日本の列車火災対策は万全か


 この度起きた韓国地下鉄火災は日本でも大きな話題になった。そこで、鉄道における列車火災、特に地下鉄を含めたトンネル内の列車火災を問題の中心に据えて、それらについて過去の事故及びこれらに対する研究と対策について私見を交えて論じて見よう。


1.地下鉄の火災対策事始め

 日本における地下鉄の火災対策については、地下鉄の創始者である早川徳次氏の功績を先ず挙げなければならない。氏の尽力により上野〜浅草間に昭和2年に開通した東京地下鉄道(現在の営団銀座線)の電車には、当時としては画期的な安全対策が採られていた。その代表的な対策が燃えない「全金属製車両」と、衝突事故を防ぐ「ATS」の採用である。戦後かなり経った時期まで旧国鉄ローカル線で幅をきかせていた木製客車の鋼製客車へ改造や全金属製電車の導入を決めた時期は私の記憶に間違いがなければ昭和28年で、ATS全面導入の決定に至っては地下鉄開通から実に35年も経った昭和37年である。鋼製客車への改造は木製客車が転覆して184名が死亡した「八高線列車転覆事故」(昭和22年発生)が、ATSの導入は信号冒進により160名が死亡した「三河島事故」(昭和37年発生)がきっかけとなってなされたもので、これら2つの安全対策は言わば共に尊い人柱を礎に立てられたものである。
 これを考えれば、早川翁の考えは正に卓見とも言うべきもので、翁の功績は地下鉄だけに留まるものではなく、鉄道の安全に対する功績についてももっと評価されてよいのではないかと思う。翁の優れた見識によって平成6年に都営地下鉄浅草橋駅で起きた「ドア挟みによる人身事故」及び平成11年の「日比谷線脱線事故」以外に地下鉄乗客の身の上に見るべき事故は起きていない。日本の地下鉄は今でも世界で最も安全な乗り物なのである。


2.日本の鉄道における列車火災対策の歴史

 日本の鉄道で列車火災事故として特記されるべきもの又は現代の鉄道に大きな影響を与えている事故を挙げると表1の通りである。戦前、大阪の西成線(現桜島線)で起きたガソリンカー転覆による火災事故は日本で最多死亡者を出した鉄道事故だが、この種の事故は今後は起こり得ないので、対策などは記載していない。

1.日本の主な列車火災一覧

発生年月日

発生線区

場所

事故の概況

死者

採られた対策

昭和15129

国鉄西成線

安治川口

駅到着の際、分岐器を途中転換したため満員のガソリンカーが転覆して全焼

190

 

昭和26424

国鉄・京浜東北線

桜木町

垂下した架線にパンタが絡まり地気・発火

106

非常コック表示・貫通扉整備・変電所の遮断特性向上、車体窓の改造

昭和43127

営団地下鉄日比谷線

神谷町

制御器故障により回送中の東武所属電車の抵抗器が過熱して発火

なし

車両難燃性基準の改良、制御器の改良

昭和47116

国鉄北陸線

北陸トンネル内

客車列車下り「きたぐに」食堂車から出火し、トンネル(長さ13.9キロ)内に立ち往生して全焼

30

車端部防火構造強化、寝台車火災警報取付、トンネル火災時のマニュアル整備

昭和63330

JR 東日本上越線

越後中里〜岩原スキー場前

3両編成ディーゼル動車最後部消音器内部から発火して煙突を溶損させ、1両車体部全焼

なし

長期アイドル運転の中止、煙突部断熱強化


2.1
桜木町事故
 架線工事のミスで垂下した架線がパンタに絡まり先頭の電車が全焼し多数の死傷者が出たこの事故では、焼けた電車の天井に可燃性塗料が使われ、車体は窓から乗客の脱出が不可能な構造で、さらに乗務員の適正な避難誘導がなされなかったことから、大変な社会問題になった。この事故の問題点を調べるために国鉄は当時の豊川分工場で電車の火災実験を行い、そこで、全焼したモハ63形戦時標準設計電車が火災に対し如何に弱いかを痛感することになった。現代の電車に取り入れられている防火対策の多くはこの桜木町事故を契機に採用されたものである。表に示した以外にも採られた具体的な例を挙げれば、
  1) 事故時に変電所遮断器が動作しなかったことが一因であることを踏まえ、異常(地気)電流発生時の遮断器の遮断特性の向上。
  2) パンタグラフ及び屋根部の絶縁を強化。
などがある。

