9に示すように4橋脚のうち3橋脚が倒壊している。


写真9 3橋脚全てが破断により倒壊した第7橋梁 (手前の桁の間に見えるのが第2橋脚)


 倒壊の原因が橋脚の破断にあることは写真の状況から明らかである。第3橋脚の破断面詳細を写真10に示す。図示の通り橋脚には上流及び下流側に数本の鉄筋挿入が認められるが、本質的には無鉄筋の橋脚である。


写真10 7橋梁の第3橋脚の破断面



4.
過去の主な橋梁流失による事故及び障害

今回の越美北線における橋梁損壊の原因の多くは橋脚の倒壊である。そして、橋脚倒壊の原因の多くは橋脚の破断である。ところで、今までにも鉄道橋の橋脚が倒壊した事例は幾つかあり、中には惨事になった例や、あわやの事例もある。
 惨事となった事例に、昭和43年に北海道・富良野線富良野川第一橋梁を貨物列車が通過中に橋脚が倒壊して9600形蒸気機関車が落下し、乗務員3名が殉職した事故がある。問題の橋梁は橋脚に洗掘が起きた可能性が指摘されたので、橋脚の安全性を確認した後に列車を進入させたところ事故が起きた。このため、洗掘の危険性を診断することの困難性が問題になった事故でもある。
 あわやの事例は最近(といっても20年以上も昔)の昭和578月に台風による増水で東海道線富士川橋梁の橋脚が洗掘されて倒壊したのが有名である。この災害は幸い大事に至らなかったため、被災の詳細を筆者は承知してはいない。当時の「大垣夜行」と呼ばれた東京発大垣行夜行列車 (現在の「ムーンライトながら」の前身)が富士駅発車の際に客扱いのための僅かの遅れが幸いし、橋梁崩壊により起きた架線停電のために列車は川の手前で停車して事なきを得た。もし、遅れがなかったら電車は富士川の藻屑と消えて、多くの命が失われた可能性は否定できなかったとされた災害である。橋梁復旧までに2ケ月もの月日を要し、この間は橋梁は上り線を使っての単線運転としたため、輸送面でいろいろな障害が出たと記憶している。
 このように橋梁の流失による災害はさほど多いわけではない。しかし、これらの災害は全て橋脚基礎部分が濁流により洗われる洗掘現象により起きたもので、今回のように橋脚の破断により起きた事例はほとんどなく、まして、大量の橋脚破断は聞いたことがない。
 そこで、橋脚の破断がなぜ起きたのかの原因を次回の「鉄道を斬る」では論じて見たい。

 
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