地下鉄脱線事故の真因を探る
- No
5 地上側の問題点は何か-


〇 はじめに
 脱線に関与する地上側の因子は少なくない.しかし,今回の事故で軌道に重大な欠陥があったとの報道は車両と同様に見当たらない.しかも,脱線は急カーブで起きた.とするならば,今まで仮定の上にたって進めてきた事故原因については,やはり「のり上がり脱線」である可能性が極めて高いことになる.そこで,のり上がり脱線に関与する地上側因子について,ここで再度,もう少し細かく述べてみよう.

 乗り上がり脱線に関与する地上側の因子

 のり上がり脱線が起きる原因の一つは急カーブでレールを踏みしめる力,すなわち,輪重にアンパランスが生じたときに発生する.この現象は,車両の8つの車輪の輪重値がバランス良く保たれていても,レール面が歪んでいれば起きる.というのは,レールの特定の箇所に凸凹があると8つの車輪はレールを均等の力で踏みしめることが出来ないからである.そして,このような凸凹(歪み)は曲線の出入口付近で起きやすいこと,さらに,事故が起きたSカーブ付近では,そのような現象が起きていた可能性が否定できないことを先の「鉄道を斬るNo.10」で述べるとともに,問題点を以下のように集約した.

 ・脱線が起きた地点の左急カーブでは右側レールがカントによって嵩上げされている.
 ・その先の右カーブでは反対に左側レールが嵩上げされていると推定される.
 ・これら二つのカーブの切返し地点には,緩和曲線と呼ぶカーブが設置されている.
 ・緩和曲線部でレールの嵩上げ(カント)の左右切返しも行っている.
 ・地下鉄のように急カーブの続く路線では所定の緩和曲線確保が困難な区間がある.
 ・左右カントの切返しが適正でないと,輪重アンバランスによる脱線の危険が起きる.

 このようなことをご理解頂ければ,Sカーブの中間に設置する緩和曲線の設定方法が非常に大切であることがおわかり頂けると思う.ところで,カーブは曲がりやすくするためにカントが付けられているのだが,カント量が多いほど,Sカーブでのカントの左右切り返しを慎重にしないとレールが歪み,輪重アンバランスが起きる.一方,カントがなければ,そのような心配は全く要らなくなる.
 従って,Sカーブ中間に設置する緩和曲線長さは前後のカーブに付けられたカントによって決まることになる.すなわち,Sカーブに付けられたカントの量が多ければ,カント切り返しのための緩和曲線は長くとらなければならないということになる.

〇 緩和曲線挿入の考え方

 Sカーブの中間に敷設する緩和曲線の長さや,この緩和曲線の部分でカントを切り返す方法を述べてみよう.曲線付近でレールが歪んだ場合に電車の8つの車輪がうまくレールを踏みしめることが出来ないのは,電車が軟体動物でない,つまり,電車の車体剛性が高く,レールの凸凹に応じ車体が撓んでくれないからである.
 もちろん,このように「車体のしなやかさ」がないことは車体が丈夫であることの証であるから本質的には好ましいことである.このような車体剛性がのり上がり脱線との関連で議論されるようになったのは昭和40年4月に中央線初狩駅でのタンク車脱線事故であり,それ以前にはこのようなことがあまり問題にならなかった.当時の車体剛性が今ほど高くはなかったからである.
 事故が起きた日比谷線が建設された昭和30年代末期のころ,既に国鉄には部内の規定ではあるがSカーブにおける緩和曲線やこの曲線上におけるカント切返しについて詳細な定めがあった.しかし,当時の民鉄の線路構造を定めた運輸省令では緩和曲線について,Sカーブの真ん中には「相当ノ長ヲ有スル直線ヲ挿入スベシ」なる大正時代制定の省令があっただけで,Sカーブ以外の曲線について緩和曲線等に関する定めはなかった.
 その理由は明らかではないが,省令制定当時の電車の多くは木造車であり,車体は非常にしなやかで,のり上がり脱線などは全く起きなかったのではと推定される.その後,電車の車体が鋼製になっても当時の車体は,現在のようないわゆる「モノコック構造」とは異なってやはり,しなやかであったことも,このような問題を起こさなかった原因の一つであったと思う.そして,民鉄におけるのり上がり脱線で電車の車体剛性がクローズアップされたのは,さきに述べた某民鉄ののり上がり脱線事故である.
 では,Sカーブの中間に挿入する緩和曲線の付け方は実際にはどのように行うのであろうか.現在の運輸省令は,それまで国鉄部内規定としてあった緩和曲線に関する規定を殆どそのままの形で採り入れた.その内容はカーブの種類や,通過する電車の速度に応じ多様であるが,事故現場のSカーブに該当すると考えられる主な規定を拾いだすと,

