長崎新幹線へのフリーゲージ・トレインの導入は可能か
- FGTが当面する問題点を探る -
永瀬 和彦
フリーゲージ・トレインの技術的問題点と長崎新幹線導入の経緯
平成26年4月からJR九州の新八代を中心に、在来線と新幹線とに跨って実施してきたフリーゲージ・トレインFGTの新在併せ60万キロ走破を目標とした長期耐久走行試験が、平成26年の11月末までに3.3万キロ走行を終えた段階で、「初期段階での部品点検のための詳細調査を実施する」として突然に中止され、試験窓口の鉄道運輸機構から「詳細調査には1ケ月程度を要する」旨が発表された。それから、1年近く経過した平成27年11月28日に国交大臣の記者会見の場で、「改善策に一定の目処がついた」旨の極めて簡単な状況が明らかにされ、トラブルの原因は「すべり軸受接触部の微細磨耗とオイルシールの部分的な欠陥」であるとの発表が続いた。ところが、今年の5月から実施されてきた「改善策に一定の目処がついた台車」に対する過酷な台上試験の結果、「摩耗対策に一定の効果は認められる」としつつも、「現時点で60万km走行できる耐久性を有すると判断するのは難しい」及び「通常台車の3倍程度のメンテナンスコストを要する」との結果が公表された。その結果、今年度末には60万キロを走破し、長崎新幹線(正式名は九州新幹線長崎ルート)開業時には全面投入される予定だったFGTの量産開始時期は、更に先送りされることになった。国は新幹線開業予定の平成34年度末までに試験60万キロの完走とFGT量産先行車の投入、平成37年春のFGT全面移行を掲げている。しかし、JR九州首脳の「計画が変わる可能性を具体的に言える段階にはない」としながらも、「悠長なことは言っていられない」と述べた(今年11月の記者会見)状況などから類推すれば、FGTの進路に注意信号が現示されたことは疑いがない。
ところで、FGTトラブル発生後、現在、建設中の長崎新幹線は、JR九州が提案した武雄温泉でフル規格新幹線と在来線とを乗り継ぐリレー方式の採用が決まり、開業延期という最悪事態は免れた。長崎新幹線の建設に際しては、当時の佐賀県首脳が強硬に反対して県内は在来線を使用せざるを得なかったために、FGTの導入を決めた経緯がある。当時の首脳の「新幹線は長崎と博多とを結ぶためのもので、佐賀にもたらす効果は少ない。」との政治的な判断には、大きな問題があったと思う。長崎新幹線がフルであったなら、佐賀と長崎県とは、博多に止まらず広島や近畿圏とも太い絆で結ばれ、大きな経済効果をもたらすことになったのにと悔やまれる。筆者は新幹線網を補完する場においては、FGTの有用性は少なくないと思ってはいるが、長崎新幹線へのFGTの導入が適当か否かは全く別の話と思う。FGTのトラブルが表面化するより前に、フルの導入を強く主張した当時の武雄市長樋渡啓祐氏(後に知事選に立候補し落選)在任時に、同市議会は先陣を切ってフルの導入を決議し、これに続いて佐賀を除く県内全市議会も同調した。今にして思えば、樋渡氏には先見の明があったと言うべきであろう。国は今もFGTに望みを託し、佐賀県内に限っては在来線を利用する姿勢を崩してはいない。そして、現知事も前任の失政を慮ってか、「フル規格がいいという意見は理解できるが、FGT導入が約束事としてあり、メリットと県民負担(800億程度と想定・・筆者注記)を考えた場合、今はその環境にない。」と誠に歯切れの悪い見解を表明しているのである(H28.3地元紙)。
筆者は過去にFTGの評価に関与したことがあるが、現在、起きているトラブルについては、報道されたもの以外は全く承知していない。さらに、FGTに関わる高度な技術情報については、ここでお話するのは控えるべきと思う。そこで、FGTについての公知の情報、今回のトラブルで公にされた情報及び鉄道技術に関わる筆者の知見などを基にして、問題点を論じさせて頂く。
トラブルの直接の原因は
図1は、平成26年12月に機構から公表されたFGTの軌間可変機構主要部の略図であり、図中の朱色の注記は筆者が追記したものである。発表によると、問題が起きたのは、図に示す「すべり軸受が車軸と接触する部分」及び「オイルシール」である。鉄道車両の車軸は激しい衝撃と多様な荷重とを受けるため、世の中に数ある機械要素の中で最も過酷な条件で使用される部品の一つとされる。このため、車軸表面の髪の毛程度の微細キズが原因で、車軸が折れた事例が過去に少なからずあり、新幹線も例外ではない。だから、車軸の表面に現われた図示の「微細な磨耗痕」を、恐らくは看過できない極めて深刻な不具合と判断したのであろう。
