鉄道を斬るNo.29
平成23年12月24日
長大トンネルの列車火災防止対策
― 津軽海峡線青函トンネルの防火設備に思う ―
永瀬 和彦
筆者は今年の晩秋のある日、函館から青森まで久しぶりで鉄路を利用した。その際、幸いに時間があったのでJR北海道の津軽海峡線津軽今別駅で下車し、直近のJR東日本の津軽二股駅から津軽線に乗車した際のレポートをお届けし、併せて、今年、話題となったトンネル内での列車火災について私見を述べる。
青函トンネル火災対策のルーツ
現時点で世界最長の青函トンネルで最重要視されている項目は列車火災防止対策である。このトンネルの防火対策は、今では多くの鉄道にとって「忘却の彼方」となった北陸線列車火災事故(昭和47年発生)で亡くなられた30名の方々の尊い命を礎に、当時の国鉄が総力を挙げて作成した「鉄道火災対策技術委員会報告書」に基づいたものである。この委員会が提案し又はこれに関連して行われた研究で得た知見のうち、このトンネルに関係するものを要約すれば、
・ 乗客が外部に脱出することが困難なトンネルの中で列車火災が発生した場合、列車をトンネル内に停車させることは避けるべきである。
・ 車両両端の連結部に耐火性貫通扉を設置し、適正な防火対策を施した列車の車内で火災が起きた場合、火元の車両から乗客を退避させた後に貫通扉を締め切って酸素の供給を絶てば火災は自然鎮火する場合が多い。万一、初期消火に失敗しても、この貫通扉を締め切れば10分程度は窓ガラスが破損して火炎が外部に噴出す現象(フラッシュ・オーバー)に至ることはない。この間に、列車がトンネルを脱出すれば、最悪事態は避けられる。
・ トンネル通過に10分以上を要する長大トンネルは、火災発生時に運転を継続してトンネルを脱出することが不可能な場合もあり得る。そのようなトンネルは、別途の方法を講ずる必要がある
青函トンネルにおける現行の防火対策
火災が起きた車両を実際にトンネルに突入・通過させるなどの膨大な研究・実験を通じて当時の国鉄が得た知見に基づいて、青函トンネル内には写真1に示す「定点」と名付けた斜坑を利用した二つの避難場所が設けられた。これがご承知の龍飛及び吉岡海底駅である。
写真1 青函トンネル開業前に定点に停車中の試運転列車(昭和62年12月25日撮影)
一方、火災が発生した列車がトンネルを脱出した時、速やかな避難と消火活動を行うために設けられたのがトンネル出口近くにある津軽今別及び知内駅である。構内には、写真2に示すような凍結防止対策を施した列車火災専用の消火栓がある。さらに、トンネル内には火災及び煙検知器が設置され、救援専用のDE10 が常備されている。現場は寒冷地のため、機関車は冬季でも直ちに出動可能なように機関を暖機する体制がとられている。
写真2 津軽今別駅構内の線路脇に設置された列車火災専用消火栓、後方の消灯した
信号機は火災発生時に点滅する「火災列車停止位置目標表示灯」
海外におけるトンネル火災対策
このように青函海底トンネルの開業当初における防火対策は、日本の鉄道技術の粋を集めたものであった。しかし、海外の動きを見ると、その後に開通した英仏海峡長大海底鉄道トンネルは、青函に比べると過剰とも思える程の厳重極める防火対策を行っている。それにも関わらず、放火と推定される原因がもとで、既に3度もの列車火災が発生し、うちの2回は一歩誤れば多くの人命が失われかねない深刻な事態を引き起こした。それまで、シンプロンなどの欧州最長の長大トンネルを開業以来無事故で維持してきた実績を持つスイス鉄道当局は、英仏海峡トルネルのような精緻を極めた火災防止策の導入には消極的で、一部関係者はこれを嘲笑したものである。
ところが、近く開業すれば青函を上回って世界最長のトンネルとなるアルプスを貫通する新ゴッタルドトンネルの構造は、英仏海峡トンネルに準じた構造となっている。防火対策も恐らくは、英仏海峡のそれに準じたものになるのであろう。皮肉なことに開業以来、無事故を誇ったシンプロントンネルは、今年6月に貨物列車のシートが架線に接触して列車火災が起き、トンネルが大きく損傷したと伝えられる。英仏海峡トンネルの防災対策を一部の関係者が嘲笑したスイス鉄道当局は、新長大トンネル構造を英仏のそれに準じたものとしたことに安堵していることであろう。
トンネル内列車火災対策で早急に解決すべき課題
鉄道にとって最も忌避すべき列車事故は衝突と脱線であるとされ、これらの事故防止のために鉄道は昔から多くの対策を行って来た。しかし、国内でも今年5月に起きたJR北海道石勝線の事故によって、トンネル内での列車火災が鉄道事故として決して看過できないものであることを、日本の多くの鉄道関係者は改めて深く認識されたと思う。さらに、この事故を奇禍として、民営化以降、ほとんど忘れ去られていた「北陸線列車火災事故」の悲惨を極めた現場の状況と、国鉄が叡知を集めて作成した「鉄道火災対策技術委員会報告書」の有用性とが再認識されたことは、ある意味で良かったのではないかと思う。
しかし、石勝線の事故を契機に新たな課題も生まれた。この事故では破損した燃料タンクから飛散した軽油によって、火災が発生した。今までの長いディーゼル車両の歴史の中で、燃料タンクが破損した事故例は枚挙の暇がないが、これによって火災が起きた事例は皆無だったのである。昭和30年代の後半には、大量に投入されたディーゼル動車の整備体制が確立していなかったこともあって、列車火災が頻発した。この対策として、当時の一部運転現場では、火災発生時には火元に近い燃料タンクは意図的に破損させて油を抜いた方が、火災の拡大防止には良いとの指導もなされていた。そして、実際に、そのような処置を行って最悪事態が防止された例も実存する。
北陸線列車火災で得た教訓は「トンネル内で火災が起きたら、列車を絶対に停めるな」であった。ところが、石勝線の事故では列車が脱線したために、これが守れなかった。つまり、その多くが忘れ去られたていたとは言っても、古を知る鉄道関係者にとっては列車火災防止のバイブルとも言うべき研究報告書の一部に、問題があることが明らかになったのである。
石勝線火災事故の直接の原因は減速機を支える「ツリ・ピンの落下」である。そして、その原因究明はもちろん重要である。しかし、燃料タンクが破損した場合に列車火災に至るメカニズムを究明することは、これとは別の次元の問題である。そして、これを解明することの必要性は、前者の原因を究明より遥かに高く、緊急の課題と言うべきである。そして、今までに燃料タンクの破損で火災が起きた事例がないだけに、その解明は技術的に相当の困難が予想される。ところが、この問題については、さほど困難とも思われない「火元の特定」ですらも事故発生から半年以上経つのに、未だになされていない。関係当局はJR北海道と協力して、その原因を早急に明らかにして頂きたいと思う。これが解明されなければ、ディーゼル車両の根本的な火災防止対策を立てることは難しいと思われるからである。