2.2
日比谷線列車火災
 この事故は制御器が故障した東武所属電車を東武線内へ回送する途中で起きた。原因は故障した制御器のステップを途中進段停止の状態にしたまま、主回路を開放しないで運転を持続したため、いわゆる「逆引き」状態となって電気ブレーキが連続的に作動して主抵抗器が過熱し、上部にある樹脂製電線管から出火したものである。事故はたまたま故障により回送扱いとした後に起きたことが幸いした。事故現場では韓国の地下鉄火災と同様に猛烈な黒煙が道路端の地下鉄換気口から吹き上げたものの、乗務員や消防士がガス中毒にかかった程度で大事にはならなかった。
 この事故は地下鉄の防火対策に大きな影響を与え、それまで手軽に使われていた合成樹脂材を使った車両部品類に厳しい規制をかけるきっかけになった。事故の翌昭和44年に当時の運輸省民営鉄道部が通達した「鉄道車両用材料の燃焼性規格」(A-A基準)は、車両材料の難燃性評価法を定めるなど当時はしては画期的な内容であった。この規格は鉄道車両の防火基準に関してのバイブル的な存在になり、その後の法令改正などがあっても、中身の多くはそのまま今に引き継がれ、「鉄道に関する技術基準」の一部として現在に至っている。当時の数少ないスタッフでこれをまとめた運輸省民営鉄道部の努力は高く評価されて良い。

2.3
国鉄における列車火災対策の研究
 日比谷線の事故は新しい材料を使った車両に火災が起きたときに発生する有毒ガスの恐ろしさをを改めて認識させた。この対策として作られたA-A基準は民鉄の地下鉄電車を主な対象としたもので、国鉄の車両は民鉄への乗入れ車両以外は規制対象外であった。当時の国鉄が最も問題視していたのは寝台車の防火対策であり、さらに地下鉄には存在しないディーゼル車固有の構造などはA−A基準では規定されていなかった。
 このため、国鉄では昭和45年から2年かけて主として寝台車を主体とした火災対策の研究を行った。この研究の結果、運輸省の基準にはない新たな評価法として、樹脂材が燃焼する時生ずる多量の煙の害を防ぐための「発煙性の評価」や、樹脂材料が燃焼すると液状となって床に滴下して燃焼するのを阻止するために「滴下性評価」などが提案された。さらに、材料が燃焼した場合の有毒ガスの発生に対する研究なども行われた。
 この成果は国鉄車両の防火構造の指針として使われることを意図したものであった。ところが、皮肉なことに、この研究成果でた後の間もなくに起きた北陸線火災事故の煽りを受けて、その内容の多くは省みられることがなかった。A−A基準を継承した国土交通省の「技術基準」が電車に重きを置き、材料についても着火性に主眼を置くのに比べ、研究は寝台車に重きを置き、材料については別の観点からの評価も取り入れたもので、研究で得た成果は現代でも車両の火災対策の貴重な参考資料として役立つものが多い。

