1.米国旅客鉄道のルーツ
先の「鉄道を斬る」でお伝えした英国鉄道の危機に続いて、今回は米国で起きつつある旅客鉄道存亡の危機についてお伝えしよう。アメリカの旅客鉄道は通勤等などの近距離を除き、ご承知のように民営の本場にしては珍しく国営会社アムトラックが一手に引き受けている。そのルーツをここで話す暇はないが、いまから30年前、存亡の危機に瀕していた多くの鉄道を救済するために、採算性の悪い旅客部門をほぼ全面廃止し、その施設を出資する形でアムトラックが発足した。旅客列車が走る線路の大半は貨物鉄道に変身した会社が現在も所有しており、アムトラック自前の線路はワシントン〜ボストン間の北東回廊と、シカゴからデトロイトへの向かう路線のミシガン州内約100キロの区間だけである。貨物鉄道は法律で旅客列車を優先的に走らせる義務を負い、代償として1列車・マイルで3〜6ドル程度を線路使用料として支払っている。もちろん、これで貨物鉄道は採算があうはずはなく、アボイダルコストの支払である。
2.アムトラックの危機
アムトラックは発足以来、再三にわたって存続の危機に瀕しており、その度に連邦議会の鉄道族議員援護の下で何とか切り抜けてきた。最近は北東回廊の全面電化で登場した高速列車「アセラ」や、長距離列車に併結した郵便・荷物列車によって収入を増やし、同時テロの影響もあって今年に入ってからの長距離収入乗客は対前年で14%程度増加したとされる。しかし、構造的な欠陥により、アムトラックは発足以来赤字を垂れ流し続け、最近、取り巻く情勢は一層けわしくなった。華々しく登場したアセラの定時到着率は80%を割り、さらにアセラの製造メーカであるボンバルディア社から車両改修に絡んで、過剰な補修を強いられたとして訴えられるなどの良からぬニュースが続いている。
このような御難続きの中で、新年早々、アムトラックは「国鉄再建監理委員会」の米国版とも言える「アムトラック再建委員会」から実質的な廃止を通告された。もともと、アムトラックは2002年までに赤字経営から脱却して自立出来なければ、組織を見直すことが1997年に決められ、お目付役として発足したのが「アムトラック再建委員会」である。
3.アムトラックの改組案と問題点
委員会が今年2月に提案したアムトラックの廃止と、これに代わるべき組織の要旨は次のとおりである。
〇北東回廊とミシガン州にある自前の路線管理は新設の国営インフラ所有機関に移管する。
〇自立経営が可能な北東回廊、州政府の補助を受ければ独立経営が可能なシカゴ近郊、カリフォルニア州内路線、シアトル近郊路線は分割・独立する。
〇採算困難な長距離路線は運行会社を設立し、フランチャイズ方式により競落した企業に運営を委任し、補助金を支出する。
英国に習ったこの方式に対しては異論が噴出した。しかし、再建委員会は、インフラ所持は国営であるから英国のような事態には絶対にならないと反論している。問題は米国開拓の歴史を担ったエンパイヤ・ビルダ、サンセット特急、カリフォルニア・ゼッファなどの長距離列車が、本当にこの方式で存続出来るかにある。そして、その存否は列車が走る沿線出身議員の利害にも直結する。連邦政府は新組織に移行するまでの最大5年間は、年5億ドル程度の補助金を支出し現体制の存続させたいとしている。しかし、補助金自体がアムトラック希望額の1/3程度であり、専門家はその程度の補助金では荒廃した線路の建て直しなどはとても無理と見ている。今年10月以降の長距離列車の存続は不可能として、総裁が辞任する事態になった。
4.長距離旅客列車の受皿は何処か
長距離旅客列車のフランチャイズ方式による存続がクローズアップされたことにより、経営が極めて順調な貨物鉄道に旅客輸送を担わせてはどうかとの意見が出て来た。上下一体管理が鉄道本来の姿であるとの見識に立っての意見である。しかし、独立志向が強く政府の干渉を嫌う貨物鉄道は補助金を受けての旅客輸送への復帰は強い拒絶反応がある。さらに、アムトラックと同じペン・セントラル鉄道をルーツとする元コーン・レール(現CSX)の一部には、アムトラックに対し強い対抗意識(というよりも「犬猿の中」と言うべきか)があることも影響してであろうか、CSXを中心とした東部鉄道の中にはは旅客列車の運転には否定的な意見が多い。しかし、今までも旅客輸送に比較的好意的な西部の一級鉄道は税制面での優遇と、アムトラック発足当時に制定された鉄道従業員の実質解雇を全面禁止する法律の撤廃などの配慮が得られれば前向きに捉えたいとの意見も少なくない。それらの法律の廃止案が最近、議会を通過したことにより、その可能性が出てきた。
アムトラック発足の直前、当時のグレート・ノーザン鉄道(現バーリントン・ノーザン・サンタフェ鉄道の一部)は苦戦を続ける旅客輸送を建て直すため、看板列車「エンパイヤ・ビルダ」の新車置換を計画していた。そして、アムトラック発足後も当時のリオグランデ鉄道(現在のユニオン・パシフィックの一部)はデンバー〜ソルトレーク・シティ間に暫くの間、旅客列車を自前で運転していた。このような経緯から見ると、西部の鉄道の旅客列車に対する愛着は今でも消えていないのであろう。
5.政治家の思惑に振り回されるアムトラックの歴史
アムトラックの経営には、旧日本の国鉄以上に連邦議会、政府、政党、労働組合及び州政府などの思惑が色濃く反映されてきた。このため、アムトラックへの政治家の介入阻止をねらってであろうか、1982年から10年以上の長きにわたり、名総裁として今でもその名が残るクレータ氏が総裁に就いていた時期がある。氏はサザン鉄道(現ノーフォーク・サザン)の社長、海軍長官(大臣)、国防副長官等の要職を歴任した超大物の行政マンである。氏のサザン社長時代には、鉄道の社会への貢献を重視して、赤字を承知でアムトラック発足後も西のリオグランデ鉄道と並んでサザンの看板列車「クレセント」をニューヨーク・ニューオルリンズ間に走らせてきた。さらに、蒸気機関車復活などにも尽力しただけでなく、鉄道技術と経営でもっとも優れた鉄道の一つと言われる現ノーフォ―ク・サザン鉄道の礎を築いた。このような高い手腕が見込まれ、氏は71才の高齢であるにかかわらず請われて総裁に就任し、アムトラックの経営改善に多くの業績を残したことは、つと有名である。
しかし、氏の後任に就いたダウンズ氏がクリントン政権時代にはアムトラック再建のネックとなっていた労組協定破棄に奔走した結果、組合の意向を受けた民主党政権の手によって1997年末に突然に解任されたように、首脳が政治権力闘争の犠牲となる事態すらもあった。今回の突然の現総裁辞任も、同じような背景があると見られる。今後、アムトラックが再建委員会の意図したとおりに改組されるのか、それとも、今まで歩んで来たと同じように、議会・連邦政府などの手による政治力学によって運命が決められるのか? 結果は今年の10月までに判明する。
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