 ・Sカーブでは双方の曲線のカント量の和の300倍以上の長さの緩和曲線の確保
 ・双方のカント又はカント不足量の7倍に電車通過速度を乗じた長さの緩和曲線の確保(速度はkm/h,カント量はミリ)のいずれか大きい方を確保しなければならないとされている.つまり,緩和曲線の長さはカーブにおけるカントの付け方又は通過電車の速度で決まるのである.

 一方,カントの値自身はカーブの強さと,そのカーブを通過する電車の速度に応じて決まる.理想的なカントの設定はカーブを最高速度で通過したとき,遠心力で車体が外に振られないよう設定することである.この考え方に立てば,今回の事故地点の通過速度は約34km/hであるから,半径160m左カーブの所定カントは図示のように61ミリ,半径231m右カーブのカントは42ミリ必要となる.従って,この値でカントが設定されていると仮定するならば,先に述べた方法で所要の緩和曲線長さを求めると左カーブの緩和曲線長18.3m,右緩和曲線長12.6mであり,合計30.9mとなる.            


(クリックすると拡大します)
図 現場の曲線と緩和曲線付与の方法
作図:金沢工業大学 機械システム工学科 永瀬研究室
坂原 洋行

 一方,Sカーブの中間にある実際の緩和曲線長さは営団側が事故の際に発表した資料から求めると47.9mとなる.従って,カントを不足なく所定に設定し,かつ,緩和曲線は当時の国鉄部内規定に準じた方法で設定したと仮定すれば,緩和曲線付近の線型は
 1番目半径160mの左カーブ
 2番目18.3mの左カーブに付帯する緩和曲線
 3番目17.0mの直線
 4番目12.6mの右カーブに付帯する緩和曲線
なる順序でレールが繋がっていることになる.
 日比谷線が建設された当時の省令にはSカーブの真ん中には「相当ノ長ヲ有スル直線ヲ挿入スべシ」なる規定があったが,具体的な直線長さについての規定は定められていない.日比谷線の建設記録をみると,この付近が当時の省令に抵触した線型であったことや,そのために運輸省に特認申請を行ったとの記録は見当たらない.一方,営団の当時の内部規定によれば,Sカーブ中間に直線を入れる場合,その直線長さは15m以上確保することになっている.当時の国鉄の規定は20mであり,この値は国鉄電車の標準長さ20mからきたものと推定される.日比谷線電車の長さが18mであることを踏まえれば,現場の直線はやや短い感じがするが,技術的には問題となるほどのことではない.

