地下鉄脱線事故の真因を探る
−  No.2 のり上がり脱線とは ?  −


〇脱線はどのような状態の下で起きるのか 
 最初から専門的な話で恐縮であるが、脱線には以下のような種類がある。

1)飛び上がり脱線 高速走行時に車輪が飛び上がって脱線する現象
2)のりあがり脱線 低速で急曲線通過時に車輪がせり上がって脱線する現象
3)すべり上がり脱線 車輪が非常にすべりやすい状態で滑り上がって脱線する現象

 このうち、1番目は車輪に急激な横方向の力が作用することによって車輪がレールから飛び出してしまう現象である。高速走行時に車輪が蛇行動と呼ぶ異常振動が起きたとき又は線路の整備不具合等で発生する脱線である。最近発生した例はほとんど報告されていないが、あえて挙げれば、阪神大震災のときに起きた脱線の列車の大半はこの範疇の現象によって脱線したと見られる。3番目は理論的にはあり得る脱線現象ではあるが、私の知る限り、このような発生事例は聞いたことがない。
 最も多いのが、2番目に挙げた「のりあがり脱線」である。のりあがり脱線は急曲線や駅や車両基地構内に多くある急な分岐器の上で、車輪が後に述べる「のりあがり現象」を起こして発生する現象で、最近起きた脱線事故のほとんどはこの種の現象に起因していると見て差し支えない。

のり上がり脱線現象とは
 のり上がり脱線とはどのような現象なのか、簡単に説明してみよう。車輪は直線区間ではレールにほぼ平行に位置して回転する。ところが、曲線に入るとレールに対し若干ではあるが斜めに位置して走行する。その状況を示したものが図1で、図では車輪が曲線部を通過した状態をややオーバーに描いたものである。


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図1 アタック角()とレール・車輪間の接触点(右)
         作図 : 金沢工業大学永瀬研究室今井良嗣 (2000.3.10


曲線では、このように車輪が角度αだけ斜めに位置した状態で走行する。この角度をアタック角と呼ぶ。この角度は急曲線でも極めて小さく、1度を越えることはまずない。地下鉄内などにある急曲線を通過する場合のアタック角はおおむね0.7度を越えない範囲内にあると見られる。
 しかし、このような僅かなアタック角がある状態で車輪が走行すると、車輪の先の「フランジ」と呼ぶ尖った部分が絶えず接触しながら走行することになる。電車が急曲線を通過するとき、車輪からのキーキーと騒がしい音の出る音源の主体はこの場所にあると見られている。このキーキー音は公害源として忌みきらわれているが、これが悪化すると、騒音程度の話では済まなくなってしまう。というのは、キーキーと騒音が出るのは車輪先端フランジとレールとの接触点で、車輪がレールに引っ掛かることなく、滑ってくれるからである。
 むしろ、恐ろしいのは車輪先端のフランジ部分のレールとの接触点での滑り現象が止まって、引っ掛かってしまうことにある。その場合でも車輪は回転を持続しているので、この引っ掛かった接触点を中心にして車輪が乗り上がってゆく。これが「車輪ののりあがり」とよばれる現象である。のりあがり現象がどのような状況の下で発生するかは残念ながら今でもよく判らない点が多いが、いままで経験などから

・レールや車輪の接触面に油が塗ってあって滑りやすいところでは起きにくく、逆にレールや車輪がザラザラしてすべりにくいところでは起きやすい。

・車輪のレールへの引っ掛かりを助長するような力(車輪横方向の力、これ「横圧」という)が大きいと発生しやすい。

・車輪がのり上がりやすい力が作用する状態、具体的には車輪がレールを踏みしめる力(これを「輪重」という)が小さいと起きやすい。

 などとなっている。
 以上は一般論であるが、具体的にどのような箇所で起きやすいかを述べてみよう。

車両側から見た時、何処でのり上がり脱線が起きやすいか
1)車輪のレールとの接触面がザラザラした状態
 車輪のレールとの接触面、特にフランジ部分がザラザラしていると、車輪がレールとの接触点で引っ掛かりを起こして乗り上がりやすい。実際、乗り上がり脱線が起きた車両の中には車輪を削正した直後に脱線した事例が少なくからずある。

2)整備不良などにより車輪の輪重差が多いとき。
 一本の車軸に取りつけられた左右の車輪がレールを踏みしめる力(輪重)は平坦、直線上では均等(5対5)でなければならない。なぜなら、走行中には動揺などによって、左右の輪重は必ずしも5対5ではなく、一時的には6対4や7対3になった状態で走るからである。本来、均等であるべき左右の輪重が台車のバネ調整を誤って、均等で無い場合がある。このように左右の輪重に顕著な輪重差がある状態の車両では、曲線通過などの際に動揺などで左右の輪重のバランス崩れが一層助長されて、極端は場合には9対1位にもなってしまう。このような時に、曲線通過に伴う遠心力の作用によって車輪に大きな横方向の力「横圧」がかかると輪重の少ない方の車輪はのり上がりを起こしやすくなる。事実、事故を起こした車両では輪重差が大きい例が多い。

地上側からみた場合、どこで起こしやすいか
1)急曲線部分
 急曲線部分を車両が通過すると、遠心力により横圧が増大する。その結果、一般的には急曲線部分はのり上がり脱線の多発しやすい場所となっている。

