優れた車両を育てる原点は何か

JR10年の車両技術の問題点を探る〜

鉄道車両と技術 1997. Jun Vol.3-6 No.23掲載

 


 優れた車両とはどのようなものであろうか? 私は安全、速達、快適、廉価、信頼性及び環境保全の全てを満足し、これによって鉄道に経済的な利益をもたらす車両であると考える。このように優れた車両は「強い需要( ニーズ) 」を受けて「技術を涵養する環境」の下で「開発に関与する優れた人材」の手によって生まれ、さらに、その後「適正な車両運用」、「行き届いた保守と整備」、「技量の優れた乗務員による操縦」及び「良く整備された鉄道線路」などのような、良い周辺環境によって育まれるのであろう。
 優れた車両が生まれ、育つために不可欠なこのような基本的な問題点を含め、JR発足後の車両技術について、私見を述べさせていただく。


1.ニーズに沿った技術開発


 ニーズがあり、これに沿った技術を開発をして、初めて優れた車両が生まれる。潜在的なニーズがありながら等閑視されているテーマに「踏切が存続する在来線の大幅な高速化」と「通勤電車の時隔短縮」がある。政治家により喧騒されている新幹線網の拡充が絵餅に近いことを考えれば、在来線速度向上に関わる課題には大きなニーズがある。一方、バブル破裂以降、多くの通勤線区で輸送のがジリ貧で続く現在、巨費を要する線増は困難であり、さりとて混雑の激しい線区の現状を放置するわけにも行かない。そのような時、通勤電車のヘッド短縮が容易に出来る技術は大変な魅力がある。車内居住性についてのより体系的な研究を行うことも、地味ではあるがニーズがあると思う。以下に求められるべき技術開発とその理由を述べる。

1)非粘着ブレーキ
 在来線は踏切及び信号系が絡んだブレーキ距離600mの問題があって、一部を除き大幅な速度向上は容易ではない。これをクリアするため非粘着ブレーキの併用によるブレーキ距離を短縮する方法を研究すべきである。渦電流レールブレーキはブレーキ・エネルギーの約3 割程度の吸収が可能とされる。とすれば、これを導入することにより現行のブレーキ距離を維持したまま、最高速度は145km/h程度に引き上げが可能となる。非粘着ブレーキ実用の可否が今後の在来線速度向上の一つのポイントになるのではないか。

2)強制振子システム
 在来線の速度向上の他のキーは曲線通過速度の向上である。鉄道復権に積極的な欧州の最近の動きを見ると、厳しい財政事情のあおりで日本と同様に新線建設が大幅に凍結され、今や速度向上は振子一色の感がある。欧州の強制振子 (実際は車体傾斜) の振角は最大8, 半径300m曲線の通過速度は実に100km/hに達する。この優れた機能を我が国に導入すれば在来線の大幅な速度向上は不可能ではない。
 しかし、欧州でこの複雑な強制振子をものにしたのは伊のフィアット、スエーデンのAB B(現アドトランツ) 、それに最近スイスSIGが加って僅か3社に過ぎない。30年以上にわたる長丁場の振子開発戦争の過程で英仏両国鉄を含む多くの陣営が戦線から脱落し、生き残った陣営の方式もトラブルが絶えない。イタリア〜スイス間で昨年6月に営業を開始した伊国鉄のETR470形振子列車シーザ・アルピーノは、当初の振り角速度(毎秒5) ではアルプス山中にある半径250300mの反向曲線通過時に振り遅れることがわかり、改良のため営業開始直後から3ケ月間の運休を余儀無くされた。アドトランツがドイツ鉄道に納入したVT611形振子ディーゼルは昨年暮れに推進軸を落下させ全面運休に追い込まれ、いま(5月現在) でも修復の目処がたっていない。
 ところで、日本での本格的な強制振子は住友金属と小田急とが40年近くも前に共同で試験を行って以降、全く手が付けられていない。このように複雑で問題の多いシステムを現在のように手薄な我が国の鉄道技術陣の手で開発できるのであろうか。新しい振子の開発で我が国が先ず必要とするもの、それは「多額の予算」ではなく、「新しい独創的な振子方式の提案」である。今や、世界各国で多くの優れた振子方式はほぼ提案され尽くされた。我が国でこれを上回るユニークで実現性の高いシンプルな強制振子が提案出来なければ、定評あるフィアットや、シンプルな振子構造で関係者を驚かせたSIG などの軍門に下らざるをえないのではないか。

3)通勤電車の時隔短縮
 通勤電車の時隔は主要駅の停車時間に支配される。主要駅では先行電車がホームを長い間ふさぐので、後続電車が駅に近づけないからである。先行電車が発車しても現在の閉そく方式では、続行電車は先行電車に「踵を接して」ホームに入ることは出来ない。移動閉そくを採用すれば理論上対応できるが、その実用化の目処はたっていない。高速運転線区における編成10両程度の標準的な現用 ATCの最短時隔は2 20秒程度である。この時隔を 2 割程度短縮できれば、混雑緩和に大変な効果がある。