 当時の運輸省令で定めた上記方法でSカーブ付近におけるカント左右切返しを行う場合には,
 ・最初に左カーブ出口の緩和曲線上で先ず,嵩上げされている右レールを押し下げる
 ・次いで,短小(推定17m長の)直線区間では,左右のレールを水平に保つ.
 ・次の右カーブ手前の緩和曲線で次第に左側レールを嵩上げする.
という面倒な手法をとらなければならない.賢明な読者であるならば,このような方法をとらず,むしろ,左右カントの切返しを同時に行ったほうが,途中の直線分の長さをカント切返し長さとして有効に利用出来るので,切返しもスムーズにおこなわれることに気がつくであろう.
 つまり,最初の左カーブ出口に設けた緩和曲線で右レールをさげると同時に,次のカーブの準備のために左を上げ始めるのである.このような合理的な手法は日比谷線建設当時,既に国鉄の内部規定に明示され,多くのSカーブで使われていた.もちろん,現在の民鉄ではそのような手法の導入は省令によって認められている.しかし,当時の民鉄向の法令では,そのような手法を定めた規定は存在しなかった.
 従って,当時の国の定める規定に従った線路の整備が行なわれていたとするならば,現場は大変厄介な線型をしていたことになり,そのような線型の線路保守に現場がご苦労されていたと推定される.
 一方,当時の運輸省令には具体的な緩和曲線挿入の方法が指示されていなかったこともあり,さらに,営団がビルの谷間を縫って厳しい線型の線路を敷設しなければならない事情等もあったためであろうか,営団では内部規定によって曲線本体区間でカントを逓減することを認めていた.もちろん,このような方法は本来は好ましい手法ではない.だから,営団内部規定では曲線上でカント逓減する際は,カント量の600倍という通常の2倍の長い距離で緩やかな逓減を行わなければならないことを規定していた.今回の脱線が起きた地点は厳しい条件ながら曲線側でカントの逓減を行なう必要がない線型になってはいた.しかし,脱線地点がカーブ出口直前であったこと及び緩和曲線でのカント逓減を行なうことが厳しいなどのことを踏まえると,事故発生地点である急曲線出口付近でのカント逓減実施の有無を,事故直後に本来は調査すべきであったと思う.
 以上,述べたように,付近の線型は線路を歪みなく保守するには細心の注意を必要とする区間であり,保線関係者は付近の線路の保守に腐心されていたと思われ,その過程でレールに歪みがあった可能性も全く否定出来ないわけではない.しかし,残念なことに,現場のレールは証拠品として事故直後に取り外されため,このような重要な状況を調べる貴重なチャンスを逸してしまった.

  〇 特殊カーブ

 話は余談となるが,運輸省令に緩和曲線に関する詳細な規定がなかった昔は,多くの現場で「匠の技」によって作られた「○○カーブ」と呼ぶ特殊な緩和曲線が導入されていた.筆者もある構内で線路を敷設する計画に関与したとき,構内とはいっても相当のスピードで車両が通過する計画のあるカーブで,カントを所定に確保した場合は緩和曲線長さが足りないことが判明して困惑したことがある.その工事を担当した元国鉄某保線区出身のベテランの軌道工事会社責任者は「○○カーブ」で充分に対応できると明言し,その方法で敷設した線路で全く問題がなかったことに驚いたことがある.
 しかし,この曲線は現場の路盤の状況や,そこを通過する電車の構造などを知り尽くした高い技量をもつベテラン保線従事員が行う手法であって,機械保線が主体の近代鉄道で,このような手法で敷設された線路にどの程度対応できるかは議論のあるところであろう.事故現場でこのようなカーブが使われていた可能性は多分ないではあろうが,明治,大正時代に敷設された線型の厳しい線区には,本線といえども,その様な手法で敷設されたカーブが残っている可能性は否定できない.今後,機械化が一層進む状況の下で,このような匠の技により敷設された線路を適正に保守することも,考慮に入れなければならないであろう.
 レールを保守する保線の現場は,いわゆる3K職場であり,作業は深夜の終電が終わってから始発までのわずか数時間の間に作業を行なわなければならない.しかも,地下鉄の場合には作業現場までの往復時間の確保,レール等の材料搬送の難しさ等の多くの問題点に苦悩している現場は多い.今回の事故でもし現場の不手際が見いだされ,それが事故の一因であったとされる事態が万一にも起きるような場合があったとしても,関係者は事故の責任を追求する前に,先ず,高度の技量が要求される地味で過酷な作業現場の実態を理解すべきであろう.このような観点に立てば,今回の脱線防止レールについてのような一方的とも思われるような措置は,好ましいことではないと思う.

 
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