地下鉄脱線事故の真因を探る
- No
3 のり上がり脱線のメカニズムに迫る -


のり上がり脱線はどのような状況で起きやすいか.
 
 今でも急カーブで稀に起きる「のり上がり脱線」がどのような状況の下で起きるかの概要を先の第2報で述べた.その要点をのべれば

 ・低速走行時に急カーブ(アタック角が大きい)で起きる.
 ・車輪やレールがすべりにくい状態にあると,起きやすい.
 ・車輪のレールを踏みしめる力(輪重)が減少したり,車輪がレールを横方向に押す力(横圧)が大きいと起きやすい.

などと,いうことが判っている.しかし,どの程度の急カーブで,何キロの速度で,車輪 やレールがどの程度の滑りやすさなら危険であるか,さらに輪重の変動率や横圧の強さは幾らまで安全か,などどいうことになるとよく判らない点があまりに多い.
 なぜ,そのようなことになるのかと言えば,のり上がり脱線についいての詳細なメカニ ズムが全くといってよい程判っていないからなのである.その理由について,簡単に述べてみよう.

のり上がり脱線のメカニズム解明はなぜ難しいのか.
 前号の「鉄道を斬る.NO11」でも述べたように,急カーブ通過の際に車輪がレールに平行とな らずに少し斜めに位置しながら(アタック角をもって)走行すると,フランジと呼ぶ車輪 外周にある突起部がレールに接触する.そして,その点(以下,この点を「接触点」とい う)を中心にして引っ掛かった状態になりながら車輪の回転に応じ車輪が乗り上がる現象 である.しかし,実際に判っているのは,この程度のことだけなのである.
 では,現象解明のために何がわかれば良いのか,知りたい主な項目を並べてみよう.

1) のり上がり現象が起きたとき,フランジとレールとの接触点はどこにあるのか?
 のり上がり現象の原点となる極めて重要なポイントであるが,考えただけでも「ウーン 」と唸ってしまうほど難解な課題である.この問題解明のため,世界各国の技術者,研究者がいろいろと研究を試みてきたが,最近まで,この位置を高い精度で求めることは困難視されてきた.しかし,昨年,手前味噌を申し上げることになって大変恐縮なのだが,当研究室でようやくこの点の位置を正確に求めることができるようになった.しかし,これはのり上がり脱線のホンの糸口が掴めたに過ぎないのである.

2) 接触点の滑りやすさ(摩擦係数)の値をどのようにしてはかったらよいのか.
 接触点で車輪が引っ掛かるか,あるいは,引っ掛からないで済むかの分かれ目を決める キー・ポイントは接触点の摩擦係数である.この値が低い,つまり,滑りやすければ車輪 は乗り上がらないし,この値が高ければ車輪は引っ掛かって,のり上がりを開始する.しかし,この値を求めるのは,接触点を求めるよりはるかに難しく,実際にこれを求めるのは出 来ないのではないかと筆者は考えている.

3) 車輪の回転・移動に応じて移動する接触点の軌跡はどうなっているか?
 この問題も大変な難解である.しかし,接触点の位置が正確にわかるようになったので ,軌跡を求めることは理論的には差ほど難しくはないと思われる.

のり上がり脱線について行われた主な研究
 このように考えただけでもため息が出るような難解な問題に挑戦して研究を行うのは容易ではない.このため,特定の部分に限ってではあっても,この問題に積極的に取り組ん だ研究はあまり多くはない.過去の代表的な研究成果を挙げてみよう.

1) アタック角及び摩擦係数等が脱線に及ぼす影響等の研究 〔横瀬景司,-一軸車輪の脱線- ,鉄道研究所報告第 504号,1965]
 旧鉄道技研の横瀬氏は模型車輪及び軌道を用いてアタック角,つまりカーブの強さ及び レール・車輪間の滑りやすさ(摩擦係数)が脱線に及ぼす危険性について調べた.つまり,どの程度の急カーブや摩擦係数なら脱線しやすいかを調べた研究である.それによれば,アタック角が0.5度(今回事故が起きた地下鉄の半径160メートル程度の急カーブではこれに近い値になる)以上のカーブでは,カーブの強さは脱線の発生に影響を及ぼさないなどの結論を得ている.

2) 狩勝実験線における脱線実験等の研究 [小山正直他,-狩勝実験線における貨車の脱線実験- JREAVol11 No.3, 1968-3.]
 貨車の競合脱線を防止するため,一大プロジェクトとして国鉄が取り組んだ研究で,ご承知のように,貨車を実際に脱線させる実験も行った.その結果,2軸貨車向けの脱線しにくい車輪形状(この踏面形状をN踏面といい,貨車に使われている)などが提案され, さらに,脱線に対する危険性はレールを踏みしめる力(輪重・P)に対する横圧Qの比( Q/P,この値を「脱線係数」という)が概ね日本でそれまで採用されていた0.8以下 なら問題ないこと等を明らかにした.