4)感性が関わる居住性の評価
 昭和40年代に動力車乗務員と車両との係わりを究明した人間工学は事故防止に成果を挙げた。しかし、乗客に快適なサービスを提供する見地からの、同じような研究は昔と同様あまり行われてはいない。車内サービスに関しての個々の問題、例えば、車内インテリア等については鉄道は専門家の助言を受けている。しかし、車両の感性が関わる居住性の問題を広く体系的に研究した例は今でも見当たらない。例えば
車両座席の背ずり傾斜角度( リクライニング) の増大は骨盤への負担を増加させ、疲労面から必ずしも好ましくない。にも関わらず、適正な傾斜角度が提案されていないため、リクライニング角度は本来的は好ましくない増加させる方向にある。
快適な体感温度には温度や湿度の他に車内の気流も関与する。しかるに走行状態に応じ多様に変化する車内の気流を体系的に把握する研究はあまり行われていない。
分煙が強化された結果、最近、特に顕著となった喫煙車内のタバコ臭や、相変わらず解消されていないトイレ臭気の研究等もあまり進捗していない。車内気流を除く前述の問題は人間の感性が支配する分野の事象である。このため、「脱線係数」のように事象を直截的に定量評価するのは難しい。特に臭気については臭気を検出するセンサーですら満足すべきものが見当たらない。しかし、車内の居住性は商品の質を決める大事な指標である。この地味な分野での研究成果が得られれば大きなサービス向上となるに違いない。

5)環境対策
 ここで言う環境対策とは、騒音や振動のように鉄道が当面する問題ではない。現在の凄まじい地球環境破壊が続けば人類に未来があるかどうか疑わしい。この問題に強い懸念を抱く、卓見ある識者を首脳に戴く幾つかのリーデングカンパニーは、将来を見据え、採算をある程度度外視して既にリサイクル、省エネ及び低公害物質開発の研究を強力に推進している。鉄道は本質的に環境に優しいと言われる。しかし、「省エネ」、「機材の損耗防止」及び「廃棄・排出物の抑制と最利用」について研究すべき分野は多いし、これらは長い視野で見れば強いニーズがある。最近JR東日本が積極的にこの問題に取り組もうとしていることは卓見である。


. 技術を涵養する環境の整備


1)その1/基盤技術
 最近世に出た技術はメーカー主導で完成したものが圧倒的に多い。そのこと自体は決して悪いことではない。今後、このように「購入手配」することによって鉄道が技術を取得する傾向が強まるのも時代の流れである。
 ところで、我が国は物品購入にはお金をだすが、「ノウハウや知識はただ同然」と考えている向きが多く、鉄道もその例外ではない。このような本来好ましくないコンセンサスが深く社会に浸透していることを考えれば、我々は「鉄道事業者が物品購入に付帯して入手できる技術」と、そうでない技術とを峻別しておく必要がある。後者に属する技術で車両に係わるものには、脱線、粘着、軌道回路短絡不良などの現象解明の研究がある。さらに、車両保守や整備に関する技術で「物品購入を期待出来ないもの」も、この範疇に含まれるであろう。
 国鉄時代には、国鉄仕様制定権限と関連業界への強力な指導力とを併せ持っていた国鉄本社技術主管局がこの種の技術について、鉄道技研、研究機関、大学、メーカー、関連協会及び一部民鉄等と連携をとって必ずしも充分とは言えないまでも、その涵養に努めてきた。しかし、民営化後、強大な権限を持つ国鉄技術主管局は消滅し、JR総研で基盤技術を担う部門の人員は大幅に縮小されている。国鉄から相続した基盤技術について、遺産の目減りが目立つようにになった昨今、この技術を今後どのように涵養して行くかは重要な問題である。

) その2/実験線の建設
 現在、本格的な実験線は世界の3 箇所、米国のプエブロ、ロシアのシェルビンガ、チェコのベリムにある。最近、ドイツのシーメンスは私企業ながら大規模な実験線の建設を終え、ポーランド国鉄はチェコ実験線が欧州各鉄道からの委託で繁盛しているのに目をつけて同様規模の実験線建設に着手したと伝えられる。
 巨費を要する実験線建設をJR総研や特定JR会社単独で行うのは難しい。しかし、今後、厳しい環境問題をクリアし、さらに、前述の振子のような高度な技術を限られた時間内で完成させるために本格的な高速実験線が是非とも欲しい。米国やチェコ実験線の運営状況を見ると、建設費の償却までは難しいものの、少なくとも実験線の保守を含めての運営費は十二分に賄えるほどの試験受託がある。日本の鉄道関係者が一致協力して、是非、外国に負けない実験線を早急に作り上げるべきである。