2.4
北陸線列車火災
 この事故は長さ13キロ余の長大トンネル内で大阪発青森行列車の食堂車が全焼し、しかも、原因が特定出来なかった極めて特異な事故である。火災発生直後に牽引機に添乗中の指導機関士は食堂車の切り放し開放を試みるなどの果敢な行動をとったのだが、力及ばず殉職されている。この事故は国鉄に大きな衝撃を与え、本社内に火災対策技術委員会を、鉄道技術研究所には火災研究室を設置して、国鉄の総力を挙げてトンネル火災対策に取り組んた。その過程で大船工場内での客車の定置燃焼実験、北海道狩勝実験線での客車を使っての火災走行実験、フラッシュ・オーバ(火炎が外部に吹き出す状態)が起きて窓から黒煙が吹き出た客車を宮古線(現三陸鉄道)の延長2キロ余の猿トンネル内に突入させて隣接車両への延焼の状況を調べるトンネル内火災実験などの思い切った実験を行っている。この火災実験実施に際しては当時の日本最強と言われた対応組合の反対があって、関係者の方々は大変なご苦労をされている。
 この委員会の活動を通じて得た知見を基に運転・車両関係で提案された主な内容は
  1) 通常の難燃性を持つ車両が火災によりフラッシュ・オーバ状態でトンネルを走っても、架線などへの影響は少なく、隣接車両への延焼にも出火後15分以上の時間がかかると推定される。だから、トンネル内で火災が起きた時は、トンネル内消火よりトンネル脱出を最優先に考えるべきである。
  2) 火災が起きた列車が無事にトンネルを脱出するためには、火災発生車両から他の車両への延焼を防ぐことが要となる。だから、車端部(以下「連結部」という)は防火構造とし、貫通扉は金網入りガラスとすることが望ましい。
  3) 火災発生から脱出までに15分以上を要すると見られる長大トンネル(当時建設中の青函トンネル)は途中に定点避難所(現在の龍飛及び吉岡)を設け、火災発生時にはここに緊急停車して避難すべきである。なお、山陽新幹線六甲トンネルは200キロで走行した場合には、脱出に要する最長時間は15分を僅かに超えるが、車両の難燃性や機密性が高いので実質的には問題ないとされた。
  4) トンネル内火災発生を想定して乗務員を主体としたマニュアルを整備して、訓練を重点的に行うべきである。
  5) 床下にディーゼル機関を搭載した車両は火災検知及び自動消火設備の検討を行うことが望ましい。
 委員会では、さらに難燃車両の設計指針を制定し、この中で当時の運輸省のA−A基準を準用した難燃度の区分に従って当時国鉄に在籍した車両の難燃性の度合を形式別に評価した。それによれば、昭和32年以降に製作されたいわゆる高性能車両の多くは難燃性に優れており、北陸トンネルのような惨事は極めて起こりにくいとの判断がなされた。
 部外の学識経験者を主要メンバーとした火災対策委員会で最も議論が白熱したのは、連結部の防火対策である。と言うのは、火災発生時に長いトンネルを無事に脱出できるかどうかのポイントは、火災を出火車両に封じ込めることが出来るか否かに掛かっているからである。このため、国鉄以外の多くの委員は長大トンネルを通過する車両の連結部貫通扉は金網入りの耐火構造の扉を設置するだけでなく、扉にダンパを取り付けて「常時閉の構造」とすべきであると主張して国鉄側委員を困惑させた。ダンパ付貫通扉を採用すると、車内販売業務従事員の通行に多大の支障が出ると予想されたからである。当時の特急電車連結部の貫通扉は常時開放され、忍錠で固定されていた。当時の国鉄標準電車で現存しているものは少ないが、その状況は今も変わっていない。結局、ダンパ入り防火扉は採用されなかったが、当時の連結部の貫通扉は金網入り防火扉に改良された。
 余談であるが、火災対策委員会の結論が出た直後に当時の営団地下鉄運転関係幹部の方が当時国鉄に在籍していた筆者を訪ねてこられ、火災対策技術委員会の詳細な結論を教えて欲しいと要請された。もちろん、快諾して内容をお話しした。その結果であろうか、営団はその後の新車の連結部貫通扉は金網入りとし、当時の国鉄が採ったと同様の方式を踏襲して現在に至っている。韓国地下鉄の惨事をみると、営団がいまでも継続踏襲している対策は正解であったと思う。2000年にオーストリアで起きたケーブル火災による惨事でも、事故が拡大した原因の一つに車端部防火対策の不備があったと指摘されていることは必ずしも偶然ではないのであろう。
 火災発生を想定したマニュアルを定める議論の中で、火災発生を知らせるために非常ブザーがトンネル内で扱われた場合に列車が緊急停止すると危険だとの議論が起きた。新幹線の非常用ブザーが「火災用」と「一般緊急通報用」に分けて設置してある理由や、在来線の非常用ブザー引きスイッチに「トンネル内での火災の時は扱わないで下さい」との表示は委員会の答申に基づいて行われているものである。
 このように、北陸線列車火災によって得た知見は少なくない。しかし、国鉄を承継したJRや営団以外の地下鉄では国鉄火災対策委員会の提言を必ずしも有効活用してはいないと思われるケースも見受けられる。尊い人柱を礎にした貴重な過去の財産を、韓国の地下鉄惨事を機に是非、繙いて頂きたいものである。

