1.はじめに
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鉄道が興ってから200年近い年月が流れた。この間に多くの鉄道が勃興し、繁栄し、そして衰退し、さらにその一部は奈落の淵から立ち直った。激しい栄枯盛衰の流れの中で幸いにして再興を遂げた鉄道はJRを含め多くはない。
国鉄再建10年を期に、ややおおげさな表現で恐縮ではあるが鉄道興亡の歴史の一部を紐解かせて頂く。以下には至近の例として、最近経営が破綻して組織の全面解体に追い込まれた仏国鉄と、衰退から立ち直った鉄道中興の祖と言うべき米国鉄道を紹介し、これらの鉄道がなぜ衰退したかを浅学の身で考察した。
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2.フランス国鉄の没落
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2.1 栄華をきわめた仏国鉄
今から4年前、フランス国鉄は得意の絶頂にあった。ドーバー海峡をくぐりロンドン〜パリを結ぶ鉄道の仏側ルート・TGV北ヨーロッパ線の開業式に出席した当時のミッテラン大統領から、仏国鉄は対英勝利宣言とも言える祝辞を受けたのである。大統領は英国側の高速鉄道建設が遅々として進まず、加えて英国に関係したトラブルがロンドン・パリを結ぶ高速列車開業の足を引っ張っていることを皮肉った。これに引き換え、仏の新幹線網が着々と整備されつつあることを高らかに誇り、ミッテランのライバル、英メージャ首相を悔しがらせた。 事実、このころフランスの鉄道はヨーロッパで覇権を確立しつつあった。国鉄民営化で高速鉄道建設どころではない英国を尻目に、英国と仏・ベネルックス・ドイツとの相互乗入れ特急「ユーロスター」の規格を仏方式で統一し、海峡部分を往復する自動車輸送用「シャトル」牽引の電気機関車も英国との議論の末に強引に仏方式で押し切った。さらに、パリを起点にベネルックスとドイツに乗り入れる特急「サリス」も仏仕様の車両で統一した。
高速鉄道開発の先陣争いでフランスに一敗地まみれたドイツの一部マスコミは、仏車両のドイツ乗り入れを「鉄道による仏の侵略」と書き立てた。「鉄道版普仏戦争」に勝利したフランスは、時をほぼ同じくして政治手腕を駆使しドイツや日本勢を押し退け、スペイン新幹線AVEを手中に収めた。さらには、お隣韓国の新幹線建設に絡んでは、仏は大統領を陣頭に据えドイツとの激しい受注合戦に勝利したことは我々の記憶に新しい。
鉄のカーテン崩壊にともなって、鉄道を国が経営する政治的・軍事的な意義が薄れ、欧州が本来的に鉄道経営に厳しい風土であることを考慮して、ヨーロッハ連合EUは鉄道生き残りの手段として施設(インフラ)と輸送とを別組織とする「上下分割」方式を加盟各国に提案した。この方法を「馬鹿げている」として、当初はその実施に強く反対したドイツ国鉄を含め、結局多くの国がこれを受け入れた。しかし、祖父と父を鉄道マンに持つミッテラン大統領を後楯にした仏国鉄はこれに従うそぶりをも見せず、政治家の後押しで採算がとれる見込みのない高速鉄道の建設を続行した。新線建設の巨額な投資を避けるために車体傾斜(振子)車両の導入による在来線高速化をはかる近隣諸国を、仏国鉄技術者は嘲笑し、振子で成功を収めたイタリア国鉄の看板列車「ペンドリノ」の入国すら一時は拒否した。
2.2 栄華久しからず
しかし、仏国鉄の栄華は長続きしなかった。それからわずか3年、仏国鉄は激震に見舞われた。ミッテランの後任シラク大統領は巨額の赤字を垂れ流す仏国鉄の構造改革に着手した。当時(95年)の国鉄赤字は対前年で倍増し、累積赤字は邦貨換算で3兆円を越えて経営は惨憺たる有り様だったのである。きっかけとなったのは、仏経済に大きな打撃を与え国民の顰蹙(ひんしゅく)をかった95年末の長期国鉄ストだった。