3)規制緩和
 ここでは今、議論華やかな「規制緩和問題」を挙げたい。JR発足直後、津軽海峡線や瀬戸海峡線の開業に際し、他社との運転士の相互乗入れを計画していたJRに対し、これを認めないとの行政指導が唐突に行われた。このためJRは非効率的な乗務員の運用や休憩所整備のための出費を余儀なくされた。このような行政指導は、法令やそれ迄の又はそれ以降の一部民鉄を含めての乗務員運用の実情を見ても、いかに恣意的であったかは明らかである。今後、同じような行政が行われ、これを鉄道が安易に受け入れれば、株主訴訟の対象になる可能性も考えられない訳ではない。
 しかし、運輸省は最近の航空行政に見られるように、従来の許認可中心の行政から関連業界の自助による発展を念頭に置いた行政に機軸を移しつつある。古色蒼然として実情に沿わない条文もある技術規制の省令も見直して、その多くを米国の如く関連公益団体が定める基準に委ねようとしている。自己責任を原則とする現代社会にあっては、このようなスタンスが行政の本来あるべき姿である。全面撤廃論が噴出する経済的規制ですらも、省益を擁護する側の強い抵抗で改廃が思うに任せない現状を考えれば、運輸省首脳の見識は高く評価されてよい。この卓見が他省庁に敷衍されることを願う。


3.技術者の育成


 鉄道技術の特徴の一つは、高邁な理論より過去の失敗で得た経験の積み重ねによるものが圧倒的に多いことにあると思う。従って、鉄道技術者の育成に際しては、若い時代に経験豊かな見識ある指導者の下で、鉄道経営についての理念や哲学を実践的に体得させることはもちろんのこと、鉄道が経験した過去の失敗の歴史を学ぶ機会を持たせることも不可欠であると考えている。しかし、発足してからの歴史が浅く、分割により見識ある指導者も散逸したJR各社にあっては、若人がこのような恵まれた場を持つことが出来るチャンスが多くないのは残念なことである。


4.車両周辺環境の整備−事故調査機関の設置を


 あってはならない事故が万一起きたとき、救護や復旧に尽力するのは当然として、二度と同じ事故を起こさない配慮をすることこそが鉄道に課せられた責務である。世界で抜きんでて高い日本の鉄道の安全性を影で支える礎は、過去の重大事故で学んだ尊い教訓の集積でもある。ここでは、事故が起きたときに当面するであろう問題を改善するため、「鉄道有事の際の環境整備」という極めて特殊な事案について述べたい。
 重大事故が起きたとき、原因究明にあたる第一の当事者は司法当局である。しかし、事故で当局が問うのは「事故に直接関与した当事者の過失」である。だから、司法当局は事故の遠因や背景については積極的な捜査を行うこともなく、捜査で得た情報は裁判の場を除いては外部に積極的に開示されることもない。
 これに対し、不幸な事故が起きた場合に鉄道が求めるもの、それは「再発防止に資する情報」である。将来を見据えた場合、どちらがより重要かは自明であろう。さらに、捜査を行う場合の最大の問題は、司法当局が鉄道の仕組みについて専門知識を持ち合わせていないことにある。このため、多数の尊い人命が失われた信楽高原鉄道事故では、司法当局の初動捜査の失態と推定される原因も絡んで、さほど困難とも思えない原因が今でも法廷の場で解明されていない。このままでは恐らく10年裁判となるであろう。
 筆者はJR発足後に人的被害が発生し又はその恐れがあった重大事故の幾つかについて、鑑定人として又は鉄道の依頼を受け事故原因の調査に関わって来た。その時の経験に照らしても、我が国における「鉄道有事を想定した体制」が全くといってよい程に整えられていないのは由々しき問題であると感じる。
 あってはならない鉄道有事に備えるために、早急に米国と同じように行政から独立した事故調査機関を作る必要がある。このような専門調査機関により行われる透明性ある調査結果は、広く公開されることになり、事故の教訓は当事者の鉄道だけでなく、その帰趨をかたず飲んで見守る全ての鉄道関係者が共有出来るようになる。その結果、当事者の鉄道に限らず全ての鉄道が事故について有効で効率的な再発防止策をとることが出来るようになると思う。


5.おわりに


 国鉄分割以降に世に出た技術には国鉄から相続したノウハウ等を活用したものが少なくない。技術の創造には多くの歳月を要することを考えれば、これはやむを得ないことではある。従って、民営鉄道が自らの手で創造した技術を世に問うのは、まさにこれからである。国鉄分割がすでに過去の出来事になりつつあるように、国鉄から継承された技術も又過去の技術となって、民営鉄道の手により創出された技術が幅を効かす時代が早く到来することを願って止まない。

 

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