2)緩和曲線が充分に確保出来ない箇所
 曲線では曲線の外側レールを内側レールより数十ミリ嵩上げしている。この嵩上げ値を「カント」量と呼ぶ。カントは曲線通過時に起きる遠心力による横圧や乗り心地低下を防止するために付けられる。しかし、曲線部でいきなりカントを付けたのでは、いろいろと不都合が起きる。このため、曲線の出入口には「緩和曲線」とよぶ直線と曲線との「合いの子」的な曲線が必ず設置され、この間でカント量のスムースな増減が行われる。
 1両の車両長さは日比谷線の場合、約18メートルある。このように長い車両が直線から緩和曲線に入った場合を考えて見よう。その場合に、この緩和曲線が短いと、車両最前部の車輪の曲線外側にかかる車輪はカントの影響で早めに嵩上げされてしまい、前の車輪と後の車輪との間に大きな水平差が発生する.すると、嵩上げされた車輪はバネが縮むのでバネ作用でレールを強く踏みしめ、その結果、輪重が増える。他方、車輪が嵩上げされていない後の方の車輪の輪重の値は、前車輪の輪重増加分だけ逆に現象して、いわゆる「輪重抜け」現象が発生し、のりあがりが起きやすい状態になる。
 Sカーブと呼ぶ反向曲線のつなぎ部分では緩和曲線を充分確保しにくい場合が多い。このようなところでは短い距離でカントを左右で急激に振り替えなければならないからてある。特にビルの谷間を縫って走る大都市地下鉄には急なSカーブが散在しており、このようなカーブでは適正な緩和曲線を確保するのが困難な区間が少なくない。図2は日比谷線現場付近の線路平面図を示す。


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図2地下鉄日比谷線現場の線路平面図
         作図 : 金沢工業大学永瀬研究室坂原洋行 (2000.3.10

図3 地下鉄日比谷線現場の線路縦断面
         作図 : 金沢工業大学永瀬研究室坂原洋行 (2000.3.10


ご覧の通り現場は急なSカーブで、保線担当者は緩和曲線を所定状態に維持するのに苦心されているであろうことは想像に難くない。
 なお、緩和曲線は平面的にだけでなく、縦断面の面からも設置しなければならない。現場は千分の35ミリの上り勾配から千分の12ミリの下り勾配に変化する地点でもある。このような地点では、いきなり勾配を変化させると曲線とおなじような問題が出る。そこで、縦緩和曲線とよぶ緩和曲線を設置しているが、やはり地形の関係でこの値を十分に確保できない場合がある。

悪条件が競合した場合には?
 今まで述べたのは、原因が車両又は地上のいずれかの一方に帰するケースである。しかし、車両・地上側の双方に直接には悪いと決めつける程の原因はないが、結果として、のり上がり脱線が起きる場合がある。そのような状態で起きる脱線を「悪条件が競合して起きる脱線」という。国鉄時代に貨車で頻発したこの種の脱線を「競合脱線」と呼んだ。そのルーツはこの用語にある。
 悪条件競合による脱線はケース・バイ・ケースであり、一般論としては大変論じにくい問題である。国鉄時代、これが原因で発生した有名な脱線事故に、昭和40年に中央線初狩駅構内で貨物列車が約25[km/h]の低速で進入した際に起きたタンク車ののり上がり脱線事故がある。現場を調査した結果、車両・地上ともに異常はなかったが、結果的には「Sカーブにおける緩和曲線挿入の方法」と、脱線した車両が「剛性の非常に高い(しなやかでない)タンク車」であったことと、その車両のタンク部分を含む車体部を台車が受ける部分(これを「側受」とよぶ)のスキマが狭小であった、つまり「側受のスキマが狭かった」ことの、3者間のミス・マッチにより起きたことがわかった。通常の車両なら緩和曲線に若干の不具合があっても、車体のしなやかさ(撓み)でこれを吸収して前後及び左右の輪重差が起きなかったと推定されたのに、剛性が高い車両で、特に台車の側受スキマが少ない場合、車体が充分に撓まないため、緩和曲線上でモロに輪重差が起きてしまうことが判明したのである。同じような事故が車体剛性が高い車両を投入したある民鉄で、新車投入の直後にSカーブ上でも起きている。

今回の事故での問題点は。
 現在までの調査結果では、レール及び車両に顕著な欠陥を見当たらないと報じられている。しかし、開通を急ぐあまり、急いで現場を復旧してしまったのではと心配である。事故調査担当の方々の心労は想像に難くない。しかし、専門家なら簡単にわかる空気バネのパンクを見誤るという初歩的なミスを冒したことからも判るように、調査に拙速な側面があったのではとの懸念が残る。というのは、この種の脱線の原因を解明しようとすれば、軌道及び車両の双方の現場での状況を相当詳細に調査しておかなければならないからである。そのためには、現場にいろいろな機器を持参して詳細な測定を行なうことが不可欠である。しかし、事故の直後にそのような作業が行なわれたとの報道は見当たらない。それでも、車両についての調査は復旧作業を行なった後でも車両がそのままの姿で残る場合が多いので問題が起きるケースは少ない。ところが、軌道側の場合には現場を復旧してしまうと、事故当時のカント付け方や緩和曲線挿入の状況の詳細など、のり上がり現象に支配的な影響を及ぼす因子が大きく変わってしまう可能性が極めて高いからである。

なお、この問題については、このページ上で車輪が乗り上がる際のメカニズムの詳細を調べた研究結果、たとえば、車輪がせりあがる際の挙動を調べたデータや、線路状態の差異により、車輪のり上がりの状況がどのように変わるかなどの研究結果の紹介を行なって行きたい。

 
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