通常の車軸は車輪と一体化構造である。ところが、FGTのそれは、在来線と新幹線とで車輪の幅を変化させるため、車輪は図1に示すようにスリーブを介して車軸に取り付けられ、軌間変換の際に、スリーブと車輪とが車軸の外側を滑って車輪の幅を変える仕組となっている。車輪が車軸外側を滑る部分に、車軸に痕をつけたとされる加害者の「すべり軸受」が装着されている。すべり軸受は、過酷な衝撃が作用するエンジンのクランク軸軸受などに広く使われ、本来的にはこのような部位に使うに適した材料であるが、使用には細心の注意が必要で、設計や保守を誤ると、今回のような事態が起きる。「スラスト軸受」は、車輪の幅を一定に保つ役割を担っており、軸受の両端にある「オイルシール」は、軸受内部の油脂を溜め置く役割を担い、「部分欠損」を放置すると内部の油が流失し、軸受が焼け付いて破損に至る。すると、「車輪の幅」を一定に保てなくなり、脱線につながる可能性がある。図を見ると、スラストに比較的弱いとされる「スラスト玉軸受」を使用しており、これが原因の一つではないかと思う。「改善策に一定の目処がついた台車」では、問題が起きたとの報はないので、この部分の改良は紛れもなく目処がついたのであろう。
FGT開発手法の問題点
平成26年度に終了したFGT 2次車の長距離走行試験を踏まえ、省とFGT研究組合とが取り纏めた分解調査結果報告には、今回、トラブルが起きたと同じ部位に問題が発生したとの報告は記載されていない。ところが、この調査は省と組合とだけで行なわれ、台車の分解作業を担当したメーカー以外の関係者は、JR、総研、メーカー、評価委員を含めて全く立ち合わせなかった。新しい設計手法を取り入れたために、経過観察が絶対に必要と思われる図1に示すコロ・スプラインですらも、実物の経過観察をさせないのは極めて遺憾であると省に強く申し入れた結果、筆者、ただ一人がこの部位に限定して、立合を許可された。幸い、筆者が見ることが出来た特定の車軸1本について、目視で観察する限りは決定的な問題は認められなかったのではあるが、現在のFGTの基本となった車両の重要部位の走行後の実際の状態は、極めて限られた人が見分しているだけなのである。台車の状態を実際に見分した国及び組合などのごく一部の関係者が、鉄道車両の走り装置について、どの程度の知見や実務経験を有していたか承知してはいない。しかし、見分をした方々が十分な知見を持っていたとしても、FGTの実務を担うべき関係者を悉く排除して調査を行なった省及び研究組合の意図を、筆者は理解することが出来ない。
このような秘密主義に徹した独善的な進め方に起因して、過去に多くの問題が起きている。いまから約17年前の第1次FGT試験車の製作に際して、JR東がこのプロジェクトから脱退した一因も、1次車の試作設計を当時のJR総研の責任者が関係者に相談なく一方的に進めたことにあるとされている。米国のプエブロ実験線を用いて大々的な走行試験を行なったこの1次車の報告書には、車輪を直接支持する軸受にトラブルが起きて損壊する前に温度センサーが異常を検知出来る旨が記載されているのだが、これを判りやすく言えば、軸受がメルトダウンして車輪が車軸から外れ脱線する前に異常が検出できるので、大丈夫だと言っているに等しい。現在、難航している60万キロ走行試験も、省や研究組合は実施不要として、平成26年度からFGTの量産先行車の製作を強行する計画を進めていたのである。この無謀な企ては、総研やJR関係者の強い反対で幸いに頓挫したのであるが、これが予定通り実施されていたら、今頃は大変な事態になっていたに違いない。わが国のFGTは、スペインのような「広軌と標準軌」ではなく、「標準軌と狭軌」との間の変換であり、技術的に極めて難しい。だから、開発を主宰してきた国や組合関係者は、メーカーやJR関係者の声に謙虚に耳を傾け、英知を集め進めるべきなのに、独善的で官僚的な進め方が関係者に見られたのは残念というほかない。
推定されるトラブルと対策
トラブルが起きて諸々の対策は行なわれ、「摩耗対策に一定の効果は認められる」としつつも、本線試験が未だに再開されていないことから類推すれば、車軸の微細な摩耗痕は相当深刻な問題と推測する。今回、問題の起きた部位は、同じ構造の先行の2次試験車両の在来線7万キロに及ぶ走行試験では全く問題が発生せずに、3次車では半分にも満たない走行で問題が起きたのも、不可解極まりない話である。第2次車の最終確認の場に関係者の立会を強く拒んで、省と組合とだけで内密で調査を行った経緯から見れば、今回、トラブルが起きた部位は当時から問題があったのではと思われても仕方がない。