2.5 JR
東日本上越線におけるアルカディア列車列車火災事故
 最近(と言っても今から16年前に)起きた列車火災である。高崎から長岡に向かう団体専用3両編成デーゼル動車が土樽〜岩原スキー場前(無人駅)間の下り勾配走行中に、松川トンネル内で床下から出火した。火災発生の連絡を受けた運転士は消火活動のことを考えて有人駅の越後湯沢まで走れないかと車掌に打診した。しかし、煙が車内に充満して無理だとの話なので、やむを得ず駅間に停車し、消火器で消火に努めたが最後部車両の客室内部は全焼した。しかし、客室と出入口デッキとを隔てる自動扉が火炎の広がりを阻止したと推定され、比較的早期に現場に駆けつけた消防署の消火活動と相まって他の車両への延焼は免れた。最後部車両の乗客は列車が停止する以前に車掌の誘導で前方車両に移乗を済ませ、全員無事だった。つまり、北陸トンネル火災の教訓はこの事故では完全に生かされた。
 事故の重大さを認識したJR東日本では事故原因解明のために委員会を社内に設置して原因解明を行った。火災は下り勾配上で起きたので、火災原因はエンジンとは無関係と推定されたのに煙突付近から出火したことから、火災原因の究明は難航するかに見えた。原因究明のためにJR新潟支社及び当時の新津車両所関係者が現車を使った大規模な火災再現実験を行ったところ、試験車両の煙突から激しい炎を吹き上げるとともに、赤熱した煙突の周囲からブスブスと煙が上がり始めた。原因は当初の推定とおり、消音器内部に滞留して過熱した多量の油が下り勾配走行中にエンジンブレーキの使用によって着火して煙突を溶損して火災に至ったことが明らかになり、当初は究明が難航するかに思われた原因は決定的な証拠を得て確定した。部外委員の火災専門家の方々から当時のJR東日本関係者はお褒めの言葉を頂いている。
 この成果はJRの社内報告書としてまとめられているが、国鉄時代のこの種の報告書の扱いとは全く異なって、いわゆる「取扱注意」が付されてJR東日本の外部に積極的に開示されることはなかった。JRからの依頼を受けて調査の一部を担当した筆者は、貴重な研究成果が社内のノウハウとして埋没してしまうことを惜しんで当時の担当役員に「この研究成果を今直ちに国内で発表することには問題があると思うが、代わりに海外の著名な火災学術論文誌 Fire Technology ゙に投稿させて頂けないか」とお願いして快諾を得た。だから、その経緯を含めた火災原因の詳細は同紙のVol.26, No.4 ( Nov.,1990) に掲載されている。興味のある方はご覧いただきたい。


3.列車火災対策で残されたものは
3.1
現代の車両で列車火災は起きるか

 以上述べたように日本の鉄道は地下鉄以外をも含め、ほとんどの車両は高度な難燃化対策が施されている。だから、多量の可燃材料を使った韓国地下鉄のような大惨事が簡単に起きるとは到底思われない。事実、国鉄火災対策委員会が行った火災実験では、現代の車両ほどは十分な難燃化対策がなされていなかった旧型客車ナハ11形でさえも、網棚に多量の可燃物を置き、車内座席上に200ccのアルコールをまき散らた上に20枚の新聞紙に「放火」しても火は燃え広がらずに、自然鎮火してしまった。このため、アルコールを400ccに、新聞紙を40枚に増量し、窓や換気口を開け放った状態にして、やっと火炎が車内に広がった。だから、難燃化対策や車両の密閉化が一層進んだ現代の日本の車両では、余程のことがない限りは韓国のような惨事は起き得ないと考えるのが常識である。