スト不始末の責任をとって国鉄総裁は更迭され、後任の総裁も新任早々に金銭に絡んだ犯罪で逮捕されるなど不祥事も相次いだ。新たな高速鉄道の建設も凍結され、今まで頑に導入を拒んでいた振子列車による在来線の高速化や設備の上下分割による組織全面解体も受け入れざるを得なかった。さらには、肥大化して1万人にも達する仏国鉄官僚の牙城・本社の要員大幅削減や本社移転も遠からず実施される。仏国鉄が今歩みつつある道は日本国鉄が先に歩んだ道と何と似たところが多いことであろうか。
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3.米国鉄道の没落と再興
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戦前100 万人以上もの従業員を擁し陸上の輸送機関として君臨した米国鉄道は、1950 年代に入り航空機や高速道路などの対抗輸送機関が発達すると、あっという間に経営が傾いた。その原因をこれら自動車や航空機の発達に帰する通説に私は同意できない。なぜなら、中興を遂げた現在の米国の鉄道は、その頃よりも一層厳しさが増した経営環境の下で貨物輸送量や利益は戦前最盛期のそれを大きく上回わる実績を上げているからである。しかも、「国の債務肩代わり」のような外的援助は一部を除き一切なかったのにある。立直りのきっかけは規制緩和である。しかし、米国では国の企業に対する規制は「官許の国」日本とは異なり本来的に厳しくはない。そのアメリカで鉄道の経営に限って例外的に厳しい規制が敷かれたのは、陸上輸送の独占体制が崩れるまでの長い間、鉄道はその地位にあるのを良いことに社会に対する貢献をを忘れ、身勝手な経営を繰り返してきたからである。 だから、米国の鉄道が左前になった真因は鉄道内部にあったと私は思っている。米国の鉄道は長い歴史の間に内部組織は著しく官僚化して旧日本国鉄以上に徹底した階級社会が生まれ、厳しい規制を敷かざるをえない程に経営は無責任になった。これに対応して労働組合との関係もまた硬直化し、完全なディーゼル化が終わった後も最近に至るまで貨物列車には開拓時代と同じ火夫、制動手等の時代錯誤的な職種を含めた10名近くの職員が乗務していた。規制緩和が行われて競合の鉄道と激しい集荷合戦が行われるようになった1981年以降、各鉄道は大型合併や徹底した実態に即した業務見直しを行い、大出力機関車を積極的に導入し、そして、新しい技術を大幅に採り入れている。その結果、1 万トンを越える重量列車でも乗務員はわずか2名となり、貨物輸送の生産性は世界で群を抜いて高いレベルを誇るようになった。
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4.鉄道経営を危うくするものは
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このように、世界で有力な2 つの鉄道の没落の過程を見ると、その原因の多くは内部にあったことがわかる。鉄道業務の多くは毎日が同じ作業の繰り返しである。地域で独占的な立場にある鉄道は積極的な営業活動を行わずとも顧客を失うことはなく、毎年の経営内容が大きく変わることもない。このようなことが繰り返されれば、「限られたパイの分配」という後向きの仕事が内部で最も重要な案件となる。つまりは組織の官僚化である。そして、緩やかではあるが年々確実に変化する時代の流れに対応できない官僚化した組織が、やがては鉄道を衰退に導いたのである。JRが発足して10年を迎え、各社の経営は概ね順調である。しかし、鉄道は本質的に内部組織が官僚化する体質を持っている。経営が順調であるほどにその危険性は大きい。鉄道を危うくする最大の敵は外部にあるのではなく、鉄道の内部にある。経営が順調な今こそ、先に述べた鉄道の事例を他山の石として謙虚に鉄道経営を進めてほしいと思う。
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