FGTが実用に耐えうるか否かの最終判断は、2年を要するとされる60万キロの耐久走行試験が終わった後に下されることとなる。筆者は、わが国が持つ最新技術の粋を集めて対応すれば、少なくとも現在、公にされているトラブルは解決可能と思っている。これをご理解頂くために、問題が起きた「すべり軸受」について、少し専門的な話をさせて頂く。現代の鉄道車両では、エンジンのクランク軸及び連接棒並びにディーゼル車両の推進軸を除き、すべり軸受はほとんど使われなくなってしまった。しかし、この軸受は鉄道の創世記から最近に至るまで、鉄道車両に広く使われてきた。図2に示すSLの走り装置の激しい動きを支える軸受は全てすべり軸受で、ころがり軸受(ベアリング)はC62の炭水車で戦後に初めて使われた(但し、満鉄向SLで使用実績がある)。摺動部が直接、風雨に晒されると言う類を見ない過酷な環境の下で使われるクロスヘッドにも、すべり軸受が使われてきた。このような極めて厳しい環境の下でも、設計や保守を適正に行なえば、すべり軸受は使用に耐えるのである。今回、トラブルが起きた軸受の使用環境は、新幹線の車両として見れば厳しいものであるかも知れない。しかし、図に示すSLのクロスヘッドが置かれた苛酷な環境に比べれば、その環境は温室のようなものである。FGTすべり軸受の周速や面圧はSLよりは遥かに高いと言われるのかも知れない。しかし、周速、面圧及び温度などの使用環境が遥かに厳しい環境の下で使われる最新の火力発電所コンバインド・サイクルのタービン軸すべり軸受と比べれば、これも失礼な言い方かも知れないが、FGTのすべり軸受は玩具のようなものである。
このような難しい条件の下で使われる軸受は、いずれも、設計、製造、給油等のメンテ及び運転に細心の注意を払っている。現代の鉄道車両における軸受の使用環境から見れば、到底、信じられないような状況の下で使われたSLのすべり軸受要部は、機関車乗務員が主要駅に停車する毎に、帯熱状況を触手で点検していたし、筆者もSL乗務員時代には同じ経験がある。すべり軸受の中で、恐らくは最も過酷な状態で使われる発電所のタービン軸受は、ローターとスベリ軸受との間の油膜保持には細心の注意を払い、タービン起動時にはローターを油圧でジャッキアップさせ、起動直後の急激なタービン軸の温度変化と熱応力による軸方向の動きを巧みに吸収する仕組も取り入れている。その時代の最高レベルの大形高速機関といわれた国鉄DD51形DLに搭載されたエンジン・クランク軸のすべり軸受も同じように、始動に先立って予潤滑を行なう方式を取り入れていた。つまり、すべりリ軸受を厳しい環境の下で使うには、細心の注意が必要なのである。
しかし、筆者が評価委員会の末席に侍らせて頂いた時に、この問題について省や組合からの問題提起や評価についての話は全くなかったし、議論もなされていない。筆者は最も問題が起きる可能性あり、問題が起きた場合の対応は難しいと考えていたコロスプラインの経過観察に特別に留意し、これについての意見は再三にわたって申し上げ、経過の観察についても委員の立場としての可能な範囲で対処してきたつもりである。それ以外の部位は、率直に申し上げて目新しい要素を採用した訳ではないから、致命的な問題は起きないであろうし、問題が起きても充分対応出来ると考えていた。そして、この考えは今も変わらない。とは言っても、今にして思えば、この問題についても注意をしておくべきであったと思う。
今後の課題
平成34年度末に予定されている長崎新幹線の開業は、リレー方式の採用によって辛うじて延期を免れた。とはいっても、FGTのトラブルが修復されない事態を懸念する声は長崎県だけでなく、佐賀県や、事業主体であるJR九州からも出始めたことは、先に述べた。私は現代の技術常識から見れば、想像も出来ない苛酷な環境の下で150年以上もの長きにわたってSLで使われ、そして、今も最新鋭の火力発電所で厳しい環境の下で使われているすべり軸受と同じ軸受で起きたトラブルは、高度な設計手法をもって対処すれば、解決出来ると思っている。しかし、その前提として、従前に省や旧FGT研究組合がとってきた独善的で徹底した秘密主義を改め、すべり軸受に留まらず問題が起きた部位の全てについて、少なくとも関係者には明らかにすることが必要である。さらに、問題が起きた部位については、深い造詣を持つ技術者に胸襟を開いて情報を開示して援助を求め、長崎新幹線沿線自治体に状況を説明して理解を得るなど、技術及び行政の両面からトラブルに対応する周到な対応をとることも望まれる。関係者の英知を集結して直面する難関を乗り越え、FGTが新幹線網を補完する役割を担う日が来ることを祈りたい。
(以上)