3.2
現代車両の防火対策で残された問題点
 とは言っても、現在の車両の防火基準は今から35年前に起きた地下鉄火災を教訓として作られたもので、通勤電車以外の車両や、その後の鉄道を取り巻く環境に必ずしも対応したものとはなっていない。そのことは、後に行われた国鉄の列車火災についての研究などで一部ではあるが明らかにされたことは既に述べた。
 例えば、国鉄時代に研究が行われた寝台車の防火対策の成果については、現在の「技術基準」には必ずしも十分取り込まれてはいない。ディーゼル車両についても、前述のアルカディア号火災の教訓は取り込まれているものの、過去にディーゼル車両で多発した火災の対策は「技術基準」には取り入れられていない。ディーゼル車両の火災は昭和40年代まではしばしば起きていた。原因の多くは燃料配管からの漏油又は床下に付着した油に制輪子の火花が付着したためとされた。しかし、床下清掃の徹底及び燃料管の強度増大などの措置をとった結果、この種の事故は激減したのである。
 ディーゼル車両は多量の可燃物と高温の熱源を持ち、防火対策には特段の注意が必要な車両である。現代のディーゼル車両から火災が根絶されたのは、このように過去に起きた数多くの火災事故に対し地道な対策を積み重ねて来たからである。だから、これらの対策が放擲された場合には、昔起きたと同じような事故が再び起きる可能性もあり得るわけである。
 誤解のないように申し上げるのだが、現行のJRのディーゼル車両や寝台車に火災の危険があると言っているのではない。現行のJR車両の多くは過去の度重なる列車火災を教訓として、火災には大変強い構造となっている。しかし、これらの対策は限られた一部の鉄道車両関係者の技術情報として存在しているに過ぎず、その情報が世代を越えて順調に伝承されなかった場合に将来起こり得る問題を筆者は懸念しているのである。
 国鉄の火災対策技術委員会は金網入りの貫通扉を設けて連結部を防火構造とすればトンネルで火災が起きても十分に脱出可能と判断した。しかし、北陸トンネル列車火災の前に制定されたA−A基準や、これを継承した国土交通省の「技術基準」では、地下鉄車両についてすら連結部の防火構造については全く言及していない。しかし、韓国の地下鉄車両の被災状況をTV等で見る限りは、連結部に防火構造の貫通扉があったならば、事態は変わっていた可能性は否定出来ないのである。
 国鉄の火災対策技術委員会が燃え盛る客車を長さ2キロ余のトンネルに突入させ、隣接車両への延焼の可否を実験した時の列車の走行速度は61キロであった。しかし、現代の鉄道は在来線を含めて当時より遥かに高速化やトンネルの長大化が進んでいる。現代の優等車両における「連結部の扉」は多く場合、客室入口の「自動扉」がこれに相当する。アルカディア号の火災では、この扉が防火扉の機能を果たして隣接車両への延焼を阻止したと推定される。しかし、国鉄の火災対策技術委員会が30年前に行ったトンネル内の列車火災実験では、難燃化対策がほとんど行われていない客車から猛烈な勢いで吹き出した炎に耐えて隣接車両への延焼を防いだのは連結部に設けられた金網入りの扉だった。
 このように30年以上前に起きたトンネル火災を教訓として当時提案された対策の中には、時の流れに沿って対策を見直したり、再度の実験をすべきと思われるものが皆無ではない。韓国の地下鉄惨事を機に、過去の事故で得た貴重な知見や対策の中に、現代の鉄道に新たに取り入れるべきもの、あるいは、現代の鉄道により適合した形に手直しすべきものがあるならば、それを行うのに躊躇すべきではないと思う。


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