3) 輪重差の危険性に関する研究
[国枝正春,-輪重抜けによる脱線-JREAVol11, No.31968-3]
 旧鉄道技研の国枝氏の研究で,左右輪重差があった時の脱線の危険性を特定の摩擦係数及び車輪形状の下で求めている.その結果によれば,一方の輪重が輪重平均値の35%程度にまで減少したとき脱線の危険があることを明らかにした.

4) 米国の実験線における横圧が脱線に及ぼす影響の研究 [AAR Newsletter"Wheel climb derailment test using AAR's Track Loading Vehicle "Railway AgeVol196No.61995-6]
 米国では貨物列車の脱線による可燃物質積載車両の大爆発や有毒物質を搭載した貨車の水道水源地への転落ににる水質汚染などで深刻な社会問題を引き起こした.このため,大規模な脱線実験が米国鉄道協会の手で行われている.研究では実験車両の床下に脱線実験用台車を装備し,この台車に無理やりに横圧を加えで車輪フランジがレールに乗り上がる 状況を調べた.その結果によれば,脱線係数は今まで,0.8を越えると危険と考えられ ていたが,実際に脱線するのはこれよりはるかに高いことを明らかにした.

5) 車輪フランジとレールとの接触点解明の研究 [金原弘道他,鉄道車両のレール/車輪間接触位置の現車測定-,日本機械学会第8回交通・物流部門大会講演論文集,p227‐2301999‐12
 のり上がり脱線の解明に不可欠なこの位置を解明するために,JR東日本,東京大学及び 住友金属が3 年間にわたって行った貴重な研究で,車輪に広く歪ケージを取り付け,横圧 をかけた時の車輪の微小な歪から接触点を推定する方法である.概ねの接触点は推定する ことが出来たが,高い精度で位置を求めることは今後の課題とされた.

6) 分岐器上での脱線についての研究 [石田弘明他,- 脱線に対する安全性評価指標の研究 -, 機械学会講演論文集,Vol.940 No.75, 1995-12.]
 JR総合研究所の石田氏等の研究グループの力作である.本研究では駅や車両基地構内 分岐器上で散発する脱線事故の主な原因は輪重差や分岐器の平面狂いにあることをを明らかにした.なお,石田氏等はこの問題について,同様の研究論文を多数発表している.

7) 走行中の車輪アタック角の挙動を求める研究 [山下祐史他,車輪アタック角測定装置の開発,鉄道技術連合シンポジウム講演論文集,J‐RAIL’98p347‐p3501999‐10]
 のり上がり脱線解明に際してその位置を知ることが不可欠なアタック角の走行中の挙動を求めるために,JR東日本が実際の車両に光学的装置を取り付けて,いろいろな地点におけるアタック角を求めるために実施した地味ではあるが,大変貴重な研究である.研究の結果,直線で比較的安定した走行状態の下でもこの値は多様に変化していることなどを明らかにした.

8) のり上がり現象の挙動解明の研究 [永瀬和彦他, - 低速域におけるのり上がり脱線現象解明の一研究 - J-RAIL’96 土木学会講演論文集, 平成8- 7]
 当研究室では模型車両を,油塗布等により摩擦係数を多様に変化させた模型レール上を走行させ,のり上がり脱線時の車輪の挙動を詳細に解析した結果,のり上がり現象発生時には車輪に「すべり下がる現象」が同時に発生していることを確認した.そして「車輪の すべり下がり」が「車輪のり上がり」より小さい場合に車輪がせり上がることと,その状態が連続して起きたとき,のり上がり脱線がおきることを明らかにした.このような現象を踏まえれば,車輪が「すべり下がる現象」を解明しなければ,のり上がり脱線の本 質的な解明は難しいことを述べている.

9) のり上がり現象発生時の「車輪のり上がり量」を求める研究 [若林雄介他, - 電気的方法によるのり上がり現象発生時のレール・車輪間接触点解明 の一研究 -J-RAIL’99 土木学会講演論文集,1999-12/ 坂原洋行他,- のり上がり脱 線時のすべり下がり量算出法の研究 -, 掲載論文集は前に同じ]
 のり上がり現象が起きたときのフランジとレールとの接触点を高い精度で求めた.この方法で求めた接触点を基準として理論的なのり上がり脱線現象発生時の「理論的な車輪のり上がり量」を求めた.さらに,脱線を防止するための重要な因子である「車輪のすべり 下がり量」を
  車輪のすべり下がり量=「車輪の競り上がり量」−「理論で求めた車輪のり上がり量」
なる関係から求めた.なお,車輪の競り上がり量はレーザ光により実測した.しかし,現時点までの研究結果によれば,測定機器の問題等にによって必ずしも整合性のとれたデータは未だ得られていない.

 以上の要旨からおわかりのように,この問題を本質から究明する研究はJR東日本等を中心として今でも営々と行われていはいるが,この現象を全面的に解明するのは容易ではな い.このような研究は「基礎研究」と呼ばれ,言うまでもなく鉄道の基本技術を支える大変重要な研究である.しかし,残念ながら鉄道で,このような研究を積極的に行うことを奨励する気風が盛んであるとは必ずしも言いがたい状況にある.なぜなら,このような基礎研究で成果を得ても,直ちに鉄道の経営に資する訳ではないからである.

 
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